1-3 大戦果と超被害
リョウハ・ウォーガードはステーションの回転方向に合わせたランニングをしばらく続けた後、自室に引き上げた。中尉という階級があるため、彼には小さいながら個室が与えられている。ただし彼の階級は名誉職としての意味合いが強い。士官であるのに彼には固定の部下は付けられていなかった。
汗を拭き、実戦用の装備を身につける。
まだしばらくは猶予があると知ってトレーニングを続行したが、それももうおしまいだ。そろそろ、亜光速物体がブラウ惑星系に近づいてくる。ここから先は何が起こるか分からない。ひょっとすると次の瞬間にはそれと気づく事もなく命を奪われ宇宙の塵となっているかも知れない。
いかに彼が強化人間としても規格外の格闘戦能力を持っていようと亜光速で飛んでくる砲弾の前では無力だ。
「ヒサメ、どうなった? 敵はまだ接近しているか?」
「作戦は呆れるほど順調。亜光速物体はリョウハが予想した進路を正確にたどってる。それにしても、本当に常識外のスピード。まさか、星間物質を利用して進路を変えられるなんて」
「光速の98%ぐらいでそうなるらしいな。恒星間空間での話だから、この辺りでならもっと遅くとも可能だろう」
個室の中だというのに、ヒサメ・ドールトはまったく遅滞なく言葉を返してきた。彼女のハッキングはどこまで進んでいるのやら。プライバシーも何もあった物ではない。
「リョウハの名前の威力も大したもの。防衛ステーション7箇所は全てが爆裂弾を発射した。こちらが求めたより大量に撃ちまくっている」
「それは俺の名か? 人形姫ヒサメの名の方が大きいんじゃないのか?」
「命令に私の名は一切書いてない」
「だけどここにいる事は知られている。肉弾戦専門の俺は単なる名義貸しだと思われているだろう」
ヒサメは軍属ではあるが戦闘要員ではないので、戦闘行為に対して一切の命令権を持たない。ま、正式な命令権を持たないという意味ではリョウハも大差ないのだが。
リョウハとヒサメ、どちらの名前の影響が大きかったのか。どちらにも大きな意味はなく、単に前線がはじめての出番に舞い上がっただけなのか、それは永遠の謎だ。『神』だってその答えを知りはしない。
「とにかく、目標物の進路と爆裂弾の展開は順調。後は相手が気まぐれを起こさないか祈るだけ。アレがほんのちょっと増速するだけでも破片が飛散する前の空間を通過されてしまう」
「あいつは増速しない。星系内を飛ぶのは不慣れだからだ。そして減速もしない。あれ以上遅くなると舵の効きが悪くなるからな」
「それは根拠のある意見。だけど、正解の幅が広すぎる。実用性はない」
「まぁ、ただのカンだな」
ヒサメはリョウハの前の空中に現在の戦況と光学観測映像を投影した。
この時代、人間の脳内に直接情報を送り込むことも可能なのだが、戦闘用であるリョウハは基本的にスタンドアローンで稼働している。
亜光速物体は流線型をした、銀色の細長い姿をしていた。どんな素材でできているのか細長いボディをしなやかに波うたせる事も可能なようだ。そして最大の特徴は
「翼がある?」
「揚力を発生させているわけじゃない。どちらかというと、アレはひれ」
「宇宙の海を泳ぐ魚か。宇宙クジラとでも呼ぼうか」
「クジラは魚じゃない」
「あいつにふさわしい魚が思いつけなかったんだ。宇宙メダカとは呼べない。コロニーよりデカイんだろう」
「ん、三倍ぐらい」
宇宙戦闘というものは基本的に気が長い。
短いのに長く感じられるジリジリした時間が流れる。亜光速物体は罠に向かって飛び、それを何もできずに眺める。
「爆裂弾の動作時間。爆散円が広がる」
「表示は変わらないぞ」
「そっちは観測映像。光速度のタイムラグがある」
と話している間に亜光速物体は荷電粒子帯に接近。予想通り進路を変える。ほぼ同時に無数の爆裂弾が炸裂、破片の雲を作り上げる。
「!」
やった、とリョウハは拳を握るが、それはフラグだった。亜光速物体は圧倒的な威力のビームの奔流を発射、破片の雲に穴をあける。しなやかなボディをくねらせてそこを突破する。
「失敗か」
「まだ、残っている。馬鹿が一人、となりのステーションと撃つ弾数をはりあった。最後にはとっておきを持ち出した。炭素結晶爆裂弾を」
炭素結晶が強調表示される。岩塊の間をくぐり抜けた亜光速物体の正面を綺麗に捉えている。
今のビームと機動にエネルギーを使い果たしたのか宇宙クジラの反応が鈍い。広がる炭素結晶の爆散円に頭から突っ込んだ。
「馬鹿に乾杯!」
秒速30万キロでの激突は対象の硬度にかかわらず破滅的な事態をもたらす。
最低でも一発が宇宙クジラの正面やや右寄りに着弾したらしい。圧倒的なエネルギーが全長100キロにおよぶ巨体を縦に引き裂く。巨体が時計回りにスピンをはじめる。
何かが誘爆し、光と破片が撒き散らされる。
「凄い、凄いよリョウハ!」
戦慄の鬼神はニヤリとした。
得意満面。いわゆるドヤ顔というやつだ。
クジラは分解をはじめた。
縦に横に分裂する。その一つが、軌道を修正するような動きを見せる。
「本体が逃げる?」
「違うぞ、こいつは……」
軌道を変えたそれはそれが最後の力だったように爆発、更に細かい破片となる。
「嫌な予感がする。破片が飛んでいく先には何がある?」
「ブロ・コロニーが」
「思ったより根性のある奴だ。生存より任務の達成を狙いやがった」
「どうにかならない?」
「無茶を言うな。ただの破片になった亜光速物体なんてどうやって止めるんだ。と言うか、相手は亜光速だぞ。見えている時点で実際にはもうぶつかっているかも」
「でも、でも、あそこには」
「大切な人でもいるのか?」
「贔屓にしているオオグロ電気とフクブクモーターの本社と工場が」
「それは諦めろ」
人形姫ヒサメ・ドールト、引きこもりで機械オタクの趣味人である。
「諦めきれないから周辺に避難指示を出しておく。上の連中は長く生きすぎてボケてるみたいだから当てにならない」
「任せる。手伝ってやれなくてすまんな」
リョウハはこの戦闘の後世での評価はどうなるだろうかと思案した。
防衛戦に失敗した敗北評価か、侵攻部隊の殲滅には成功した引き分け(相打ち)か。はたまた、宇宙の他のどこでもなし得なかった亜光速物体の撃破に成功した大勝利か。
彼、個人としてはこの戦いはヒサメに対して彼が無力でないと証明するために始めた物だ。それを作戦目的とするならば大勝利だ。
だが、彼は名目上だけでも人類統合軍の士官だ。ブラウ惑星系に住む者たちの安全を守る義務がある。サキモリたちに対する越権行為の命令も「その義務を果たすためなら許される」。士官としての彼の作戦目的から見ればコロニー一つ分の住人を守れなかったことは大敗北と言える。
『無力ではない』と『戦果をあげる』は必ずしも=では繋がらない。それだけの事だ。
(俺が勝つには全軍の指揮権を掌握する必要があったのか? コロニーへの事前の避難指示や、被弾した亜光速物体への追撃がかけられるほどに)
たかが中尉にそれはあまり現実的でない。彼は考えるのをやめた。
リョウハの前に投影されていた映像も消えた。
戦争狂の強化人間は「状況終了」とつぶやいて息をついた。
ブロ・コロニーが破壊されたら避難民の収容をはじめとして彼の仕事も増えるだろう。だが、今はとりあえず一休みだ。
このとき、彼は重大なミスを犯していた。
いや、リョウハとヒサメ、二人のミスと言うのは酷だろう。もともと彼らにはこの惑星系の防衛を指揮する権限も、第五整備宇宙基地を守る義務も持っていない。だが、人形姫がコロニーの人間の避難に心血を注ぎ、手軽な観測手段を失った戦争狂が状況終了と宣言したことで、亜光速物体の残りの部分の挙動から完全に注意がはがれた。
物体のほとんどの部分は『過ぎ行くもの』という名称にふさわしく、そのまま恒星間空間のかなたに飛び去るコースをとった。が、ほんの一部は惑星ブラウへ接触するルートをとっていた。
あくまで接触であり、大気圏をかすめるだけであったのは幸いだった。惑星の中心核を直撃するコースだったなら、ガス惑星の主成分である水素やヘリウムに着火してブラウは恒星化していたかも知れない。そうなった場合の被害は惑星系全滅的なものになっただろう。大気をかすめただけでも十分に破壊的だったが。
そこで起こったことは控えめに言って大爆発だった。
その圧倒的な運動エネルギーが伝わるだけでも地球など10回破壊してもまだおつりが来るレベルだが、圧縮された水素やヘリウムはたやすく核融合反応を起こした。その反応は全長10万キロの帯状に続いた。大気の上層部だったので核反応が続くことはなかったが、その爆発はガス惑星の形を歪ませるのに十分だった。そして、大気の一部はプラズマ化して宇宙空間へ飛び出した。
むき出しの水素の原子核、すなわち陽子の大津波が宇宙を伝播する。
陽子の放出は一般にアルファ線などと呼ばれる現象だ。
宇宙空間さえ揺るがす巨大なエネルギーがブラウ惑星系のすべてを覆いつくそうとしていた。