1-5 第五整備宇宙基地
第五整備宇宙基地の司令官はジャック・ドゥと名乗っていた。
本名はあったはずだが、本人も忘れてしまった。
彼は長命者だった。
異星の生物と融合し悠久の時を人間の心をたもったまま生き続ける存在。彼が融合処置を受けた時はそんなキャッチフレーズを聞かされた。しかしながら、千年を超える時間は人間の心には長すぎた。今現在、長命者と呼ばれる者たちは例外なく心を病んでいた。
「永く生きすぎてボケている」と言ったヒサメの評価は的確だった。
この時代、人類社会の支配者層である長命者たちの心はとうにすり減っていた。
人間の姿をたもつ事も難しくなり、ウネウネとした触手の中から人間の頭部が突き出ている、そんな姿になり果てていた。そのあまりのおぞましさから後世ではこの時代を「人類が怪物に支配された時代」として「魍魎期」などと呼ぶ様になったのだが、それは余談である。
ジャック・ドゥは長命者の中でも後期に処置を受けた個体であり、人としての心を比較的多く残していた。
彼は事前に予測不可能な完全に未知の出来事に対応する能力は失っていた。しかし、人類社会一般に対してならそれなりの調整が可能だった。
本来の予定では整備宇宙基地は第四で終わりだった。12機のガスフライヤーと四つの整備基地、それがセットだった。予備とも番外とも言える第五がつくられたのはジャック・ドゥの城としてだった。ときおりガスフライヤーの整備を引き受けているのはこれが公共物であるという建前を維持するためでしかなかった。
彼がこの基地をつくった目的の一つは人形姫ヒサメだった。
ヒサメ・ドールトは彼が自分の人としての遺伝子をもとに製造した彼の娘だった。自分の遺伝子をX染色体をダブルにして継承するだけでなく、最新の技術を存分に使ってその知性を増大させている。人工知能との親和性も高く、その知能は何の遺伝子操作も受けていない旧世代の人類をはるかに上回った。
そんな彼女を養育するためにジャック・ドゥは整備宇宙基地を選び、整備用資材をふんだんに与えた。そんな物より人間とふれあう機会をつくるべきだった、などと言ってはいけない。人とのふれあいなど、ジャック・ドゥ本人すら絶えてない。
リョウハ・ウォーガードのことは戦闘用強化人間の特異個体を試験運用する、という名目で引き取っていた。生まれながらの強者である強化人間がさらに鍛錬を積んだらどこまで強くなるか、好奇心を刺激された事も事実だ。自主的な鍛錬が可能な環境を整えることで彼は肉弾戦最強の守護者を得た。
(肉弾戦だけのつもりだったが、実際には戦闘全般すべてにおいて最強であった様だな。実に心強い幼子だ)
人の姿を失った基地司令はリョウハとヒサメの活躍をこっそりと眺めていた。
何か問題がおきたら自分の命令だったと証言するつもりだった。その必要はなかった様だと彼は思う。最終結果がどうなろうと、人類文明に致命的な損害を与えた異星人に一矢むくいた功績は比類ないものだと確信していた。
「とはいえ、マズイことになりましたね」
彼は地球大の惑星ならいくつも飲み込めそうな超爆発の帯がガス惑星の表面に連なっているのを眺めていた。
そこから発した電離放射線やEMPパルスはすでにこの基地の外殻を叩いている。システムの一部には異常が生じていた。爆風と呼べる陽子の大津波が襲ってくるのももうすぐだ。
ヒサメはブロ・コロニー周辺に警告を発しているようだが、どれだけ意味のある行動だろうか? ブロ・コロニーはこの基地よりはブラウから離れている。とは言え、頑丈に造られている救命ポットといえども今回の様な全惑星系レベルの大破壊は考慮されていない。
ジャック・ドゥのいる区画に他の人間が立ち入ることは出来ない。
が、彼の言葉に答える者はいた。ルシエという名の人工知能だ。彼女は元々は長年彼に仕えたメイド型アンドロイドだった。しかし、ジャックが人の姿を失うのにしたがい彼女も人型の筐体を封印して人工知能としてのみ稼動していた。
「はい。現在の放射線量なら持ちこたえられますが、この後大量のアルファ線がやって来ます。被害の推定は現状では不可能。ですが、この区画には致命的な影響が出る可能性が高いです。早めの退避を勧告いたします」
「無理ですよ。私の身体は救命ポットには入りません」
「ですが、ここは第五整備宇宙基地の中で一番ブラウに近い所です」
「人間を信用せず、自ら遠ざかったツケが回りましたかね」
この宇宙基地は大きく分けて三つの区画からできている。
ブラウから一番遠い所にあるのが整備ブロック。現在はガスフライヤー金剛が停泊し、作業用アームに包まれて整備を受けている。小型の貨物用宇宙艇がやってきてコンテナを開いているようだが、アレは何をしているのだろう? 引きこもりの人形姫ヒサメが統括する無人の工場区もここにある。
真ん中にあるのが回転により重力を発生させている居住ブロック。各種整備を行う作業員の居住区で、戦争狂リョウハのトレーニングエリアでもある。
そして三つ目が遮蔽ブロック。基地全体を覆う巨大な半球で、ブラウからときおりやって来る荷電粒子などを遮断する機能がある。ジャック・ドゥの住む司令室はここの要の位置にあった。取り外しは不可能だ。
「ジャックが助かる方法が一つだけあります」
「ほう、どんな?」
「遮蔽ブロック全体を分解します。バラバラにした断片でこの中央部分をカバーすれば放射線の遮蔽は十分に可能です」
「非常に残念ですが、却下いたします」
「そう、ですか」
「そんな事をしたら基地の他の部分が壊滅するではありませんか。基地の司令官が自分が助かるために基地のすべてを犠牲にする、これは非常にみっともない。醜いのは外見だけでたくさんです。私も心まで怪物になったつもりはありません」
ジャック・ドゥは人間の頭部を移動させた。居住ブロック・整備ブロックを直接見ることができる窓の前へ。外からは人間の頭部のみが見えて触手は目に入らない小心者の位置どりをする。
もちろん、彼が見ているのは工場区だ。
人助けのために奮闘している愛娘も、そろそろ通信障害のためそれが難しくなっているはず。惑星ブラウの超爆発に気づいて恐怖しているだろうか? あの子は彼の百分の1も生きていないのだ。いかに優秀でも感情は豊かだ。
「私はあの子たちを守るためにこの身も遮蔽物として使いましょう。人体に含まれる水や脂肪もそれなりに遮断効果があったはずです」
原子力の黎明期からファットマン効果として知られている。
彼は何かを思い出そうとするように頭部を傾けた。
「はて、こんな時にやらなければならない事があった気がするのですが、何だったでしょうか?」
「わかりかねます」
「ヒサメにかかわる何かなのですが」
「……了解しました」
ルシエの声はただの人工知能であるにもかかわらず、どこか微笑んでいる気配があった。
「心当たりがあります。そちらは私がやっておきましょう。主様はどうか心やすらかに」
「そうですか。あなたのやる事なら間違いはないでしょう。任せましたよ」
「承りました」
ジャック・ドゥはまぶたを閉じて人としての思い出にすがろうとした。
ここ100年ぐらいで自前の脳細胞の記憶がまったくあてにならなくなっている事に気づく。基地のライブラリから記録を呼び出せば走馬灯のかわりぐらいにはなるが、それも無粋であると考えなおす。
「どうあっても、私はここで終わった方が良いようですね。私、という存在はとっくに終わっているような気もしますが」
『汝、長命、過剰。告、輪廻、帰還』
幻聴が聞こえた。
一方、人工知能のルシエは人形姫ヒサメに向かって最後のメッセージを送っていた。
『愛しているよ、ヒサメ。最期の瞬間まで愛している。……ジャック・ドゥ』
そして、人の心を理解する人工知能は誰もいない空間にささやいた。
「わたくしも共に逝きますから、主様も最期の時までどうか心やすらかにお過ごしください」