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色彩  作者: 蒼依ゆき
第二章
32/37

紫苑色の18時

 俺はきっと今、人生で初めて身長が低くて良かったと思っている。


 隣では小さく、くしゃみをする白石さんが俺の手に引かれて歩いており、彼女には俺が今日羽織っていた学校指定のカーディガンを着せている。束ねられた長い髪からは未だに雫が滴っていた。


 ――最近は暑くなってきたからカーディガンでいいやと思って着てきてたんだけど……


 俺はチラリと横に視線を移し、すぐに逸した。カーディガンではなくコートだったらもっとうまく隠せたのだろうが、この季節にコートは流石に着ないだろう。こんなことになると分かっていたら着て来ていたに決まってる。


 俺は言い訳を並べつつ、一向に来ないエレベーターを待つ。急いでいる時ほど来ないエレベーターに腹が立ちそうだ。


 ついさっきも、エレベーターが来なかったため俺は階段から病室に置いてきた傘を取りに行った。


 外が雨だとわかっていたにも関わらず、荷物になると思って傘をおいてきた自分に文句を漏らし、息を切らして屋上に戻ってくると入口にいるはずの彼女の姿が見当たらず焦ったのはつい先程の記憶だ。


 それでも少し離れたところに白石さんの姿が見えたときは安心よりも驚きが大きかった。


 そりゃもうずぶ濡れだったのだ。誰もいない屋上庭園に一人で佇み、曇天の空を見上げている彼女は置物みたいで。何か大事なものに置いて行かれてしまったかのように見えた。


 ――あぁ、だから雨は嫌いなんだ。何もかも奪っていく。



 一体何がどうなってそうなったのか、頭の中が疑問符でいっぱいだったが取り敢えず傘をさしてあげなければと思い、頭を軽く振る。しかし近づいたまでは良かった。目の前の彼女を見てギョッとした。


 最近は蒸し暑くなっていて、当然白石さんの服装も薄着だったのだ。しかも部屋から出ることがない白石さんの薄着具合といったらきっとシャツ1枚だったのだろう。


 ――さて問題です、雨に濡れたらどうなりますか………そりゃあ透けますよね。


 そんなサービスショットみたいな、ラッキースケベみたいなものはいらなかったと切実に、切実に。思う。現在進行形で。


 ようやく来たエレベーターに乗り込み、つい先程のことを思い出して再度ため息を一つついた。


 さっきは正直どうしようかと思ったし、頭真っ白で思わずチョップをしてしまったのだが今回は白石さんが悪いのだから許してほしい。


 今日の俺はカーディガンしか着てないし、とりあえずこれしかないから羽織らせてはみたけどカーディガンだから前の方がちゃんと隠れないし。それが絶望的だったし、理由がわかってない白石さんは遠慮して脱ごうとするし。


 ――目のやり場に困った。本当に。現在進行形で。


 でもどうにかしないといけない状況で、ボタンをしめれば上手いこと隠れるんじゃないかと言う思考に至ったときは取り敢えず自分を殴った。自身を容赦なく殴ったときの頬がまだ地味に痛い。


 人通りの少ない廊下を抜け、誰にも会うことなく病室へたどり着く。俺は部屋の戸を開け、再度彼女へ視線をうつした。


 彼女は俺の貸したカーディガンをしっかり上ボタンまで占め着ている。しかしカーディガンも限界を迎えているらしく、水で重くなっているように見えた。


 ちなみに結局身長が小さかったおかげで白石さんにぴったりなカーディガンの前のボタンは俺が占めた。指先まで冷たくなっていた彼女はなかなかボタンが閉められずに困っていたのだから仕方がなかったのだ。


 ――不可抗力だ不可抗力だと無心でやりましたとも。

 これでなんとか隠せました。


 そもそも俺が男とわかってるのにこういう事をさせる白石さんが悪いのだ。俺は何も悪くない。俺は何か悪いことをしましたか。



「ありがとうございます、すぐに着替えちゃいますね」



 白石さんに変えの服がある場所を教えてもらい、服を引き出しから出して渡した。誰にでもいいから、しっかり本人の許可を取って引き出しを開けたのだと主張したい。


 シャッと閉められたカーテンの向こうに彼女が隠れれば安堵からか、一気に脱力感が俺を襲ってくる。


 最後の最後まで心を擦り減らしてくるのだが、雨に打たれたこと以外彼女は何も悪くないのだ。悪気はないのだ。しかし俺が男だということを再度理解していただきたい限りである。


 まだ心臓は早く脈を打っているようで、変な汗が止まらない。


 それでもやっと一段落したお陰で気が緩んだ俺は、近くにあったパイプ椅子へ腰を下ろすと、無意識に先程の屋上の光景を思い出してしまった。


 更に早くなった気がする心臓に俺は首を横に振る。

 俺はまた立ち上がり雨水が滴る傘にビニール袋をかぶせ、壁へと立てかけた。


 ――年上の女性に失礼です、といっても数個上なだけなんですけど……そういう問題じゃないでしょうが馬鹿。


 こんな状況を白石さんのご両親に見られたりしたら確実にやばいだろう。恐らく生きていくことも困難な状況になる。俺は血の気の引く思いで再び椅子へと腰を下ろした。


 ―――あれ、これはよく考えなくても今自分でフラグ立てたのではないか?


 それに気づいた俺はさらに血の気が引いていく。


 ――どうしょう! 帰るか? 何白石さんにも言わずに!? 話しかけるか? 今白石さんに話しかけるとか無理だけど!? それは流石に不可抗力でも覗きになるからね? 俺犯罪者になりたくないよ!?


 俺は落ち着きなく立ったり座ったりと、オロオロしていた。

 そして悲劇はやってくる。


 ガラッ


 無情にも開かれた扉。その向こうには女性が立っていた。

 髪を短く切りそろえた清潔そうな、その人は白石さんと言うよりも白石さんのお兄さんのナカさんに似ている気がした。 


 その女性は戸を開けるなり目の前でオロオロしている俺を見つけると切れ長のその目を怪訝そうにしてこちらを見る。


 これは本当に終わった、そう確信してしまった。

 会ったことはないが、流石に分かる。



「…誰ですか」



 そこに立っていたのは、白石さんの母親であった。



「えっと、白石さんの友達です」


「え、那津(なのつ)は記憶が戻ったんですか!」


「あ、いえ、あの…僕はこの間までここに入院してて、それで知り合っただけで…」


「病院で知り合い?」



 「病院で知り合った」そう言った瞬間、冷たい目で殺されそうな気がした。そこからの疑いの目が痛くて俺は死にそうになっている。


 確かに病室から出ない白石さんとどうやって知り合ったんだよってなりますよね、はい勝手に人様の病室に乗り込みましたとも! つい横顔に見とれちゃいましたとも!! 部屋間違えたならそのまま無言で帰れば良かっただけですもんね! 人間「つい出来心で」ってよくありますよ。



「…ちょっと、あなた那津(なのつ)に何したんですか」


「え…あ、」



 そして更に詰んだ。


 閉まっているカーテンをみて、母親の危険人物を見るかのような疑いの目は更に深まる。


 開き直りかけていた俺の精神ゲージが急下降していく。そしてズカズカと中に入ってきてカーテンを思いっ切り開け放つ。俺は思わず顔をそむけた。



那津(なのつ)…! なんでこんなに冷たくなってるの!」



 そこにはきっと着替え中の白石さんがいたのだろう、更に顔面蒼白になっているに違いない。何があったんだって感じだ、雨に濡れたせいで体温下がってるだろうし。


 そして足音がこちらへ近づいてきて、俺の前で止まった。

 俺は恐る恐る顔を上げる。



「もしかしてあなた、那津(なのつ)を外へ連れ出したんですか?」


「あ…はい」


「こんな状態の子を外に連れて行こうだなんて常識的に考えておかしいですよね?」


「いやでも、ずっと部屋にいるのもな…と…」


那津(なのつ)が出たいと?」


「え?」


「娘ががそんなこと言ったんですか?」



 俺は恐怖より疑問でいっぱいになった。確かにナカさんに両親が過保護だと言う話は聞いていた。けど、これは流石に可笑しいような気がする。


 全面的に悪いのは俺かもしれない、それは否定しない。


 でも、これじゃあまるで外に出たいと言った白石さんが悪いことをしたみたいではないか。


 うちの子がそんな悪いことしませんよね、あなたが無理やり連れだしたんですよね。


 まるでそんな訴えが聞こえてきそうだ。

 俺はとりあえず「すみませんでした」それだけ伝えて帰った。




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