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色彩  作者: 蒼依ゆき
第二章
24/37

茜色の彼、姉

「ありがとうございました」


「はい、お大事にね」



 私と那津(なつ)は、椅子に座る白衣に見を包んだ医師と隣に立つ看護師に頭を下げて部屋を出た。一回目の定期検査は特に異常も無く無事終わることができたため一安心である。


 当人が(私がどれだけ注意しても)安静にしていないため悪化していないかがこの一週間の心配事の一つであったのだ。



「じゃあ、かえ………那津、ちょっとここで待ってて」


「え?」


「先生と話すことあったの忘れてたの、先に車に戻っててもいいから!」


「は?ちょ、姉さん!?」

 


 那津が焦ったように私を呼び止めるが、私はそれを無視して見覚えのある背中を追いかけた。見間違いでなければ、あれは何週間か前に出会った人の、消えてしまいそうな背中。


 別に待っていたわけではない、ただ気になっていたのだ。理由なんて分からないけれど、ただなんとなく。



「あのっ…!」


「………あなたは、」



 あと少しというところで声をかける。少し声を張ってしまったせいで若干周りの視線が痛いが気にしないようにまっすぐ彼の背をみつめる。


 そんな彼は自分が呼ばれているなんて微塵も思っていなかったのだろう、不思議そうに後ろを振り向き、私の顔を見て目を見開いていた。私のことを覚えているかが少し不安であるが、人違いではなかったことに一先ずホッと一息つく。そして走ってきて乱れた息を整えた。



「何週間か振り、ですかね…あの、覚えてます、か?」


「あ、はい………あの、もしかしてずっと?」



 戸惑いながらも笑みを浮かべててくれた彼に胸をなでおろした。しかし問題なのはここからである。確かにずっと彼のことが気になってはいたがここまで追いかけてしまったのは突発的なものというか反射的にというか。本当に無意識のうちだったのだ。


 つまり何の計画性もなく彼に声をかけてしまったということである。



「あ、いえ、ちょっと気になっててただけで………今日も弟の検査でたまたま見かけただけなんです」


「すみません、なんだかご心配おかけしてしまったみたいで…」


「そんな!私が勝手に気にしていただけなので!」



 真っ直ぐな廊下には看護師や患者がたくさん行き交い、私達の横をチラリと見ながら通り過ぎていく。私は大きくなりすぎた声に気づき慌てて口を閉じた。そんな私に彼は優しく微笑む。



「今、お時間はありますか?」


「え?」


「少しだけ僕に付き合ってもらってもいいですか?」



 優しく儚い笑顔が私の胸に刺さった。初めて会った時も同じ顔をしていた。私はこんな風に笑う表情(かお)に見覚えがある。覚えていたくなどない記憶だ。


 無言でうなずく私に彼は背を向けてある浮き出した。どこか別の場所で話をしてくれるのだろう。私はその背中から目をそらさずに思った。


 ―――こんな風に笑う彼は一体何を抱えているんだろう。


 無性に知りたくなってしまった。


 

 エレベーターにのり、彼は6階のボタンを押した。


 エレベーターはすぐに6階について、彼は廊下の奥の方へ歩いていく。その後をついていくとその先には小さな休憩室のような場所があった。扉はついておらず、小窓の下にベンチが置いてある簡易的なスペースだ。



「少し狭いですが」



 ―――ここはあまり人が来ないので。



 彼に座るように促され少し躊躇いながらも座ると、少し間を空けて彼も座った。なんだか気まずくなって私は思わず窓の外を眺める。真横に感じる彼の気配にどうすればいいのかと思考を巡らせた。それは彼も同じなのか、彼もなにも言葉を発しようとはしない。そんな中、私はようやく声を出す。



「なんか、すみません。気を遣わせてしまったみたいで」


「いえ、僕の方こそ」


「あの、無理してお話ししなくても大丈夫ですから!私がただのお節介を焼いているだけであって…」



 ここまで来て、人様の事に首を突っ込み過ぎているのではないかと思えてきた私は今更ながら遠慮がちに断る。そっと彼の顔を伺うと、こちらを見ずにずっと真っ直ぐ前を見ている彼は前に比べて少しやつれている気がした。ほとんど顔を合わせたことはないが、それでも分かるくらいにはやつれている気がするのだ。



「じゃあお節介ついでで聞いてもらえますか?」


「え?」


「誰かに聞いてもらわないと僕もちょっとキツクって。お願いできますか?」



 こちらを見た彼は今にも泣き出してしまいそうで、私は思わず自身の手を握りしめ首を縦に振った。それを確認した彼は私にお礼を言って俯きながら話し始める。



「あの日、僕の妹は目を覚ましました。眠っていた期間は長くありません、ほんの3日です」




――――――………………




「はぁ、はぁはぁ…父さん!」


「…那珂(なか)、か」



 仕事が長引いてしまった日に限って、緊急の連絡が来るものだと僕は息を切らしながら思った。そして目の前でベンチに座り俯く父親の〝らしくない〟姿に嫌な予感が自分の中を埋め尽くす。こういう時の嫌な予感ほど当たってほしくないものはないが、こういう時の嫌な予感ほど当たるものもないと、この時の僕は実感していたと思う。


 職場に来た連絡は妹の那津(なのつ)が目を覚ましたというものだった。その時の父の声はとても嬉しそうで、倒れたときはどうしようかと思っていたため本当に良かったと思ったのだ。しかし来てみれば電話口とは打って変わって病室の前にいた父の横顔は重いもので、生気がなかった。その訳なんて今到着したばかりの自分に分かるはずもなく、とりあえず話を聞かないとと思い、息を整えてから父の隣に座った。



「父さん、那津は…」



 僕の問いかけに俯いたままの父の横顔は今の状況を喜んでいいのか、悲しめばいいのか…そんな複雑そうな表情をしているように見えた。僕の嫌な予感が加速していく。少し前の妹の姿を思い出しなぜか罪悪感が芽生えてきた。何が起こっているか分からないのに、過去を悔やんでいる自分が不思議で仕方なかった。



「病室にいるよ、でも今の那津(なのつ)には…」



 「会わない方がいい」そう言った父の言うことを素直に聞いておけばよかったと、病室の扉を開けた瞬間思った。いや、聞いていてもきっとこの感情からは逃れることはできなかったのだろう。僕の呼吸は自然と停止する。


 中には床に崩れ落ち、頭を抱えて何かを叫んで泣いている母親と、その母親を支えるようにして屈んでいる看護師にその横に立って、妹の状態を見ている医師。そして、焦点の合っていない瞳で膝を抱え震える妹の背中を擦る看護師の姿があった。それはまるでドラマのような風景だった、とはよく言ったものだと思う。この時の僕はまさにそれだったのだ。


 他人事のように僕の呼吸は動き始める。



「母さん、これは…」


「白石さんのお兄さんですね、私がお話いたします」



 震える声を絞りだすようにして声をかけるが、母からは何も返答がなく代わりに言葉にならない阿鼻叫喚が返ってくるだけ。その代わりに僕の存在に気づいた医師が、聴診器を首にかけ直しながら近づいてきた。そして僕の目を見て話し出した言葉はなんとも残酷なものであった。



「目と、耳が…?」


「ほとんど機能していないようです。記憶の方も安定していないようで…程度は精密検査をしてみなければなんとも言えませんが、今の時点ではほとんどの記憶が欠如しているように見受けられます」


 混乱する頭で必死に会話をした。どんな結果であろうと早く伝えてもらうように要望を出して、はっきりとは言えなくても検査結果はすぐ伝えるようにしてもらった。


 そして医師が今から検査に入りますと言って部屋から出て行くのを無感情に見送り後ろを振り返った。そこにいた母親は看護師に連れられて部屋を出て行く。妹の背中を擦っていた看護師は妹が落ち着いたのを確認してから「すぐ戻りますので」と言って部屋を出て行った。


 僕は呆然と立ち尽くしながら自分の頬をペチリと叩いてみる。微かに痛む頬の熱は本物で夢でもドラマでもないことを再認識させられた。


 目の前で膝を抱えて虚ろな目をしている女の子は確かに自分の妹で、最近までは元気だったと聞いていた。だけどそれはあくまでも聞いた話だった。


 僕は早々と家を出て行ってしまったこと、一人だけ逃げてしまったことを悔いた。妹にすべてを押し付けてしまった結果がこれだ。そして逃げ続けた結果、最近までの実の妹の様子すら把握できていない。電話が来なければ倒れていたことも、意識が無くなっていたことも、こんな姿になっている事すら知らなかったかも知れないのだ。


 俺は再びやってきた看護師に促されて、その日はそのまま自分の借りているマンションへと帰った。どうやって帰ったかも、何を考えていたのかも今はもう覚えていない。




………――――――




「その…妹さんは、」


「原因は不明らしいです」


「不明って、」


「体中を調べても原因は出てこなかった。他の科の先生に診てもらった結果おそらく精神的な問題だろうって…精神的ってなんだよ、そんな説明で納得できるわけがないだろ、そう思ったよ」



 ははっ、と力なく笑う彼はいつから食事を取っていないのだろうか。話の中から妹さんのことで何か大きなものを抱え込んでいるというのは分かった。でも、私はそれを理解してあげるだけの勇気を持っていないし、理解してあげられるだけの信頼もない。



「精神的って、その記憶のこともですか?」



 力なく頷く彼は、そのまま俯くようにして地面を見つめた。その横顔を心配そうに見つめることしかできない無力な自分に腹が立つ。那津(なつ)の時もそうだった。


 あの時、良樹くんに話を聞いた時に、私にもっと勇気があればあんなことにはならなかったのに。母さんも父さんも、まだ笑っていたかもしれないのに。


 私は彼につられるようにして下を向いた。



「僕は怖くていまだに妹に声をかけられないでいる、聞こえないのに声をかけるっていうのもおかしいけどね」



 そう言ってやっと顔を上げた彼は笑みを浮かべていた。やっぱりその笑顔には力はなく、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな表情で笑っていた。私はチラリとしか彼の顔を見ることができなかった。



「弟君は、どうですか?」



 そんな私を見て気を遣ってくれたのだろう、彼は話を変えてくれた。話を聞くはずの私が聞いてもらう側になるなんて、私はまだ弱い。なんて弱いのだろうか。あの時から何も成長していない。



「…順調に良くなっています」


「そうですか…よかったですね」 


「はい、お陰様で憎まれ口も叩いてくれるようになって」



 つい昨日お説教したことを思い出して思わず笑みが漏れる。前より笑うことも増えた弟に、私は毎日元気をもらっているのだ。そんな私を見て安心したのか、彼は「そうですか」と言って笑った。



「初めは酷く落ち込んでいたんです。お医者様からは傷は酷く見えるが、幸いにも後遺症が残るほどの怪我はないと言われていました。でも、思うように動かない自分の体を見ると先のことがとても不安に思えたみたいで」


「そうですよね、そんな時って大丈夫って言われても信じられないですよ」


「私も中々優しい言葉がかけられなくって、自分で言うのもあれですけど可愛げがないというか」


「そんなことは無いと思いますよ」


「え?」


「十分魅力的だと思います。弟さん思いで、こんな見ず知らずの僕の話も聞いてくれるくらい優しい方ですし」



 俯いていた顔を思わず上げて彼を見ると、彼は嘘を行っているような顔には見えなくて、優しく私を見つめる笑みに彼の真意が分からずに戸惑ってしまった。本心なら本心で問題なのだが、そういう風に言われたのは久し振りであるため自分の顔が熱くなってきているのが分かる。



「あ、あはは、ありがとうございます」



 私はパタパタと顔を仰いで小窓の方を向き視線を泳がせる。見るからに動揺している私の姿が面白かったのか、彼は小さく声を上げて笑った。そんな風に笑う姿は初めて見たため真っ赤な顔を仰ぐのを忘れ、思わず彼を凝視してしまった。



「す、すみません。つい、可愛くって」


「なっ…」


「あははは」



 これは(からか)われているのだと言うことがすぐに理解できた。少しムっとなりながらも未だにクツクツと笑っている彼に、私は熱くなる顔を隠すように背を向けた。


 ---そういう風に笑うんだ。


 恥ずかしい、という気持ちよりも彼の泣きそうな笑顔じゃない、本当の笑顔を見れたことが嬉しくて私も背を向けながら思わず笑ってしまった。



「あの、よければRE.IN(レイン)教えてもらってもいいですか?」


「私のですか?」


「はい。これも何かの縁だと思うので」


「………はい」


「僕は白石那珂(しらいしなか)、漢字はそこに載ってる通りです」


「私は黒岩雪那(くろいわゆきな)私もそのままです」



 彼、白石さんはポケットから携帯を取り出し、遠慮がちに聞いてきた。私は素直に頷いて、鞄の中から携帯を取り出して、お互いのバーコードを読み込み、連絡を交換した。私の携帯の中に仕事以外で男の人の名前が表示されたのは本当に久し振りで自分でも驚きである。


 なんで頷いてしまったのかは分からないが、彼………白石さんは話していると不思議と安心するのだ。何でも話してしまいそうになるぐらいに。



「よろしくお願いします、黒岩さん」


「こちらこそ」



 お互いに顔を合わせ、笑みを浮かべる。少し近づけた私達は、これからも仲良くやっていける気がすると、なんとなく思った。


 沈んだ太陽が彼のを熱く照らしていた。


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