308号室、困惑色。
「…」
沈黙が痛いとはまさにこの事だろう。
俺は今更になって自分のしたことに後悔をしていた。
なんで中には入ろうと思った、俺。
入った後のことをちゃんと考えていたのか、俺。
思わず白石さんとかいう人の病室に入ってしまったのだけれど、相も変わらずここの住人である眼の前の少女は黙りであった。
これは故意でやっているのだろうか?
いきなり入ってきた俺を警戒して?
…そりゃあ警戒しますよね!不審者だよね、俺!
軽率な行動はするものではないと実感する。
俺は静かに閉められた扉の前で深くため息をついた。
「っ!」
そして物音を立ててしまったことにマズイと思い口を塞ぐ。
これは確実に俺が部屋にいることがバレたに違いないだろう、そう思った。
しかしそれでも彼女は振り向きはしない。
こんなにも俺の存在に気づかないなんて可笑しすぎる気がする。
無視しているにしても、さすがにここまでする人はいないだろうし。
もし故意だったら俺帰るもん。
でも気づいていないなんてことはもっとないはずだよな。
何か変だ。
俺は少しだけ、前に進んでみる。
そこで少女の視線は窓から外れた。
そして完全に俺と目が合う。
そこにいる少女の目はとても綺麗で、俺は目を奪われてしまったんだと思う。
この世界の汚いところを全然知らないような、そんな目。
ハッと我に返る。
これは完全に俺のことを認識した合図だ。
さすがに何か言われるだろう。
俺はゴクリと息を呑んで言葉を待った。
「…え?」
そして彼女の視線は俺からもそらされ、何も言わずに体育座りをして足を抱え込む。
そこに顔を乗せるようにして座る彼女の目には感情が見られなかった。
そんな目をしたことにも驚いたが、俺を認識していないことにも驚いた。
一体どういうことなのだろうか。
ちょっと俺分からない。
頭痛が痛くなってきた。
人様の病室に入ったことへの天罰ですかこれ。
俺は頭を抱えながらも、もう本人に聞いたほうが早いという考えに至る。
「あの、黒岩と申します」
「…」
返事は返ってこない。
め、めげるな俺!
「と、突然で入ってきてすみません、これには深い訳がですね」
視線すら合わせてもらえない。
ガン無視レベルの話ではない。
これは、存在否定に近い仕打ちである。
心がもう折れそうになっています。
俺は、一歩ずつ近づきながら声をかける。
もしかしたら耳が遠いのかななんて思って。
だから今の距離は30cmほどだろうか…きっと手を伸ばせば触れる距離だ。
なのに彼女はその姿勢のまま動こうとはしなかった。
「…」
少し考えて、俺は肩を叩いてみた。
ビクッ
明らかに大きく揺れた肩。
もしかして今俺に気づいたのか?
いやいや、そんな訳ないか。
いきなり肩叩かれれば驚くよな。
目の前の白石さんは恐る恐るという感じで顔を上げた。
そしてキョロキョロと周りを見渡す。
俺はすぐ横にいるというのに。
これは小学生の頃よくやってた
『あれー、黒岩どこ行った?てか黒岩って誰だっけー?』
というイジメだろうか。
おい、目の前にいるだろうが。
という怒りが湧きあがるあの有名な遊びだろうか。
「…誰か、いるんですか?」
「え?」
しかしどうやら違ったようだ。
不安そうなその声が、ひとつの真実に行き着かせる。
もしかしたら彼女は目が見えないのだろうか?
「あの、もしかして目が見えなかったり…?」
「もしかして松川先生ですか?」
そして成り立たない会話。
松川とはきっと医者のことだろう。
先生ついてるし。
俺は考える。
彼女は多分目が見えないのだと思う。
そして、多分耳も聞こえていない。
ということは俺はどうやって目の前の彼女と会話を成り立たせればいいのだろうか。
「あの、せ、先生…?」
話しかけても黙っている松川先生、みたいな状況になっているが、俺は松川でも先生でもない。
そんなことも伝えられないため、彼女の表情はまた不安な色になっていく。
あーもう!どうすればいいの!
明らかに自業自得な中、俺はアタフタすることしか出来ない。
だからと言って状況が変わるわけもなく、悪化していく一方だ。
もどかしい。
とてももどかしく感じた。
人と言葉をかわすことはこんなにも難ししいモノなのかと改めて感じる。
毎日当たり前のようにしていた"言葉をかわす"ということ。
俺はまた一つ大きくため息を吐くのであった。