怒りに身を任せるな、大事なモノを失うぞ
目の前の画面で行われているえげつない行為に、俺は頭が沸騰する思いで今後の未来を予測してみた。
(Xデーの王子暗殺を理由にするまでは読んでた。でも各国の代表が集まる場だぞ? この時期に仕掛けるワケがない。そんな場所で戦闘なんてしたら被害がでた時とんでもない事態に……いや、まさか悪評の上乗せを狙ってる?)
そして高らかに、あの王女様は言ったよ。
(緊急イベント? しかも悪名高き“無貌の白雪”?)
えげつない、処か……それすら通り越して怒りのメーターが振り切れて、一瞬どう怒ればいいのか分からなくなったよ。
もはやラックさんに連絡しようとしていた携帯電話など意味をなさず、無意識に手から滑り落としていた。
おい。オイオイオイオイ……。
(アリッサ……あの王女サマ――いいや違う、あのクソ女ッ!! よりにもよってやらかしやがった‼‼‼)
俺は初め、スノーの危機感を聞いてもアリッサが何かやろうなんて考えている筈がないと思っていた。
だって、あのラックさんのキャラだ。ラックさんの性格は長年の経験でよく理解している。
あの人は俺が尊敬する数少ない大人だ。一人の立派な、人生の先輩だ。
俺がまだ小学生の頃にオンラインゲームを一人、ネチケットも知らずに好き勝手していた頃だ。そりゃああの頃のネットのルールなんて誰かに教えてもらえるモンじゃないから自分で調べるか、独学するしかないんだけどさ。自分で言うのも憚られるくらいに、はっきり言ってクソガキだった。
でもそんなクソガキに対して、わざわざ手取り足取り教えてくれたのはラックさんだ。ローマ字も何も知らなくて、タイピングも糞みたいに遅くって、それなのにあの人は嫌味も言わずに、俺の会話に付き合ってくれた。その内に自分の所属するギルドに勧誘してくれて、俺はネットの世界でなら仲間が大勢作れると教えてもらったんだ。あの人は、俺にとって恩人でもあるんだ。
そんな人と一緒に行動をしてきたアリッサが、まさか、こんな“仲間”を貶めるような事を企むとは思えなかった。いや、思いたくなかった。
俺はアリッサを信用していた訳じゃない。ラックさんを絶対に信じていたんだ。
あの女は自分の信用を陥れたんじゃない。決して、断じて違う。
奴は、俺の敬愛していたラックさんを陥れたのだ。
これはあの人に対する侮辱だ。
アリッサは最初からこの時に仕掛けると決めていたのだろう。突発的な計画ではない。それなら間違いなく、最初の情報で王には伝えずに、その手前で待つ。一度懐に収めて、後ほどラックさんと協議する。これはアイツの独断だ。
いいや、そんなまどろっこしい推察なんかいらない。間違っていようが、ズレていようが、なかろうが……元々あの抜け策王子を殺したがっていたのはアリッサだ。こんなシナリオを描いた人物が誰なのか、猿にだってわかる構図だ。
だがもう遅い。何もかも、間に合わない。いまさら、こんなにも盛大に宣言されてしまったら、ラックさんを呼んだところで間に合わない。一度大声でそれを言われたら、取り消せないんだよ。完全に手遅れだ。
一国の代表者たる現国王がスノーに対する風評を既に固定されてしまった後だ。
スノーの不安がこんな最低な形で体現するなんて、本当に考えたくなかったよ……。
……ここで少しでも弁が立つ人間ならば、言い訳をして誤解を解けばいいだろう。
でもそれはスノーには無理だ。荷が重い。大勢の人に圧倒されてしまうくらいに、彼女には対人スキルが不足している。
俺が出張って直接ウソだろうが方便だろうが三枚舌を駆使して王様に弁明でもできたら――なんて、まるで都合のいい事を想像する。無理だ、相手はNPCだ。こちらの声は届かない。
ダメだ。この状況で何の損失も出さずに終わらせる選択肢が俺には見つからない。俗に、積んでいる。
「……。もう、奴等なんざ、どうでもいいって気がしてきた」
プッツンしたよ。頭の中の張ってた線が綺麗な音を立ててキレちまったんだよ。
今まで俺は、アリッサは王女という身分で忙しい事も多かろう、辛い事も多かろう、他者からのプレッシャーとか煩わしさもあっただろう。そんな風に考えて俺なりに気は使っていたつもりだったんだが、もうヤメだ。
思い当たる中でも、かなり過激な脱出プランを選択することにした。
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なんの力もない、一般の人々が蜘蛛の子を散らすように次々と広場から逃げ出していく。そんな中、近くにいた戦士ギルドに入そうな風貌の剣士やフルプレートアーマーを着込んだ騎士を相手に、私はただひたすらに避ける事に専念していた。彼らは強かった。一般的な剣士や騎士なんかと違って、技量もパワーも凄く強かった。彼らが精霊付きなのは明白だった。
魔法による炎が渦を巻いて襲い掛かろうとしているのを感知する。すぐさま風属性の魔法で脚力強化を図って移動し、安全を確保する。この魔法も精霊付きでなければ考えられない威力だった。
「ハッ!」
シルバーダークネスを使用して周囲を銀色が包む空間に塗り替えた。これでしばらくは――と思ったが、己がまだ変装を解除していない事を失念していて、簡単に居場所がばれてしまった。昼間の太陽がでている中で金髪は良く目立ってしまっていた。
襲われながらも回避しつつ、一つずつ変装を解いていき、ユキノではなく、スノーとしての姿になって、更に銀の雪の量を増やして姿を隠す。少し魔力を使いすぎたが、どうにかまとめての戦闘を回避はできるようにはなった。
そうすると今度は漂う雪を払いのけようと風が吹き荒れて無理やり晴らされようとする。魔力の使いすぎかもしれないが、フェイルフィンブルを使用して今度は全域を凍らせて、でも殺すのもまずいと思って範囲は限定的に、殺傷もしない程度にと出力を引き絞って発動させた。
ちょっとずつだが、倦怠感が出始めてきた。いつもはもっとゼンタロウが魔力量の管理して魔法を使っているのでここまで感じることはなかった。だがやはり、ハイペースで魔法を使いすぎている。危険な相手が多すぎるのもそうだが、私は今、非常に焦っていた。
殺せない。殺したくない。相手は自分を殺そうとしているけれど、でもまだゼンタロウが何か考えてくれている。
何か秘策を、人々の阿鼻叫喚とするこの騒ぎを収められる名案を、ゼンタロウが考え出してくれるだろう。そう、祈るように結果を待っていたのだ。
そうでなくては、私は嫌だ。
だって、あんなに皆、うれしそうな表情をしてた。楽しそうにしてた。幸せそうにしていたんだ。
煩わしいとか、怖いとか、畏れていたとか、知らない他人がどうとか、今まで勝手な我が侭を言ってきたけれど、本音はそれだけではなかった筈だった。
私は、その光景を傍で眺めているだけで、それだけで満たされていた。まるで、自分もその世界に存在していて良いって許されたみたいで、それだけでうれしかった。
今まで関わってきた皆が居たから実現していた。だからゼンタロウがエルタニアを離れようと提案してきた時『また帰ってきたらいいさ』と言ってくれたから、だから私は納得できたんだ。
そんな風に安心していた納得が今、簡単に崩れ去ろうとしている。まるで先ほどの光景の全てが嘘だったかのように。
みんなが、去っていく。
また、私の元から去っていこうとしている。
段々と体温を奪われていくように、寒くなってくる。
寂しくて、さむくなる。
『……スノー』
「ゼタ!」
ゼンタロウの答えが出た。ずっとそれを待ち望んでいた、それを期待していた。……筈なのに、その声は、ゼンタロウのいつもの煮え切らないような、飄々として、いい加減で、不真面目で、でも妙に安心感できた声とは比べ物にならない程に、違う物だった。
『プランZで行く』
ゼンタロウの声が、聞き間違いかと思う程に、とてつもなく冷徹なモノに聞こえていた。
そのプランZとは、単なる思い付きの冗談だったはずの話であった。魔属性という強力無比な力を以てして、全てを力技で解決させるという、一番酷い方法だった。その手段において、死人の有無は頭にはないからだ。
そんな、実際にやる筈がないと思っていた計画を、ゼンタロウはやると言い出したのだ。あれほど、魔属性は普段使わないと言っていたのに。
「で、でもそれは――」
『言いたい事はわかる。お前は何も悪くない。悪いのはあのクソ女と、スノーの話を聞いてたのに……ちゃんと行動できなかった俺の責任だ。ごめん、俺の所為でお前の大事な居場所が壊れちまった』
「……謝らないでください……。もともと私の我が侭で居残ったのに」
『……わかった、もう言わない』
「……そんな事よりも、この状況を、元には戻せないのですか?」
『色々考えたが無理だ。一度失った信用は修復不可能だ』
希望があると思っていたのに、ゼンタロウならばと思っていたのに。
足元の地面が、崩れ去るみたいで……そんな痛くて、暗い気持ち。
でも、でも――それでもと。何か可能性が残っていないかと、聞き分けなく口を開いた。
「それは、絶対ですか? そうです。信用はお金のようだと、ゼンタロウは言いました。紙屑になっても、その紙に、また価値を作る事はできませんか?」
『……時間があれば、可能性はゼロじゃないけど――』
「なら、それでお願いします。それでもいいんです」
願うように、すがるように、ねだるように、捻じ込んだ。
だって、嫌だから。……また自分の元から人が消えるのが、これほどまでに嫌だと思ったのだから。
どうしても……と、もう一度と願ってしまう。甘えてしまう。懇願してしまう。何とかして欲しいと。
まるで神にでも縋るような……そんな気持ちだった。
『……OK、わかったよ、スノー』
すると、ゼンタロウは先ほどまでの冷徹な語りをやめて、またいつもみたいに、軽口の口調へと戻ってくれた。ただし、まだ言葉にトゲは残っていたけれど。
『あーあ! そんな泣きそうな声出すなって! そういうの俺一番辛いから! もー無理ってなっちゃうから! せっかくの可愛い顔が台無しになっちゃうぞ。笑ってるキミが一番キュートだぜ?』
「……ッふ。なんですか、その歯が浮きそうな言葉。そんなの、今まで一度だって聞いた事ないですよ?」
『はずかしくて普段から言えるか、こんなセリフ。だけど、その顔だ。今の表情を忘れるな。いいか、スノー。逆境にさらされた時こそ不敵に笑え。そういう奴は大抵強い』
「また無茶を言いますね」
『強くなりたいんだろ? あのクソ女に飲まれたくないんだろ?』
「そりゃそうですけど」
ゼンタロウが本気の口で丸め込まれると、どうしたって敵わない気がしてくる。それにやっとアリッサを共通の認識で見てもらえた事に、どこか嬉しくも感じた。ああ、少しは不安も晴れてきたかもしれない。
『なぁに、任せなさいって。とりあえずプランZ“プチマイルド”でいくからよ!』
「え? ぷ、ぷち? な、なんですかそれ?」
『要するに今回もアドリブだって事さ‼』
すると体の主導権がゼンタロウへと移った。
それにより、少し気が緩んでしまった所為か、周囲では既にシルバーダークネスもヘイルフィンブルも既に解除されてしまっていた。精霊付き達が炎や風属性の魔法で邪魔していたから、余計に解除されるのも早かった。
『よし、思いついた!』
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エルタニア王都。王城前の儀式などにも使われる大きな広場の中。
大粒の雪が常に存在する中、徐々に霧が晴れるように中にいた人物の姿を明らかにした。
白銀の長髪を持つ小さなエルフの少女だ。
白い繊細なシノビ衣装に、背中には白枝の弓と小太刀が一本、黒のインナーと手甲くらいしか身につけている装備は見当たらない。透き通るような肌に、細身の体は握ってしまえば折れてしまいそうなほどに繊細な体付きをしていた。だが、誰もが知っている。その者の実力を。その者の強さの異常性を。
スコアランク3位、“無貌の白雪”の異名を持ち、レベルはこの場の殆んどの者では未だ到達していない77。珍しい氷属性を扱う弓と魔法に優れた謎のエルフ。
たった一人に見える人物に対して、周囲では精霊付きと呼ばれる者達は十人ほどが先頭に立ち、他の衛兵や近衛を含めると百人をも超える兵士達が既に広場に集結していた。
そんな圧倒的な数を前にしても、彼女は寒気すら感じさせる冷たいアイスブルーの瞳で、その場にいた全ての敵を見下すように眺めていた。
そして背中の白枝の弓『ルナイラの神弓』を引き抜くと、それを両手で掴み、弓としてのでななく、両手でそれぞれの枝を掴んだ。
この時点で既に、何名かの者が違和感を持った。
『何故弓を?』と。
彼女は今、矢筒を装備していなかったからだ。そしてその弓が、使い物にならない事を一目で見抜いた者達も、何名かいた。
かの美しい弓は、根元の一部が曲がっていたからだ。
握り手の場所と弦を吊る二本の白枝。その継ぎ目の片方の根元がグニャリと曲がり、アレでは矢を放っても的に当てる事はできぬだろうと思えた。
だが、彼女はそんな使い方はしなかった。
「魔力剣――二刀」
その瞬間、鋼が打たれて砕け散るような音がした。バラバラと彼女の手元で何かが崩れていき、握り手が消失していくのを何十という人々が見ていた。
『神の弓』たる存在がこの場で完全消失した瞬間であった。
だが、そこには新たな武器が誕生していた。
二本の白い、なだらかな曲線を画く短い白枝。
その白い枝を覆う、禍々しい程の黒い炎を纏った、二刀の枝。
白枝だけは――『世界樹の異色枝』だけは、全てのモノを崩壊へと導く魔の力に耐えていた。
『さてと、賭けには勝った。後は俺の仕事だな』
調子に乗るような、だが決してそれだけではないと思わせる少年の声が、どこかの世界から流れてきていた。
『安心しろよ、殺しはしない。全員峰打ちにするだけさ』