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色彩  作者: 蒼依ゆき
第二章
30/37

錆色の雨音

「あー、くっそぉ、雨とかやめてくれよ本当」



俺は傘についた大量の水滴を落としながらため息をついた。急いで来たせいで鞄や肩にも水滴がついたため、それを手で払う。気持ち程度にしか水滴は取れないが、びしょ濡れで病院の中に入るよりは幾分カマシだろう。


 ―――今日は曇りだって天気予報で言っていたのに。


 たまたま出会った先生が置き傘を貸してくれてなかったら今頃、今よりひどい状態でここに来ていたかもしれない。


 来なければいいのでは?と思われるし、実際良樹にも言われたが、来ないという選択肢は今のところ持ち合わせていないのだ。昨日も勉強会してて来れなかったのだし、せっかくテスト期間中で早く帰れる今日みたいな日は出来るだけ来たいではないか。


 テスト勉強?大丈夫、あれは一晩良樹の家で詰め込めばなんとかなる代物だ。



 そんなことを呟きながらも無事白石さんの病室に到着。

表札をしっかり確認し、部屋を間違えていないかを入念にチェックする。


 どうせ聞こえないからノックはしなくてもいいと言われているけれど、もし部屋に白石さん家族がいた場合、居た堪れないためそんな事はできない。そう以前のような失敗はできないのだ。


 俺は確認の意味も込め軽く二回、扉を叩く。


 ――――反応はない。これもいつものことだ。


 それは白石さん以外部屋に人がいないことを意味するため俺は安堵しつつ、そのまま扉を開けると、そこにはベッドの上に横たわったままボーッと天井を眺める彼女の姿があった。


 その表情からは何も感じ取れないほど無感情で、昨日来れなかったことでまた思い詰めているのかな?と少し罪悪感が生まれる。


 彼女は目も見えなくて、耳も聞こえないもんだから暇なんだと前は言っていたが、そんなにも無感情で一体なにを思っているのだろうか。俺が来れなかったことはあまり関係ないような気もするのだけれど。


 どうしてそんな顔をするのか聞きたい。

これは好奇心なのか、はたまた別の感情なのか。

今の俺には分からないし、あまり考えたくない感情だ。



「白石さん」



 俺は彼女の肩をポンと叩いて声をかけた。

彼女は少しビクッとなったが、振り向いて伺うように俺を見る。



「…くろいわ、さん?」



 目の見えな彼女は俺が黒岩那津ってことに自信がないのだろう。でも最初に俺の名前が出てきてくれるっていうのは少し嬉しい。まぁ、野暮なことを言ってしまえば記憶がないらしいから俺以外に知り合いのことは分からないんだろうけど。


 ―――あれ本当に野暮だぞ。容赦ない現実に悲しくなってくる。


 俺は彼女の手を取り、手のひらに゛○゛を書く。

それでやっと俺だと確信したのか彼女の表情が和らぐのが分かった。


 そんな彼女の姿がまるで警戒心が溶けたときのクロみたいだと思い、思わず頬を緩めてしまう。



「可愛いなー」



 そんなことを考えて不意に吐き出された言葉に、自分でも驚く。無意識とはいえ言いなれない言葉をさらっと、何も考えずに言ってしまったことに恥ずかしくなってくる。クロは確かに可愛いが、白石さんはクロではない。


 ―――何言ってんだ俺?落ち着け俺?どうした俺。



「どうかしたんですか?」


「あ、いや…」



 恐らくいきなり黙った俺のことを不思議に思ったのだろう、白石さんは不思議そうにこちらを見ている。こちらを見ているという表現は、目が見えていない彼女に相応しくないものだけれど。


 ―――違う、落ち着け。


 そうだ、幸いにも白石さんの耳に俺の声は届いていないし、慌てふためく俺も見えてはいないのだ。それに気づいた俺はここで自身のポーカーフェイス力が試されるのだと思った。


 ―――いやだから顔も見えていないんだって。


 無理に誤魔化さなくても動揺していることはバレないということに今更気づいた俺は、白石さんの手のひらに「なんでもないよ」と書いた。



「…なんか変です、何かありました?」



 訝しげに首を傾げる白石さんに俺は唖然とする。。


 ―――なぜだ。


 なぜ声も聞かれていない上、顔も見られていないはずなのにバレてるのか。とあえず自身の隠し事の下手さは良くわかった。しかしここで挫ける俺ではない。


 俺は右手を胸に当て、深呼吸をする。静まり返る部屋に俺の呼吸音と雨音が異様に響く。そして俺はすぐさま手のひらに「雨」と書いた。しかし彼女は突然の話題転換に少し考える素振りをする。


 今更ながらに話の逸らし方が「今日は雨ですねぇ」「そうですねぇ」しか思いつかないなんて頭悪いなとは思うし、お見合いかよと突っ込みたくなる。お見合いはしたことないが。


 そのせいか分からないが、白石さんの表情が若干納得いっていないように見えるのは気のせいではないだろう。



「今日は雨だったんですね」



 しかしうまく逸らせたようだ。いや、逸らしてもらったと行った方が正しいかもしれない。

ゆっくりと窓の方に視線を移す彼女の目にはきっと雨なんて見えないのだろうけど、それでも雨をジッと見つめる瞳に映る景色は確かに雨だった。


 目が見えなくなったのも、耳が聞こえなくなったのも後天的だとナカさんが言っていた。でも理由は聞いていない。俺は最初、なにか事故にあったのかなぁなんて思っていた。もし事故とかだったら思い出したくないはずだ。実際俺自身だって平気なように振る舞って入るが、できれば思い出したくはない。


 しかし白石さんの場合、記憶がないのが一番の理由だ。記憶がなくなってしまった理由も気になるけど、俺にはそれを分かるための手段がなさすぎるのだ。


 でも最近、なんとなく思うことがある。


 何度か白石さんの病室に足を運んで分かったことは、まず怪我した痕も手術した痕も見られないこと。病気かな?とも思ったけど点滴もない。そこまできたら馬鹿な俺にも分かる、この人の耳と目が悪くなった原因は別にあるってことぐらい。



「…外に出たい、な」


「え?」



 独り言のようにつぶやかれた言葉は何事もなかったように消えていく。今、本当に白石さんが外に出たいと言ったのだろうかと思うくらい、誰にも気づかれないような小さなお願いだった。


 それでもその言葉は俺の耳にはしっかりと届いていた。


 突然の申し出に戸惑いをかくせない。なぜならそんなことを白石さんから言われたのは初めてだからだ。寧ろ白石さんが俺に何かお願い事をする、ということ自体が初めてな気がする。


 ―――なんで外になんて…


 ふと以前、病室でナカさんに出会ったことを思い出した。その時の彼は「母さんたちが那津(なのつ)が外に出ることをよく思わないみたいでね」そう言っていた。別に医者から駄目だと言われているわけではないし、ナカさんも白石さんには外に出てほしいのだと、でも両親が2人とも過保護でそれが叶わないのだと。


 ―――まぁ入院する事態が起こったのなら過保護にもなると思うけど。



「あ、いや、今のは聞かなかったことにしてください…ただの独り言で、あの聞こえてなかったら気にしないでいいので!すみません、」



 俺が1人悩んでいると俺を困らせていると思ったのか分からないが、白石さんは申し訳なさそうにそうに謝った。俺からすれば眉を下げて笑う彼女の方が困った顔をしているように見える。


白石さんはなんでも遠慮してしまう性質(たち)のようだ。一歩引いているというか、なんというか。

この距離感に安心したりもするのだけど、と目の前で眉を下げ笑みを浮かべる彼女を見て思った。


 しかしそんな顔をされたら、駄目だなんて俺は言えない。きっと両親には心配させてしまうからそんな小さなお願いですら言えないんだろう。俺は心を決め、俯く白石さんの腕を軽く引いて文字を書く。


 屋上なら大丈夫だろう。何かあることはないはずだ、今までだって彼女の家族が来ることはなかったし、すぐ帰ってくればいいのだから。

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