お題「陶芸家」
その工房には、小さな男の子と、腰の曲がった白髪の老人がいた。
「おじいちゃん! つぎはこれ!」
男の子は生物図鑑を広げ、ページの一部を指差した。
その老人はふむふむと頷くと、電動ろくろのスイッチを入れた。
円形のテーブルが回転し、熟練の手さばきで土をこねていく。
あっという間に、人の頭がすっぽりと入ってしまいそうなほど大きな壺が現れた。
そして、老人がしわがれた指でパチンと音を鳴らすと、壺の中から白い煙がもくもくと上がり、黄色のまだら模様をした長い首が姿を現した。
土と泥の匂いの篭った工房の中に、生き物の匂いがむわりと広がる。
「すごいすごい! これがキリン?」
「そうだよ」
老人はにっこりと笑った。
キリンは工房の天井まで首を伸ばすと、食べ物を探しているのか、壁際へ頭を近づけていった。
そこには壺がいくつも並べられた棚がある。
「おお、これはいかん」
老人が壺をぐにゃりと潰すと、キリンは煙のように消えてしまった。
「あっ、もうおしまい?」
「少し大きすぎたなぁ。次は、もっと小さいやつにしようか」
「じゃあねぇ、つぎはこれ!」
男の子の次の要望は、緑のトカゲだった。
老人が土から壺を作り、指を鳴らすと、煙と共に壺の中にトカゲが現れた。
男の子が喜び勇んで壺に手をいれ、トカゲを取り出すと、キリンと同じく消えてしまった。
「やっぱり消えちゃった」
「彼らが生きていられるのは、壺の中とつながっているときだけなんだよ」
老人は優しく諭すように言った。
「おじいちゃんは何でも作れるの?」
「もちろん。ただし、壺に入るものに限るけれどね」
それからも男の子は目を輝かせて次々とリクエストをしていき、老人はとろけた餅のような笑みで応えていった。
やがて工房の扉を叩く音がした。
老人は曲がった腰で扉を開けた。
扉の前にいたのは、一人の若い記者だった。
「お時間になりましたので、お迎えにあがりました」
老人は振り返り、工房の椅子に座り生物図鑑を眺める男の子に、「少し待っているんだよ」と言った。
男の子は少し唇を尖らせたが、「次のを考えておくね」と図鑑に目を落とした。
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豪勢な応接室にて、その若い記者は老人に取材していた。
「今日も、あの工房に引きこもっていらっしゃったのですか?」
「……うむ」
「良い作品は生まれましたか?」
「……外に出す気は無いがな」
記者は視線を泳がせた。
「先ほど工房に居たのは、近所のお子さんですか? あの年で陶芸に興味があるとは、素晴らしいことですね」
「君は我が家まで世間話をしに来たのかね?」
老人は茶をすすった。
険悪な空気に耐えられず、記者は意味も無く笑って見せた。
その老人は、かつて天才として名を馳せた陶芸家だった。
コンペに作品を出せば確実に大賞を受賞し、様々な会派や団体から引っ張りだこで、評論家たちからは「壺の中に別の世界を造っている」とまで評されていた。
しかし数年ほど前に突然引退を宣言し、表舞台から姿を消してしまった。
弟子たちも離れていき、老人はもはや世間から忘れ去られた存在だった。
その記者は、元々陶芸に興味など無かった。
だが仕事の一環でたまたま老人の過去の作品に触れる機会があり、それ以来、老人の作り出した壺の魅力に心を奪われていた。
新しい世界を垣間見た感動と、自身の芸術に対する無知を恥じ、老人の才能を再び世に出すべきだと考えていた。
「陶芸に対する熱意を失っていないのでしたら、もう一度表舞台に出られてはいかがですか。あなたほどの才能を持つ者は、その義務があるはずです」
「私は疲れたのだ」
「……やはり、あの事故が原因ですか?」
記者は老人が引退する直前に起きた、とある死亡事故について調べ上げていた。
それは交差点での交通事故。
居眠りトラックが歩道に突っ込んだ先には、老人の娘夫婦と、そして老人の孫が居たのだった。
「そこまで調べているなら、答えはわかっているはずだ。もう帰ってくれ。工房に戻らねば」
「先生!」
記者の声も虚しく、老人は椅子から立ち上がり、応接室から出て行った。
記者は慌てて後を追った。
記者が何を話しても老人は聞く耳を持たなかった。
老人は外に出ると、広い庭の一角にある工房へ戻っていく。
扉は閉ざされ、老人は姿を消してしまった。
「駄目だったか……」
取り残された記者は溜息をつき、一歩下がって工房を見上げた。
何度見ても、その工房は奇妙な形をしていた。
材質は土で、全体的に丸みを帯びて、上部へ行くほど細くなっている。
それはまるで巨大な壺に見えた。