二章・まさかの再会とその恩恵
ゾンネは待ってる朝の歌
ヴァルトは待ってる朝の声
朝にみんなで光を浴びて
お昼にみんなで合唱会
夕方ニコニコ満足すれば
夜はぐっすり眠れます
私たちの歌声で 輝く輝け輝きます
(訳分からん)
前を向いた志が後ろに向き直りそうだ。目の前で好き勝手に歌い踊られるのがこんなに腹が立つ事だとは知らなかった。
(目の前?)
楽しそうな二人に目を向けた時、ふ、と疑問が浮かんだ。
――二人はどこから入ってきたのか?――
窓も扉も開いた音、いや、動いた気配さえしなかった。
ならばこの二人の正体は人間ではなく幽霊の類なのか。しかし、息切れする幽霊など聞いたことが無いし第一、体が透けていない。
それに疑問はもう一つある。意味不明なウサギ耳と猫尻尾。
考えるより早く手が動いた。片割れの耳をすでに引っ張っていた。
<ギャ――――、ね> <ア――――、よ>
<痛い、痛いね> <痛そう、痛そうよ>
「掴め……た?」
掴んだ手をすぐに離し、その掴めた手の平を見てワナワナと考えられるだけ考えた。
(幽霊、じゃない……。人間でもない……)
引っ張られた(語尾に「ね」をつける)方はまだ耳が痛いらしく、手でさすっていた。
されていない(語尾に「よ」をつける)方はされた方の頭をなでて慰めていた。
とても愛らしい光景。だ、が、その脇に固まっている人、一人。
「ちょ、ちょっと、ヴァルト・ゼンガーって一体!」
思考の限りを尽くしても分からなかった。
後ろのロッカーに背中を預けても尚、気持ちがまだ下がれるだけ下がろうとする。
グレンツェンの二人を見る目がさっきまでとは全然違う。怪物でも見たような目で体もガチガチに固まっている。
二人は今までの仕草をやめてグレンツェンを見た。
《森の精霊》
ニパっと二人は微笑んだ。と、そのとき、ドアが激しく開いた。
「グレンツェン!!」
「クレフティーヒ??」
力任せにドアを開けた少年、クレフティーヒがグレンツェンめがけて一直線にやってきた。そしてかなりお怒りのようである。
しかしグレンツェンは『森の精霊』と名乗るヴァルト・ゼンガーに頭が一杯で、迫りくるクレフティーヒに何を言えばいいか分からず、慌てふためく真っ最中。
胸座を即座に取られ――
「メヒェンから聞いたぞ、さっき帰ってきただと? お前はこの大事なときに訓練サボって今までどこで何してたんだ!」
力任せに身体をガシガシ揺さぶられ、真正面から大きな声で怒鳴られた。
「いや……これはその……」
見られた。後ろの二人を見られてしまった。
どうしよう……
「森で精霊に遭遇して、帰ってきたら付いて来たみたい。あはは」なんて言ったら、クレフティーヒに冗談抜きに投げ飛ばされる!
正直に言うか、ごまかすか……
結局何も言えずに『引きつった笑み』でその場を凌ぐことになった。怒気に笑み、火に油を注ぐようなものでクレフティーヒの顔が見る見る変っていく。
「何考えてんだあぁぁ!!」
ふざけるなと言わんばかりの怒号が衝撃波となって部屋中に響き渡り、怒りを表すかのような一層激しい揺さぶりが再開された。
「お前分かっているのか? この公演、俺たち卒業生にとってのデビュー公演なんだぞ! しかもお前は俺たちのチームのリーダーだろうが! 高度なアクロバットを披露するのに、お前自覚あるのか? そもそもお前は――」
今まさに、クレフティーヒの欲求がガミガミと口うるさい小言となって解消されていく。普段が熱血な為か、こうなりだすと止まらないのである。
しかし幸いなことに、グレンツェンの耳に小言は入らなかった。
(クレフティーヒ、見えて……ない?)
思い出してみた。ドアを開けたときからのクレフティーヒの行動、口調、目線を、全てが自分一人にしか向けられていない。
例えどんなに目の前しか見えずに怒っていたとしても、すぐ後ろで異彩を放って踊る二人を無視できるだろうか?
(訊いたほうが良いかな?)
絶えない疑問は消したほうが良い。そう思ったとき、
「お前、人の話を聞いているのか?」
チャンスが来た。クレフティーヒの話が止まった。
「な、なあ、クレフティーヒ……」
腹を括ってクレフティーヒを見つめ、ゆっくりと腕を上げ、後ろで踊っているヴァルト・ゼンガーめがけて指を指す。
クレフティーヒは腕の動きと一緒に目線を上げ、指の指す方を、見た。
「……」
何の反応も無かった。眉の一つも動かさなければどっちなのか判断がつかない。
「……で?」
反応した! どっちだ? 見えたか、見えてないか。結果は…………!!!
「何でお前はこの期に及んでまで話を摩り替えようとするんだあぁぁぁ!」
目がトンガリ、揺さぶりがまた一段と中華鍋を振るかのように激しくなった。酔いやすい人ならとっくに酔っているだろう。グレンツェンも少し目を回し始めた。でも、クレフティーヒには見えていないと分かっただけでも良かった。
とりあえず今は、酔わないように頑張ることにした。
「あーもうっ! ここじゃいつまでたっても話が進まん、稽古場行くぞ、稽古場!」
一人でしゃべり続け、一人で痺れを切らし、グレンツェンの胸座を持ち上げたまま稽古場へと一人(二人)で飛び出すクレフティーヒ。そして、人知れずにヴァルト・ゼンガーも飛び出し後を追うのであった。
❀
客席の中心にある丸い台。眩い光とともに鳴り出す軽快な音楽、それに合わせて踊りだす華やかな人々。何も知らない僕には強烈に眩しかった。
光の中、高い所を歩く人にハラハラした。猛獣と遊ぶ人が羨ましくなった。
あのブランコに僕も乗りたいと思った。
高い所を飛ぶあの人達は誰? 僕も飛びたい!
すごい、すごい! ここはどこ? 人があんな高い所で踊っているよ。
ドキドキが止まらない! ここは、ここは夢の世界!!
❀
明るい稽古場、今はその光が少し眩しい。他のみんなは思った通り、訓練をしていた。朝に来ていないだけなのに稽古場はなぜか懐かしく、広く感じられた。
「こおらぁぁぁぁ気を抜くなぁぁぁぁ痛い目見るぞおぉぉぉぉ」
「うわっ! あ、ああ違うのか」
クレフティーヒを遥かに凌ぐあまりに大きな怒号だったので自分が叱られたと思ってしまったが、よく見ると声は稽古場の奥から上の空中ブランコに向かって発せられていた。
声の主はヘァリッヒ先生だった。
かつてはこのサーカス団一の実力者と云われた人で、指導にとても厳しく、サーカス学校にいた頃、みんなから鬼の化身と恐れられていた人だ。
声の向かったほうには――思った通り、シュテルンさんがいた。
シュテルンさんの曲芸は見るたびいつも息を呑んでしまう。しなやかで大きく大胆な動き、あれを見ると声を出すのも忘れてしまう。
憧れであり目標としている人、そして、自分がサーカス学校に入った理由。
「馬鹿もおぉぉんそれで客が笑うかぁぁぁぁこの中途半端があぁぁぁ」
シュテルンさんは三年前、異例の若さでピエロに抜擢された人で、今は空中ブランコから落ちて客の笑いを取る訓練をしている。
現役を引退したヘァリッヒ先生の指導も現役宛らの凄い熱血になっていた。
先生のその声が今日はなぜか胸を打ち、自分に向かって言われている気になる。
(あ、ここは訓練する場所……忘れてた)
グレンツェンは訓練のことを思い出したが、それよりも今はシュテルンの動きを見ていたくて、すぐにまた、シュテルンの訓練に魅入ってしまった。
グレンツェンは気付かなかった。魅入っている間中、シュテルンの曲芸と、一昨日昨日の自分、更には昔の自分と重ね合わせてしまい、メヒェン達のおかげで高まった訓練への意欲がどんどん下がっていくことに――魅入ったまま、気付かないでいた。
ポンッ、肩を叩かれた。振り返るとクレフティーヒが後ろにいて、その彼の立ち姿を確認すると同時に周りが賑やかになった。
今頃になって我を忘れていたことに気付き、彼を怒らせたと思って少し怯えた。
「一年のとき言っていたな、シュテルンさんが憧れだって……俺もそうだ。あの人に近づきたい。訓練しか近づく方法が無いなら、いくらでもやってやる!」
てっきり叱られるかと思った。いつも熱血で、「暇は訓練で埋め尽くす!」が口癖な奴だ。今も上を見上げたまま、熱い眼差しでシュテルンさんを見ている。
そんなクレフティーヒが自分と同じ気持ちを抱いていると知ったら、なんだか鬱陶しかった気持ちが消えた。
「うん……僕もあんなふうに出来たらって思っていて……」
普段思っていても、改めるって照れ臭い。
少し恥ずかしいと思いながらも本音を白状していた。目の横の頬を掻く、照れると出る癖だ。
「ほおぉぉう、あんな風に……ねぇぇ……」
クレフティーヒの目が光った。グレンツェンは感じた。やばい! と。
「だったら訓練しろおぉぉぉぉ!!!!」
クレフティーヒの音圧は凄まじく、体を突き抜けたような衝撃波が襲う。
油断した。一言目の意外さに気が抜けて、声の重圧に負けて体がよろめいた。やっぱりクレフティーヒだ。
「返事は?」
ドシッと構えてクレフティーヒは訊ねた。
きっと、自分の姿が二日前同様弱々しく感じられたのだろう。
自分でもそう思う。さっきまでの自分は目の前を見ていたが、本当は何も見ていなくて、後ろの、過去のことだけを気にして悩んでいただけだった。
自分はシュテルンさんが憧れだ。でも、心の底ではあの人を超えたくてたまらない。
自分が前に進むには、――そんなの聞かれなくても分っている。
「行こう、クレフティーヒ」
グレンツェンは体勢を立て直すとこの二日間見せることの出来なかった笑顔を見せ、仲間の下へと自ら歩みだす。
進む先に自分の目指すものがあると信じて。
アインとツヴァイは稽古場の片隅でネットの調整をしていた。二日前、リーダーが危うく怪我をしそうになったのはトランポリンを作る役目を担った自分たちの所為ではないか、とずっと気になっていた。本当の原因は分らないが、あの後調べてみたら修正できる箇所が数点出てきたので、昨日からクレフティーヒを含む三人でネットを調整していた。
この調整が終わればもっと強固で弾みのつく即席トランポリンの完成である。
グレンツェンが今朝から行方不明と聞いたけど、帰ってきたとメヒェンから聞いてクレフティーヒが迎えにいった。だからもうすぐ来るだろう。
「アイン、ツヴァイ!」
グレンツェンの声が聞こえた。
アインは手を止め、走ってくるリーダーを見た。思った以上にいい顔をしていて驚いたが、昨日、一昨日のことを気にしていないと分かり安心した。
「お帰り、リーダー」
「ごめん、朝からいなくなったりして」
「Neinproblem。問題ないよ、グレンツェン。僕たちも一昨日のことを反省して、君がいない間ずっとこればっかりやっていたんだ」
ツヴァイは顔を上げず作業を続けながら言った。
「アイン、手が止まっているよ」
「あ、悪い」
二人はまた黙々と作業を始めたが、グレンツェンは手伝おうかどうしようか迷っていた。それに気付いたツヴァイが声をかける。
「僕たちの作業、もう少し掛かるから体温めといたら?」
「うん、それが良いね。あ、悪い」
「まったく、アインは一つの事しか出来ないんだから。グレンツェン、これが終われば前よりもっと頑丈で弾みやすい即席トランポリンの完成だから――」
だからしばらく待っていて。後にはきっとこんな言葉が続くのだろう。再び黙々とネットの調整に勤しむ二人、今はお呼びではないようだ。
ならば今自分がするべきことは……
「分った。んん、と、そうだな。僕、上にいるよ。そこで体温めとくから、用意が出来たら合図を頼むね。僕、飛ぶから」
偶然目に入った上の台座を指差し確認をとると返事も聞かずに走っていった。
グレンツェンが去った頃にクレフティーヒが戻ってきた。
「やあクフィー、遅かったね」
「ツヴァイ、その呼び方止めろって何度言えば分かるんだ!」
クフィーに反応してクレフティーヒは目を吊り上げた。女みたいな名前で寒気がする。
小さい頃、クレフティーヒの名前が長くてクフィーと呼ばれていたが、成長するにつれて恥ずかしく思うようになり、周りに使うなと言ってきた。が、ツヴァイはクレフティーヒを恐れない珍しい人であり、反応を楽しんでいるだけで特別悪気は無い。
相変わらず嫌な奴と思いながらもクレフティーヒはその場に座り、ネットの調整をしようとして驚いた。もう終盤に差し掛かっていたのだ。
「おい、何でこんなに……もうすぐ終わりじゃないか」
「さぁ? 僕たちも不思議に思ってるんだよね。突然早くできるようになって」
作業をしたままぺらぺら答えるツヴァイ。アインは手を止め、
「クレフティーヒがリーダーを迎えに行ってしばらくしたら、何か突然早くできるようになってさ。こんなに早く……あ、悪い」
ツヴァイに無言で睨まれ、アインは止まった手を動かす。クレフティーヒも作業をしようと手を動かし、空気の流れが変わったのを感じた。空気にリズムが、歌が流れているのだ。この空間の中にいると手が早く動いた。
「天は僕たちに味方してくれるのかもね」
ツヴァイは誰に言うでもなく呟いた。
天井のライトをどこよりも眩しく感じる場所。団員たちの熱気をどこよりもたくさん感じるこの場所にいつも何気なく上っていたけど、今日はいつもより広く感じる。
下ではこの稽古場の壮大さを感じることはまず無い。清々しくていい気分だ。
合図はまだ無く、ただ待つのは嫌なのでストレッチをしながら待つことにした。
ここに上ると嫌でも、怯えて跳ぶのを怖がっていた昨日の自分を思い出してしまう。もちろん今も少し怖い。
一昨日の失敗したことを思い出すと跳べなくなりそうだ。
頭を降って弱い自分を振り払う。今は今、昔は昔だ。
一度、森に逃げ出してしまったがすぐ戻ることが出来た。戻れたのだから大丈夫、また飛べるということだ。
自分を信じろ。今の自分は昨日とは別人だ。
ストレッチの間中何度も大丈夫だと自分に言い聞かせた。
ストレッチも終わり、ふぅと一息ついた。言い聞かせるのは別の意味で疲れる。
「ん? 疲れる?」
なにかに引っ掛った。疲れる、疲れる……
「思い出した!! ヴァルト・ゼンガーがいない! あいつら一体どこに――」
顔を乗り出して下を覘き、探してみたが姿は無かった。あの二人が誰かに見つかれば疲れたではすまない、とても面倒なことが起きるに決まっている。
必死になって探すが見つからず焦り始めた。焦って、探して、思い出した。更衣室での出来事、あの二人の姿は自分以外には見えないはず、だったら何処にいようと構わない。
「良かったぁぁ――ふぅ、緊張しているのかな、僕……はぁぁ――」
一気に気が抜けてしまった。これはこれでいい事だが抜けすぎるのも逆に悪いので顔を叩いて気を引き締めた。いつでも飛べるように、と――
「グレンツェン、飛び出せ!!」
振り返って台座を蹴り、飛び出した。
眩しさと歌声で空中にいると気付き、自分がいたはずの台座を見上げていた。
(僕……飛んだ?)
飛び出した瞬間を覚えていない、気がついたら空中にいた。
(僕、飛べたのか……)
嬉しいとかそういうのは何も無かったが、落下の間に上を見上げる余裕があるのに驚き、体の身軽さと、聞こえてくる歌声が気になった。
でも、次はトランポリンで弾み直す。余計なことを考えず足に力を入れ、タイミングを取るために下を見た。
クレフティーヒとアインとツヴァイ、三人が互いにネットを引っ張り合って三角形のトランポリンを形成していた。
視線をトランポリンに向けると驚いた。ヴァルト・ゼンガーがトランポリンの上、三角形の中心で歌っている。
道理で見つからない訳だ。上の台座から唯一の死角であるこの真下にいたのだから。
歌のリズムがとても心地良かった。二人の歌が空気に溶け込むと、ふんわりと優しい空間が作り上げられていくのを感じて自分も不思議な感覚に包まれた。
この感覚に身を任せると体がより軽くなる。心が穏やかになる。
<私たちも踊るね> <私たちも踊るよ>
弾む直前、二人が子供のような笑顔に精霊の神妙なオーラを浮き出している。
二人の笑顔を見たこの時、この瞬間から時間の流れを感じなくなった。
三人でトランポリンを弾み一緒に空中へ出る、天井に向かって可能な限り上へ飛び、頭、腰、足の順に後方へ反って一回転。
直後に足の回転を止めて頭から前へ一回転、二回転、三回転、半回転、下にある頭を捻って上に持っていき、最後は着地を決めた。
指先はもちろん足のつま先、体の細部にいたる全てを正確に感じ取っていた。
こんなことは初めてだ。未だに自分が信じられない、指先がまだ震えている。
<わーい、出来たね> <わーい、出来たよ>
<やっぱり私たちのゾンネね> <やっぱり私たちのヴァルトよ>
精霊たちは飛び跳ねながら喜び自分の周りをぐるぐる回っている。でも、二人の喜びや歓声なんてどうでもよかった。
今自分が感じた感覚、頭の中はそれで溢れていた。
「おいグレンツェン!」
クレフティーヒが背中越しに突進してきた、気付かずぶつかったから余計痛い。
「あんな凄いのが出来るなら最初からやれ! 俺達をからかっているのか!?」
目頭を吊り上げるクレフティーヒ、あとの二人が悠長にやってきた。
「クフィー、そうカッカするものじゃないよ、グレンツェンの飛躍は素直に喜ぶべきだよ」
クフィーに反応し必要以上に目を吊り上げ「そんなことは分っている」と言わんばかりだが、ツヴァイは全く気にならないようで言葉を続けた。
「まぁ確かに、昨日の今日で何が君をそこまで飛躍させたのかは気になるね、アイン」
「え、あ、あぁそうだね。クレフティーヒの逆鱗に触れても仕方ないよ、さっきのリーダーのあれは今まで見たこと無い動きで、吹っ切れたとか、一朝一夕で身につくレベルじゃないし――なんか、一瞬シュテルンさんを見たような……」
何を見て言えばいいのか定まらず、アインの口が段々吃っていく。
パッと思いついた事しかいえないアインが喋りたがったとは珍しい。
誰も喋れないでいる。しかし三人の言いたいことはグレンツェンにも伝わった。『昨日と今日の違い』それはグレンツェンにとっては簡単な答えだった。
二人に会えなければ戻る気にもなれなかった。もしかしたら、今も自分はここにいずに、ずっと森に居たままかもしれない。
一昨日の恐怖が二人に会うにつれて薄れていったのも事実で、今はもう完全といえる程に無くなっていた。そして、歌を聴いてからの体の軽さ、感覚は尋常じゃなかった。
脳裏に浮かぶ自分の姿は自分でも信じられないくらい輝いている。見ていた三人にはもっと凄く輝いて見えたに違いない。現にクレフティーヒを含めアインやツヴァイは、まだ碌に自分と目を合わせられない。
「と、とにかくまぐれじゃないことを今すぐ証明しろ、もう一回だ」
クレフティーヒの無茶な注文に二人は同意した。信じたいのだ、あれがグレンツェンの実力かどうかを、グレンツェンも臆せずクレフティーヒの眼を見据え、
「分った。もう一回やるからしっかり見ていてくれ!」
言い終わるとグレンツェンは笑い、上へと駆けていった。
三人との距離を置くと、グレンツェンは後ろの精霊二人に声をかけた。
「これからも歌ってくれないかな?」
<当然ね> <当然よ>
<あなた、私たちのゾンネね> <あなた、私たちのヴァルトよ>
《私達、あなたを輝かせるため歌います》
怖いものはもう何も無かった。