悪魔の烙印
ハツギノ之月の七節目の頭。
エルタニア王都にて、今度こそ、正真正銘の平和条約による各国の同盟が築かれようとしていた。エルタニア王国を初め、シターニア大森林の族長達、真ダンケルク王国、周辺諸国等。それに立会人には教会の中でも最高位の存在たる教皇なる御方が直々に見守っていた。
はじめて拝見したが、私以外の人達も教皇という存在は初めて見るようだ。白い服装に金と銀の刺繍をあしらった、私でもわかる敬虔そうな男性であった。種族は不明だが、そんなモノは一々気にする事でもないと思えた。
日中から各国の御偉い方々が明日からの平和を祈り、今はお互いに取り決めた公平な条約で誓いを立てている最中だった。それを町中の人達は待ち望んでいるかのように拝聴していたり、あるいは出店を開いてはお祭り状態の王都で商売に励み、弾むような演奏をして人々を賑わせ、中には無料で花を配る人だっていた。
そんな中で私はというと、すっかり街の空気に機嫌を良くして、王都の警備中だというのに建物の屋根の上で足を宙ぶらりんにして、目を瞑って街の様子に耳を傾けていた。
最近はゼンタロウや精霊マダオは毎日一日中、私達の傍にいることが多くなっていた。なんだか来年度から忙しくなるんだとか、ゼンタロウに関しては一人暮らしをはじめるために引っ越すのだとか……。そういった妙な話をしていた。精霊の世界とは一体どんなものなのか、想像するのには発想がやや困難だ。全く想像もつかない。
あと『ルナイラの神弓』についてはまだ修理できていない。直せる人物が居ないのと、居ても手が空いていない……というのが原因だ。もちろん一番最初に頼んだのはオルレ庵だ。だけど、先に機械族の使っていた長銃の方が優先らしくて今はムリと精霊ロン丼に言われてしまった。
それにオルレ庵の場合は他にもやるべき事が多いらしい。
確か、使うのを止められていた毒ガスの解毒薬の製作中だとか。結局使ったらしい。被毒者たちは今も生きていて、教会の治療でも治せなかったとか。一度完治してもまた石化が再発するとか……。どういった原理なのかは不明だが、錬金術師の毒というのは恐ろしいモノだったようだ。
そんなわけで、ルナイラの神弓は今、折畳まれて私の背中にあるという状況だ。今更だけれど、私はこの弓に思い入れがある。初めて神様から頂いたものだ。例え歪んで使えないとしても、どこかに置いていくなんて考えられなかった。
あと、別で気になったことがあったのだ。
ドワーフ族のバッハという男。彼が何故、戦争に負けたことに喜んでいたのか。
そのワケを直接聞きたかった。理由を知れば何かがわかる気もしたのだけど、残念ながら話す機会がもらえなかった。彼は今、アリッサの管理化に置かれており、彼女の許可がなければ接見もできなかった。
別段、絶対に知りたいという訳でもないし、無理に会う必要もないから良いのだけれど、必要以上にアリッサが彼の存在を隠そうとしているとも感じ取れた。それがどうしてなのかはわからないが、私はやはりアリッサが何か企んでいるのかも、と疑ってしまうのだ。
でもそんなアリッサは戦後、特に何かアクションを起こした訳でもなかったし、今だって平常通りの様子で政務に励んでいる。今でも偶に警戒はするのだが、以前の『魔物と出会った時のような危機感』は今となっては消えていた。
結局、あの感覚はなんだったのだろうか。今では忘れそうになる程でもある。単なる思い過ごしだったのだろうか、とも……。
そんな考えが脳裏に過ぎっていると、祭事が執り行われている大広場の真ん中で、粛々と神事と宣誓が終わりを迎えようとしていた。エルタニア国王が最後に宣誓文書である石版に自分の手と名前を彫った最中だ。
最後には拍手喝采で場は最高潮となり、声援を繰り返す様子は胸が弾むようだった。花吹雪が舞って人々が両手で喜びを見せていると、とても華やかしい気分にもなる。
……実は、彼等が喜ぶ理由というのは、私はあまりよくわかっていない。
知らない事情で例えれば、犠牲者が少なかったとか、ドワーフ族との交易が再開できるとか、気難しいシターニアとの良好関係を築けたとか……そういった話の事情を知らないから、私の目には彼等が喜んでいる事しかわからなかった。
そんな中で、エルタニア国王が静まるように両手を挙げて制していた。
「此度の戦争では、互いの不幸なすれ違いはあった。が、勇敢なる者たちの行動によって、その拠りを戻し、再び手を取り合うことができた。その内の一人は、我が最愛の娘であり、次期国王となる第一王女アリッサであり、王位たるドランを引き継ぐ者だ」
どうやら王様はココで別の宣誓までするらしい。次期王位の公式なる選定だ。
別に最初から決まっていた事だし、気にする事でもない。ゼンタロウも『最高指揮官として戦場を動かし、見事に大勝を治めた今がトキなんだろうな』と分析して教えてくれた。指揮とシナリオを立てたのは精霊ブラック・ラックの手腕だと思うのだけど、精霊付きでない者からすれば、精霊と精霊付きはセットの評価なのだろう。
そんな風に他人事に思いながら聞き流していると、途中から聞き捨てならない発言をし始めた。
「そしてもう一人、今回の戦争を影ながら支えてくれた、裏の主役とでも呼ぶべき者がもう一人居る。それは王街の治安を常に守り続け、エルタニアとシターニアとの橋渡しをしてくれた、とあるエルフ族の女性だ。“白き弓の射手、ユキノ”!!!」
「…………え?」
唐突に自分の名前が呼ばれた事に感情が追いつかないのに、目の前の大広場は瞬間に一気に空気が沸き立った。
大歓声とでもいえば良いのか、でもその光景は自分にはいささか不釣合いなほどに轟々とうるさく、突然の当事者にされてしまった事で、心の準備も何もなかった。
「え、え、え? あの、どうすれば?」
『うーん? なんだコレ……。話に聞いてないけど。まあ、とりあえず行ってみるか?』
「は、はい」
建物の屋根から飛び降りて広場まで着地すると、周囲の視線が一度にすべて、自分へと向いた。そして広場の中央、とんでもない権力者達が並ぶ演台の場所まで、壮大な人の群れが裂かれた道ができていた。ここを通れと言わんばかりの、凄まじい道だった。
どうしよう。とりあえずという事で同じ地面まで来たけど、息が詰りそうだ。
周囲の視線とか、自分が何を期待されているのか、大量の顔が自分に向かっているのだと思うと、胸の辺りが強張って苦しくなってくる。
「ど、ど、どう、しますか?」
『スノー、まさか緊張してるのか?』
「しなます……(あれ?)しれあす……(あれ?)して、そうです。してますス」
『……ダメだこりゃ。俺が動かそうか?』
「お願いします」
『そこは即答できるのか……』
もういっその事目でも瞑っておこうかと思うほどだった。全身の力を抜いたつもりで精霊にすべてを任せてしまうと、そのまますべてが過ぎ去ってくれればいいのにと思いながら歩ませ続けた。
こういう時、精霊に任せられるから便利だなぁと、軽く考えて意識を別のことに集中するべく気配でも探る事にしていた。中央に向かうほどに、異様な気配を持つ者たちがいる。その内の一人は冒険者ギルドのエースであるアゲイルだが、その他にはロイヤルガードと称される暗殺職でありながら、王を守る役職の者達だ。
彼等は決して持ち場を離れずに、その場で身辺警護の任務で周囲を見張っていた。……のだが、その中で一人だけ、動き出した者が居た。そいつはサッと動き出し、アリッサの元へ耳打ちをしたように見せかけ、すると今度はアリッサが王に耳打ちをしていた。
大勢の人達のざわめきや足音の所為で、私の耳でも何を言っているのか精査できなかったが、何かしらの意図があったのは間違いなかった。何せ、気になって目を開けた時に見た、国王の表情が――信じられない程に変貌を遂げていたからだ。
それは、とても、とても深い、どす黒い色を放つ憤怒だった。
その瞬間、私は再び、強大な敵と対面した時のような恐怖を感じ取った。
しかもこの感覚は、今までのホワイトジャガーだとか、ファイアードレイクだとか、そういう脅威なんかとは比べ物にならない程の、死よりも恐ろしい……畏怖があった。
歯が、勝手にガチガチとぶつかり始めた。呼吸なんかするのも辛い。
「……ゼタ」
『今度はどった?』
「……逃げたいです」
『安心しろって。俺が動かすから――』
「そうではなくッ!!」
アリッサの右手が一瞬上がり、まもなく『行け』という合図のように振り下ろされた。
まるで最初から予定していたように、近くにいた黒い気配が迫ってきた。
「敵です!」
人の渦巻く物陰から飛び出してきた存在がいた。その瞬間に回避行動を取って足蹴りを食らわした。何とか対応はしてくれたが、蹴られた人物はそのまま人の群れの中に隠れてしまった。
相変わらず、ホンの一瞬でよくもそこまで対応できるものだと関心したが、ゼンタロウも程ほどに驚いていた。
『おいおい、暗殺者に暗殺とかどういうこった?』
「アリッサが妙な指示をしてました」
『…………えええええ?』
何故かココでゼンタロウから聞いた事もない声が返ってきた。
「ゼタ? 大丈夫ですか?」
『ちょっと待って、今、どうなるか考えてる――』
コチラの深刻さに気がついたのか、一気に普段見せない真面目な対応に入ると、一人でぶつぶつといいながら、徐々に、それは今までにないほどの危機感のある声音に変化していった。
『え、いや、脳内で状況が処理できない。うっそ……ええ? このタイミングでするって事は……――オイオイちょっと、それ洒落じゃ済まねえぞ! スノー全部任せる! 急いでラックさんに連絡取って、すぐにでも止めさせてないと! とにかく今は逃げろ! これ下手したらこの場の全種族敵に回す事に――』
何か結論に至りかける前に、アリッサが声を響かせて宣言した。
「その者は、我が最愛の弟、第一王子であったユリアス王子を暗殺した下手人だと判明した! さあ、精霊達よ! 緊急イベントだぞ! 敵は裏で戦争の糸を引いていた悪魔のエルフ! 悪名高き“無貌の白雪”のスノーを討つのだ!!」
歓声は既に消え去り、ざわめきが濁流のように悲鳴へと変わる。
この瞬間、私は闇エルフではなく“悪魔のエルフ”としての烙印を押された。