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色彩  作者: 蒼依ゆき
第一章
10/37

308号室、青藍。

今日は懐かしい顔のやつが来た。



「あぁ、疲れたああ」



俺は松葉杖を直ぐ傍にある棚に立てかけて、ベッドの上へと腰をおろした。


 俺のリハビリはまだ続いている。毎日お昼から夕方あたりまでひたすらリハビリステーションに通う日々だ。そんな努力を続けている甲斐あってか順調に回復に向かっているわけだけど、正直個々の設備とかのお蔭だなって思う部分も少なくない。


 車いすの時も思ったけど、ここって段差ないんだよ。だからひっかかりもなく進めるし、一階から屋上までエレベーターで行けるし。上手く歩けないときにデコボコした廊下を歩いてみろ、治る気がしない。まず病院にデコボコ道があるのかって感じだけど。



―――トントントン

―――ガラガラ



「姉ちゃん、まだ返事してないんだから勝手に…って、」



 突然の来客に俺は姉だと疑わずに振り向いた。その理由としては俺のお見舞いに来てくれる人が姉しかいないからだ。あとここに来るとしたら俺の担当の先生。でも先生がノックして返事もしていないのに勝手にドアを開けるわけがない。だから俺は姉だと信じて疑わずに振り向いたのだ。



「お前しばらく見ないうちにクソみたいな顔に進化したな」


「ねぇそれ進化してる?退化してないよね?ていうか久し振りの友人に向かっていきなり酷くない!?」



 俺の目の先には気怠そうにこちらを見ている制服姿の男。180㎝の身長にスラッとした見た目、そしてある程度伸ばされたその髪の毛は前に見た時よりも随分と長くなっていた。その髪はゴムで後ろに束ねられているが、切った形跡はない様だ。そんな彼の立ち姿は大変絵になる。まさに美形だから。そんな彼はただ一つ、口が悪いところが欠点だ。



「そうそう、これ今までに溜まった宿題な。多分一ヶ月分くらいあるんじゃね?」


「ちょっと人の話聞こうよ、って待ってこれ全部俺の?無理無理絶対終わらないって、ねえこれだけ置いて帰ろうとするのはやめよう!?」



 相変わらず人の話を聞こうとしないこいつは5㎝くらい厚さのある紙の束だけ俺の目の前に置いて帰ろうとする。本当に呆れるくらい冷たいやつだけど、いつも通りのこの感じが落ち着く。久し振りに会話をするはずなのに冷たすぎるけど。


 でも今回はさすがの俺も若干怒っている。理由としてはさっきから何度も言っているが今日こいつに『久し振りに会った』ってことだ。



「それ以外にここに留まる理由が見当たらないんだけど」


「あるじゃん!俺ここにいるよ!」


「だから?」


「お見舞いしようよ…!超久し振りじゃん!!」


「あー、そう言えばそうだったような?」


「ような?じゃなくて、そうなんだよ!もう少し懐かしんでくれてもいいだろー!」


「わーおっひさー、マジおひさじゃーん」


「何キャラだよ、それ」



 真顔で会話を続ける彼こそ、かの有名なお見舞いに来ない友人Aこと澤北良樹(さわきたよしき)だ。そんな彼は俺との約2ヶ月振りの再開を喜ぶどころか既に帰りたそうな視線を送ってくる。夕方のすでに火が落ち始めているこの時間、きっと早く帰宅して自宅でゆっくりしたいのだろう、彼の家は両親が共働きで忙しいみたいだし。



「つーか、もうよくなったんだろ?明後日には退院できるらしいじゃん。誰を見舞う必要があるんだって話だよ」


「え」


「え?」



 疑わしそうな視線で訴えてくる良樹に、俺も動揺が隠せない。


 自分の退院する日も知らなかったのかよ、と言われれば逆に俺は『自分の退院する日も知らせてもらってなかったんだけど』って言いたい。確かに最近は普通に歩けるまで回復した(まだ松葉杖は手放せない)けどさ、そろそろかなー、とか思ってたけど一切そんな連絡きてなかったし。というか、



「それ誰に聞いたんだよ!」


「お前の姉さん」


「またあいつか!!」



 知ってたよ!どう姉さんだろうってことはさ!どうせまたサプラーイズ!とか言い出すんだよあのひと!


 俺はバン!と膝にかけている布団を叩き、頭をかかえる。約2ヶ月の長い入院生活からやっと脱出できるにも関わらず頭を抱えている俺がかなりおかしく見えたのだろう、良樹は薄く眉間にシワを寄せた。



 俺がこんなにも頭痛が、アイタタタ状態になっている理由としては、白石さんである。てか、なんだよ頭痛が痛いって。


 この1ヵ月か2ヵ月、毎日欠かすことなく通った彼女の病室、夕食の2時間前。さほど面白くない俺の話にずっと付き合ってくれた彼女にはとてもお世話になった。それなのに自分が退院することすら伝えてないとか薄情すぎるやつではないのか、完全に!



「また明々後日から学校なのがそんなに不満か、気持ちは分かる」


「そう、宿題とか終わる気がしないし…じゃなくて!いやそれもあるけど!」


「なんだよ、彼女でもできたのか?」


「ばっ、白石さんはそんなんじゃねーし!」


「まじか、お前学校サボってる間に女と遊んでたのか」


「言い方!もっと言い方あるでしょ!」


「もう絶好な」


「そこまでか!」



 興奮しすぎて熱くなった顔に両手でパタパタと風を送りながら、とりあえず大きなため息を一つつく。終始真顔で突っ込んでくるから本気か冗談か分からないが、冗談だと信じている。


 しかし誤解は解きたい。べ、別に白石さんとはそういう仲じゃないし。いや、まぁ遊んでいないにしても毎日お喋りしていたのは事実だけど…っは!そうじゃなかった!それよりも今は白石さんに会いに行かないと。超絶かなりマジで今すぐに白石さんのところへと向かいたい。


 まぁ帰るのを引き留めたのは俺だけど良樹には今すぐ帰ってもらいたい。しかしそんなことを言ったら絶対もう二度と口きいてくれなくなりそうだ。



「何一人百面相してんだよ、乙女かよ」


「は!?べ、別に普通だし!」



 ジッと俺を見つめる良樹の目を避けるように俺はそっぽを向く。再び顔に熱が集中してきてしまったため、俺は両手を頬に当てて冷やした。


 もう日も落ちて、部屋も電気をつけなければ薄暗くて周りが見渡せないほどになってくる。それを良樹も感じたのか部屋の入り口にあるスイッチを押し電気をつけてくれた。


 突然の明かりに目を細め、チカチカとする視界を慣れさせる。

電気をつけた良樹は近くにあったパイプ椅子を持ち、俺の傍に座った。



「あ、帰らないんだ」


「いきなり帰ってほしそうだな、絶対帰ってやらねー、リア充爆発しやがれ」



 帰れと言われたら帰りたくなくなる、そう言って良樹はひたすらブツブツと恨みを言っていた。一体世の中のリア充にどんな恨みがあってそこまでするのか心底疑問だ。



「あ、そうだ、居座るんだったらゲームしようよ」


「無理」


「まだ何も言ってないじゃん、話だけでも聞いてよ!」



 そんな良樹の様子に俺ももう諦めがついたので落ち着いて話を続ける。

そして、どうせなら…と今まで気になっていたことを試そうと思った。


 今日は白石さんの所に行くのはもう無理そうだから、また明日にするかなぁ…


 良樹はすでに嫌そうな顔で拒否をしていたけど、そんなの知らないし強制参加だから。俺はとりあえず良樹の目の前に手を差し出した。



「…何もあげないぞ」


「違うから、手書き文字って言うんだけどさ―――」



 俺は手書き文字について軽く説明をする。自分自身もつい最近知ったばかりの言葉だったためスラス説明は出来たと思う。もう俺は、手書き文字マスターなのかもしれない。手書き文字をすることになったきっかけは少し伏せた。


 そんな俺の話を良樹は思っていたよりも真剣に聞いてくれた。



「とりあえず俺はお前の手の平に文字を書けばいいんだろ?」


「そうそう、そういうこと!」


「昔やった伝言ゲームみたいだな」


「それ俺も思った!」


「とりあえず適当に書いてみるぞー」



 そう言って良樹は何かを手のひらに書き始めた。いつもは自分が手を差し出して書く方であるため今の状況はなんだか変な感じで、手の平もくすぐったい。1文字1文字書かれていく言葉への集中なんてできなくて、あっという間に終わった言葉に俺は驚くことしかできなかった。


 終わり、と言った良樹の声しか理解できなくて、正直驚いた。まさか1文字も分からないとは……


「え、何?今なんて書いたの?」


「いや聞くなよ、意味ないだろそれ」


「ええ、だって良樹の字が下手すぎるんだもん」


「そんなわけないだろ」


「あ、ごめんって!」



 正直に分からないと言えば呆れたように笑う良樹。そして俺の冗談に対しては、隙のないチョップを受けた。慌てて謝れば手を引っ込めてはくれたが、いつまた手が出てくるか分からないから注意しなくてはいけない。主に自分のせいなんだけど。


 それにしても、こんな小さな手の中で全てを理解しないといけないのは思っているよりも大変なんだなぁ…って感じた。実際今、良樹がなんて書いたかなんて一切不明だし。



「もっとどうにかできないかなぁ…」


「なにが?」


「手書き文字って難しいじゃん?」


「まぁな、しかも手の平とか背中に書くより難しいじゃん?多分。俺が慣れてないだけかもだけど」


「そこなんだよ、あっちも多分慣れてないはずなんだよー…手に書いてるときってさ会話すごくゆっくりだから俺、途中何を言ってるのか分からなくなっちゃうんだよね。でもちゃんと会話続くんだよねー」


「へー」


「冷たい」


「その白石?ってやつすごいのな、お前と会話できるとか」


「何それ酷くね?」


「だってお前自体が理解できてない文字を、あっちは言葉の意味まで理解して会話してくれてるわけだろ?慣れてないのに。ていうかお前と話すこと自体疲れそう。普通に会話できる俺でさえ疲れるのに」


「ねぇ最後の言葉絶対いらなかったよね、ってかなんで白石さんが耳と目が悪いって知ってるの!?ていうかなんで白石さんのこと知ってるの!?」


「いや、そこまでは知らなかったけど、お前最初に自分で言ってたじゃん。白石って」


「え」


「だから、たぶらかしてる女の名前は分かったわけだけど」


「察しがよろしいようで…ってか、たぶらかしてねーし!」



 そしてこの後も散々、良樹に言葉の暴力を受けていたわけだけど。

それでこの日は白石さんのところへ行くことなく自室で夕食の時間を迎えた。


 食事が運ばれて来たのを見計らって良樹はそそくさと帰って行きやがったのだけど、結局最後まで俺に付き合ってくれたのだからいいやつには違いないのだ。


 久し振りに迎える自室での夕闇。届いたばかりの温かいご飯を見つめながら今頃白石さんは何をしているんだろう、と考えた。今日は初めて白石さんのとこに行かなかったなぁ。


 今まで欠かさず行っていた分なんだか悲しくなってくる。明々後日には退院なのに…退院…明々後日…



「あ、俺退院だ!!」



 俺はやっと自分の本来の目的を思い出した。

 「白石さんに退院のことを伝える」


 早く言わなければいけない。明日言えばいいのだろうけど、明日言ったら「明後日には俺退院だから」ってなる。できるだけ早めに言いたい。「明々後日、退院なんだ」って言いたい!別にこんなギリギリでの報告は嫌がらせとか薄情とかじゃないんだって、誤解されないように!!


 俺は急いでご飯を腹の中へと流し込んだ。


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