蜂蜜色の檸檬
絶望的な状況下で、店内奥にいたであろう男の人が不思議そうに外へ出てきた。それは恐らく俺がここまでやって来る羽目になった元凶、目的の人物だということは安易に分かった。そんな彼は俺の顔を見れば、目をぱちくりとさせクシャリとした顔で微笑んだ。
「あれ?那津くん?」
「……ナカさん!」
俺が彼を自分の知り合いだと認識し、声を返せば姉さんの動きが止まる。しかし俺としては、とりあえずの問題が解決して心底安心した所為で 〝姉さんの電話の相手がナカさんで良かったな〟とか〝そう言えばナカさんって那珂さんって言うんだな〟とか大したことでないことを考えていた。そして完全に良樹の存在も忘れていた。
「待ってごめん。私、今の状況に理解が追い付いてないんだけど……2人で嬉しそうに微笑みあわないでくれませんか白石さん」
「那津、説明」
姉さんは那珂さんへ、良樹は俺へと詰め寄る。先程まで説教モードであった姉さんは今は珍しくオドオドとしていた。それは確かに珍しい光景だが、それよりも説教がなくなる流れになっている気がして嬉しい。
「えっと…取り敢えずどうしよう…那津くんたちはどうやってここまで?」
「あーチャリンコです」
「そっか…なら車で移動も難しいかな…」
腕を組み思案する那珂さんは、おそらくここ以外のどこかで話をしたいのだろう。確かにいつまで経っても店の入り口で立ち往生していては他のお客さんに邪魔になってしまう。まぁ、入り口2つあるから問題ないと思うけど、そろそろ店員さんの視線が痛くなってきた。
すると横にいた姉さんは腕時計を見てから、口を開く。
「取り敢えず私の車に乗って……車の中で話しますか?それならまだ迷惑にはならないと思いますし」
「いいんですか?」
「構わないですよ、軽自動車ですけど割と広いですしね。少し古いですけど、気にしないでください」
姉さんは苦笑して、そう言った。
新車はお金がかかるからと言って知り合いから中古車を安くで譲ってもらったものだから、うちの車は扉の開け閉めのときに少し軋むくらいには古い。それでも3年間、ずっと買い替えずに使い続けているのは姉さんが俺のために節約してくれているからだ。
「僕の車も似たようなものですから」
那珂さんはそう言って店の扉を締めた。店内の光がなくなり、街灯の光だけが頼りになる。ようやく明るさに慣れた目が少しクラクラしながらも俺は目を凝らして先を進む姉さんたちの後をついていく。
「那津」
「なに?良樹」
「あれ誰」
先を行く姉さんと那珂さんの背中を見ながら、小声で隣りに居た良樹が話かけてきた。そう言えば良樹にしてみれば何が起こっているのか、今の状況の意味が一番分からないはずだが俺はすっかり説明を忘れていたわけで。彼が怒っていないのが幸いである。
「あぁ、えっと……白石さんのお兄さん」
「……なんだそれ、なんで雪那さんと?」
「俺も聞きたい」
世間は狭いとはこういう時に使うのだろうと思う。もう会うこともないのかと思っていた那珂さんにはすぐに会えたし、会えたと思ったら姉さんの知り合いだし。
眉間にシワを寄せる良樹に、俺も首を傾げるしかない。もしかしたら何がどうなっているのか分かっていないのは俺も同じかもしれない。
「那津、良樹くん。早くー」
少し先の駐車場で、姉さんが叫ぶ。その後ろには黒色に見える4人乗りの車があり、黄色いナンバープレートの軽自動車が目に入った。そして那珂さんの向こう側に姉さんがおり、今車の鍵を開けているところだった。
俺と良樹は互いの顔を見合わせ、取りあえず小走りで姉さんたちの方へ駆け出す。
「じゃあ、ひとまず那津は……良樹くんと後ろね」
「あ、うん」
「……分かった」
「白石さんもどうぞ」
「失礼します」
そして促されるまま軋むドアを開けて、車へと乗り込んだ。那珂さんも助手席へ座る。
車内はきちんと整理されており、座席にはティッシュケースもついていれば足元に小さなゴミ箱もある。しかも潔癖を疑いたくなるくらいゴミ箱の中身までキレイだ。古い車だが、それも分からないくらい姉さんの綺麗好きレベルがよく分かる車になっている。
ちなみに俺はズボラであるが俺たちはれっきとした血の繋がった兄弟である。
「取りあえず確認ね。那津は白石さんと知り合いなの?」
ぐるりと車内を見渡して気の抜けていた俺へ、姉さんはため息をつきつつ問いかける。その呆れた顔に俺は視線を外した。あとで家で怒られる気配を察知したのだ。
俺は那珂さんへと視線を向ける。
「まぁ、知り合い……ですかね?」
「うーん……知り合いと言うより友人かな。病院で知り合ったんです」
友人、そう言われて俺は少し嬉しくなった。だって話した回数も多くはないし、初対面のときの印象は良くなかったはずなのに。それでも俺は那珂さんの友人という位置にいていいのだ。白石さんと言い、この兄妹は優しすぎるのではないだろうか。
ニコリと笑いかけてくれる那珂さんに姉さんは訝しげにしているが、なんとなく納得はしたようで「そうなんですね」と小さく頷いた。それを見た那珂さんが、言葉を続ける。
「2人は姉弟、ですか?」
「はい、弟がお世話になってるみたいで」
「逆に僕がお世話になってますよ」
「お世話だなんて、俺のほうが……」
「それで、雪那さんとの関係は?」
一瞬にして謎に和んだ空気になってきていたとき、良樹が口を開く。そう言えば大事なことを忘れていた。それを知るためにここまで来たというのに、那珂さんの不思議な和やかさに本来の目的を失うところだった。
姉さんは目をぱちくりさせて、難しい顔をした。
――その反応はなんだ。
何か言えないような理由があるのかと勘繰ってしまう俺だが、横を見ると俺よりも分かりやすく眉間にシワを寄せる良樹がいた。飼い主を取られた猫のように見えたのは俺だけではないはずだ。
「黒岩さんも病院で知り合ったんだ。迷惑かけてしまったし、お礼にお茶でもどうかなと思って」
そんな俺の友人のことは特に気にしていないのか分からないが、那珂さんは変わらない調子で笑顔を見せる。そんな那珂さんを姉さんはまた目をパチパチさせて見ていた。
姉さんの様子がいつも以上におかしいのは気のせいではない気がする。しかし那珂さんが嘘をついているようにも見えないし、もう何を信じればいいのかわからない状態である。
「とりあえず……どうしましょうか?」
姉さんは考えることを放棄したのか、話題を別のものへと変える。俺ももういいかなって思い始めていたところだったのだが、難しいことは後回しにするという思考回路はまさに似た者姉弟である。
「もう9時過ぎちゃいましたし、解散にしましょうか……高校生を遅い時間まで連れ回すのは良くないですしね」
腕時計を見た那珂さんにつられ、姉さんも車のデジタル時計に視線を落とす。
「あー……確かにそうですね、那津たちは自転車でしょ?どこ置いてるの?」
「あの家の裏」
「また随分暗いところに置いたのね」
俺が指をさせば姉さんは表情こそ変えないが、声のトーンがだいぶ下がった。隠れて後をつけていたことがモロバレである。いやもうとっくにバレてはいたのだけど。
「え?まぁ……あはは……よし、帰るぞ良樹。那珂さん、また!」
俺は逃げるが勝ちということで、良樹の背中を叩き先に車から出る。急いで軋むドアをしめて帰ろうとするが、隣に座っていたあいつが出てくる気配がしないため振り返った。
「なんでまだ座ってんの!?」
そこには車から出てくる気がないのか、良樹が座ったまま何かを話している姿が目に入った。何を話しているのかわからないが、那珂さんが困ったように笑い、車から先に出てきた。
……何があったかわからないが、とりあえず良樹に追い出されたように見えるのだが、気のせいであってくれ。
「どうしたんですか?」
「良樹くんが、黒岩さんと話したいことがあるらしくってね。そうだ那津くん、連絡先交換しようか」
そして流れるように俺たちは連絡先を交換した。
これができる大人というやつなのだと俺は思った。やはり姉さんを誘った人はかなりのやり手のようだ。俺の予想は間違っていなかった。
俺たちを照らす月明かりは上へ上へと伸びていた。
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色彩リメイク出ました。
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