308号室、蒲公英色
「さーて、さっさと片付けちゃいましょーか!……………あんた、いつまでむくれてるのよ」
「別に拗ねてないし」
「拗ねてるかなんて聞いてないから」
袖をまくりながら腰に手を当てる目の前の姉をベッドに座ったまま俺はジト目で見上げていた。
俺は今、最後の検査を受けてきたところで、その間に姉さんが病室のものはある程度片付けてくれていたみたいだ。
高校生男子の生活用品になんの躊躇いもなく触れて、勝手に片付けを始めるあたりさすが姉さんというか、まぁ家族だから当たり前なんだろうけど、俺も少しは気にするお年ごろなんです。いや、そんなことで機嫌が斜め上になっているわけではないけどさ。
「いいじゃない、早く退院できるって嬉しいことでしょ」
「なにが嬉しいことでしょ、だよ!なんでこう、いっつも大切な事をサプライズしようとするんだよ!」
「面白いじゃん」
「姉さんだけだからね!?」
俺と話しながらもそそくさと片付けをしていく、この姉さん。手際がいいのは流石である。
―――はぁ、どうしようかなぁ…
こんな風に駄々をこねていても退院するという事実は変わらないのは分かっているし、こんなにも嬉しそうに片づけをしている姉にもっと入院していたい、だなんて言えるはずもない。
―――白石さん、今の時間は何してるのかな。
昼前に白石さんの部屋へと行くことはないから、今から会いに行くのは少し気が引ける。寝ているかもしれないし、今日は休みの日だからもしかしたらご家族の人がいるかもしれないし。ナカさんとかだったら、いいけど、ご両親とか出て来たら俺(精神的に)死んじゃうかもしれない。
「黒岩さん、すみません手続きのほうを行いたいのですが、大丈夫ですか?」
「あ、はい!今片付けも終わったのですぐ行きます!」
「じゃあ、こちらの荷物をお運びしますね」
「すみません、ありがとうございます…那津、先に行ってるから、あんたはエレベーター使ってゆっくり降りてきなさいよ」
「え、あ、うん」
看護師さんのお迎えが来て、姉さんはすぐに消えていった。いつの間にか部屋には自分がいた形跡なんてものは何もなくなっていて、もうただの病室になっていた。
一か月ほどここで過ごしたのだから少し愛着というものが沸いているのかもしれない。あちこちにゲーム機とか漫画とか転がってて、それをいつも姉さんが怒りながら片づけてくれたのだ。
今じゃあ、こんなにも殺風景な病室なんだけど。
「さてと、早くいかないと姉さんがうるさいだろうし」
俺は横に置いていた松葉杖を手に持ち立ち上がる。もう立ち上がることも歩くことも苦に感じないほど普通に歩ける。まだ杖がないと辛いけど、随分回復したなって思う。まぁ、まだ週1とか月1とかで検査を受けにここに来ないといけないらしいから、この病院にはまだお世話になるんだけど。
エレベーター付近まできて一度後ろを振り返る。もう簡単には会えない距離になってしまうんだな、って廊下の向こうに小さく見える『白石』の表札を見て思った。そう考えるとこの距離でさえものずごく遠いものに感じてしまう。
「って、乙女かよ俺は!」
ブンブンブンと頭を左右に振り、息を一つつく。
別に今生の別れ、というわけでもないし!また学校帰りとかにくればいいし!ここの病院、学校と真逆だけど幸い俺まだ部活入ってないし放課後は暇だし!こんな必死にならなくてもいいだろ、俺!
また一つ大きなため息をつき、白石さんの病室へ背を向けてエレベーターのボタンを押す。
高校の入学式を終えて帰宅途中だったあの日、俺はまだ友達が1人もできていなかった。まさか自分が事故るとか思わないし。
だからここで友達ができたことが嬉しくって……しかも女の子だったし、異性の友達とか何年ぶりだよって感じだし。中学は男子校だったから。
もう5月も終わるから、きっともうグループもできてるんだろうなぁ………。やばい、どうしよう、お昼ご飯はトイレとかかな!!良樹は一緒に食べてくれるだろうか!!
「あれ、姉さん………と、ナカさん?」
恐ろしい未来を想像し、青ざめていた俺の視線の先には受付で手続きを終わらせたであろう姉と、つい先日話をしたばかりの白石さんのお兄さん、ナカさんがいた。
なぜあの二人が?という疑問が浮かぶ。
まさかの知り合いだったみたいな?いや、そんな偶然流石に…まず姉さんに男の影とか絶対無いし。なんたってあの姉さんは男嫌いだからね!!
混乱しながら物陰で二人のことを見ていると、話が終わったのかナカさんは優しく微笑み去っていった。
後ろ姿しか見えなかった姉の表情はわからなかったけど。
「あれ、那津?何やってんの、そこで」
「うわぁ、姉さん!」
「なに人がゾンビみたいな反応してんの」
「いや、幽霊だと思うけど」
「どっちも同じだから」
「違うから!触れるか触れないかの大きな違いがあるから!!」
「早く帰るわよ、手続き終わったし」
「え、あ、うん。姉さんって、ナカ…さっきの人と知り合いなの?」
「さっき?…あぁ、見てたの?」
「うん」
「…知らない人だよ、道聞かれてただけ」
「道?…へー」
ナカさんのことは知らないという姉は、さっさと俺の先を歩いて行ってしまった。ナカさんの名前を伏せた訳としては知り合いだってバレたら白石さんのことまでバレてしまいそうだったからだ。
もしバレたら絶対やばい、姉さん絶対面白いくらい食いついてくる!
とりあえず俺はナカさんは何度もこの病院に来ているのにも関わらず…道を聞かれてた、という言葉に首を傾げるしかない俺はそれ以上何も言わずに薄黄色のシャツを着た姉の後を着いて行くのであった。
第一章 完




