初夏色デザートこっそりギフト
◎ハイム・ノタバリコにて
土曜日。学校が休みで百合も遅く起きだすから、少しゆっくりめに布団から出た。淡いピンクのタオルケットを畳んで、皺を伸ばしたシーツの上に置く。こないだセールで買った部屋着のワンピースに着替えて、脱いだ物を洗濯機に入れて準備をする。スイッチを押すのは、百合も起きて、着替えてから。
おはよう、おはよう。って決まった挨拶ができたのは10時くらい。あくびをした百合はシャワーを浴びに行って、私とお揃いのワンピースに着替えた。胸のプリントと、色が違う。私がグリーンの猫。百合がピンクのペンギン。
「なんかさー、年上の男のヒトからのメールって、イカガワシくない?」
髪を拭きながら、ミネラルウォーターを飲んで昨日半分残したジャムパンを飲みこんだ百合が、急に言った。見れば手にはモバイルがある。なんか変なキャラクターのストラップがついてる。なんていったっけ。
「……援助交際?」
「んー。なんとなく」
「で、誰から?」
「ショーズさんかーらっ」
変なキャラクターは置いといて。訊くと間延びした返事をして、百合は布団の上に倒れ込む。先週洗ったばっかりなのに、埃が飛び散って窓からの光にキラキラした。埃じゃないみたい。なんか魔法の粉、みたいな。
まだ乾ききっていない、艶やかな茶髪に降りかかる。
「怒るよ、清水さん」
清水さんは近くにあるビストロ・ミケで働く、パティシエ。ビストロでパティシエっていうのも何か変なのかもしれないけど、そうなんだからしかたがない。あそこは仲良しが集まってやっているお店で、シェフの幼馴染なんだっていう。
パティシエ。ショコラティエでもあるしグラシエでもあるし、実は和菓子職人でもある。点心みたいなのも作れるし……つまり子供の夢を突っ込んだみたいなお菓子屋さん。
「ね。デザートの試食どお? だって。今日、これから、よければ」
あれとか、これとか、あれもこれも。って今まで清水さんが作って自分や百合が食べたものを思い出していたところに、百合が情報をブツ切れに並べた。
「行く?」
聞き返すと目が丸くなる。起き上がる。
「……あれ、行かない?」
「行きたい」
こうやって百合に連れ出されるのは、好き。
私から誘えることってあんまりなくて、ちょっと悪いような気分にもなるけど、パッと笑った顔が本当に嬉しそうだから安心する。こういう形でもいいから、何か返せればいいな。
「よし、……洗濯物干してから、行こ」
「あ、偉い」
「だってねえ。めんどくさいけど」
ささっと返信を打ちこんだモバイルをシーツの上に投げて洗濯器にバスタオルを放り込んだ、百合の細い指がスイッチを入れる。メロディが流れて、ガタン、ゴウンと音が響いた。裸足の軽い足音で行き来して、改めてクロゼットに向かう。私はそれを眺めていた。
……服、どうしようかな。
「もー、パン食べちゃったじゃんー。早く言ってくれればいいのにー」
「デザートでしょ、丁度いいんじゃないの。物足りないくらいの量よ」
外出用の服を選び始めた百合がぼやくから、笑って言ってあげた。どうせ、ジャムパン半分と水しかお腹には入ってないんだから、結構食いしん坊な彼女の胃の空きはまだまだあるはず。まして相手はミケのデザートだ。
「でも試食だよ?」
きっといっぱい出てくるのに。――っていう主張が後ろについてくるんだろう、ちょっと不満そうな声。可愛いけど、そんなに不満かな。
だって試食だよ、って逆の主張を飲みこんで曖昧に笑ったら、瞬きをして、不満ではなくわくわくしたような瞳を向けられた。お祭りとかそういう物の前みたいな、華やかなキラキラ。
「……何だと思う?」
「んー。夏メニューでしょ、フルーツ……パフェとか」
大月堂で買ったタルトを思い出して言う。その後は、さっきの続きだった。甘くって甘酸っぱくて、おいしいものの記憶がぽんぽんと浮かび上がる。果物なら――フルーツたっぷりのロールケーキ、エキスを使って香りがよくふわふわのギモーヴ、夏祭りのべっこうアメをかけただけのリンゴやイチゴ。
スイーツとかデザートとか、飴玉なんかの駄菓子もそうだけど、お菓子ってかわいくって、綺麗。素敵。
「シャーベットとか、フラッペかも」
百合が言うその顔は、もう食べたいって顔だ。やっぱりすぐにお腹へっちゃうじゃない。
ちゃんとフルーツを煮て作ったミケ特製シロップの、いい香り、甘酸っぱさ、ちょっとした青さ。人工の香料とかじゃない、すうと染み込んでくるゼイタクな感じを思い出す。
「去年のおいしかったよね、なんだっけ」
「沙良のお気に入りはー、ライチミントなんとか」
そう、雪みたいな氷の粒はなめらかでさわやかで美味しかった。とっても涼しくって気持ちよかった。
◎ビストロ・ミケへ
「こんにちはー」
「はあい、いらっしゃい。ようこそ!」
結局私は白いサマーニットにショートパンツ、百合はマリンボーダーのワンピース、と夏っぽい格好になった。食べる邪魔にならないように、あと暑いから、二人揃って髪はポニーテールにまとめてしまった。この前お土産にもらったガラスの飾りのついたヘアゴムは涼しげだ。
相変わらず「何でもあります」って主張する大きなメニュー看板の横、出迎えてくれた清水さんはすらりと背が高い。いつもは働いているところを見るから珍しい、普通のシャツ姿だった。
普段なら賑わっているミケの店内は、今日はガランとしてしんとしてる。試食、メニュー考案の為のお休みだから。
「あっゼリーだ」
「自家製シロップ煮入り、レモンゼリー。です」
案内されたテーブルの上には、すぐに、本当に魔法みたいに話のデザートが運ばれてきた。私たちの間に一つだけ。それに小皿とスプーンが二つずつついてくる。
足つきの厚いガラス製のデザートグラス。その中にある、三角に切れたレモンを透かした淡い黄色の綺麗なゼリー。ミントの葉っぱが添えてある。
「今日はゼリーの他、ババロア、ムースなんかをお出しします。ってことでよろしくね」
「……ババロアとムースの違いは何?」
「それ去年も聞いたよ? 名前だけじゃないよ、メレンゲの有無。うちは一応それでちゃんと名前変えてるの」
「やわらかいほうがムース! 思い出した」
清水さんの言葉に首を傾げた。するすると出てくる説明に、もうスプーンを持ってる百合があっと声を上げて言う。清水さんが笑った。目が細い。
「そうそう。じゃあじゃんじゃん続けて持ってくるから、食べたら感想聞かせてね」
「はぁい」
揃って答える。私もスプーンを持って、ゼリーと向き直った。どちらからってことも無く、ちゃんと洗ってあって綺麗な銀色のスプーンを伸ばして差し込む。なんだか古い映画みたい。
久しぶりに食べるゼリーは、思ったより硬いような、柔いような。でもしっかりしていて、なんだかすうっとした。
唇に、舌に、そして喉に少し、冷たい。甘いレモンの香りが広がる。
「おいしい」
「ね。意外としっかり味する」
とっても爽やか。でもレモンはシャーベットが好きだから、口が氷の感じを期待するかも。
もう一口、二口と、今度は交互にスプーンですくう。レモンは皮ごと煮たもので、柔らかくほろ苦い。
「ゼリーってさ、今はジュレとか言っておしゃれーな感じになってるけど、こーゆー、カパッてしたののほうがかわいくない?」
こくりと喉を動かして、百合が目配せしながら楽しそうに言う。
「こういう形のね。分かる」
流し込んで逆さにしたやつが、グラスに入ってるやつ。絵に描いたゼリーって感じの。
目の前にあるレモンのゼリーは、ちょっと捻ったような流線形。その中にレモンが舞っている。百合が言うのと、最近のオシャレっぽいのとの間をとったみたい。
……ババロアとムースは区別するのに、ジュレじゃなくてゼリーっていうのは、そういう意識があるのかも、清水さんには。後で聞いてみようかな。
「ゼリーの型はよくオモチャにしてたなー。……ほらドレスみたいでしょ。だから紙とか粘土で上半身作ってはっつけたり」
百合の楽しそうな声が続く。スプーンを人の頭に見立てて、まだ形の残っているゼリーの向こうからひょっこりと登場させる。それならガラスの足は、そのまま足かな。
透明の――透ける黄色の膝丈ドレスに、……透明じゃあれかな、シルバーの靴?
子供の百合の遊びでは、皆銀色のドレスだったのかな。その中に私も居たらよかったのにな。
「どう? おいしい?」
レモン味を感じながらのお喋りと想像を断ち切るように、清水さんが次を持って来た。私たちは勿論おいしいと彼の腕前を褒めた後、言い合ったり思っていたことを正直に報告した。
「じゃあ次は、桃と赤ワインのゼリー」
そして、色々と出されるものを、半分ずつ食べた。あまり大きくないから、量も多くない。そのまま口に運んだり、小皿に分けたりして。
けど、じゃーんってかけ声付きで取り出されるのは、試食と言いながらどれもちゃんと盛りつけられていて、オシャレで綺麗になっていた。味だけじゃなくて見た目も、ってことなんだろう。さっき言っていた、ゼリーよりジュレって感じのもあった。
食べるが勿体無い、と思うのは最初だけで、私たちはけっこう早くゼリーやババロアの表面を切り崩した。食べかけも綺麗なのが、ゼリーのいいところだ。
桃と赤ワインのゼリーは、バラの形をした赤いゼリーの周りに、赤く煮込まれた桃も花びらみたいにした飾りつけだった。ちょっとお酒の苦味もある。レモンのゼリーより柔らかくて、ほんのちょっと食べるのがおいしい。
マスカットをまるごと包んだ丸いゼリーは、ゼリーというより果物を食べているみたいで。でも皮がゼリーに変わっているから柔らかい。
紅茶のババロアは、前に出していたメニューの改良作。前より甘さが強い、かな。食感はとろんとしてる。三人で分けるくらいの量で作られたものを少しだけ味見する。一緒に、チャイのババロアも出てきた。
「これはけっこう自信作。ビターなチョコレートムース、キルシュ風味。と、コーヒーゼリーエスニック風――タピオカとココナツミルクを添えて」
こっちも、洋酒が利いた大人の味。とっても香りがいい。その上、最初のゼリーよりも豪華な足つきカップに丸く盛ってあって、てっぺんに甘くないクリームを絞った上にチェリーが乗ってる、なんていうか――古典的? な見た目で素敵だった。
コーヒーゼリーは白いカップで作ったのがそのまま出てきた。上にタピオカとココナツミルクがかけてある。私はタピオカって初めて食べたけど、ゼリーとも違う、ミルクのとろとろと合わさったつるんとした食感が不思議。百合は元々此処のコーヒーゼリーが好きで、アレンジの利いたこれもすごく気に入ったみたい。メニューに入れたら毎回食べる、って。
「ねーえ、ゼリーばっか飽きたでしょ。しょっぱい物食べない?」
私がチョコレートムースを、百合がコーヒーゼリーの最後の一口をすくったところで、声と足音がした。なんだか、デザートとは違ういい匂いもする。
無造作に縛った髪で奥から出てきた女の人は、豊さん。ミケでは主に洋食を作っている、シェフの一人だ。いつもはコンタクトだけど、今日は大きな黒縁の眼鏡をかけてる。
豊さんはもう大きなお皿を二つ持ってきていて、返事は訊く気がなかったみたい。
「豊ちゃんそれ宣伝?」
「私の昼ごはんの御裾分けだからお金は頂きません。今日はね」
清水さんが笑う。答えに、私もちょっと笑った。だって御裾分けって量じゃないのに。
「わーおいしそう! ほんとにいいんですか?」
「いいのいいの。焼き立て、出来立てよん。めっしあがれ!」
ミケの人たちは皆、作るの、食べるのが大好き。勿論商売だけど、こうして無償で振る舞うのも好きなんだって。要は、食べてもらえれば。
清水さんがゼリーのお皿を下げた場所に豊さんがドンと置いたのは、夏野菜のピザと、辛そうだけどいい匂いの湯気を立てているタコのペペロンチーノ。すぐに取り皿も用意された。私は大分お腹がいっぱいになってきていたので、ピザを一切れだけ頂いた。熱々でシンプルなトマトソースがとってもおいしい。
百合は今までゼリーを食べていたのが嘘だったみたいに、たっぷりと取り分けて貰った分をおいしそうに食べた。
家に居るときのピザやパスタって、デリバリーのピザとか、売ってるパスタソースをかけただけのものばっかりだから――そういうのも不味くはないけど、やっぱり格別なんだなあ。私も料理、もっと練習しようかな。
お昼ごはんまでごちそうになって、お水を飲んで一息を吐く。ピザとパスタの感想とか、テレビで見た食べてみたい料理の話とか、おいしかったコンビニの新商品の話とか、そういうおいしい物の情報交換をする。清水さんと豊さんはさすがプロっていうか、すぐにモバイルを取り出してメモしたり検索したりして、けっこう真剣で熱心。
「じゃあ、最後に一つ出してもいいかな? ちょっとしたのだけど、お腹いっぱい?」
「清水さんのデザートなら、ちょっとくらい食べられます」
少しはお腹がこなれた頃、清水さんが言ったのに答える。彼は嬉しそうに目を細くして立ち上がった。
プチゼリーと言って持って来たのは、かわいい赤い小皿にちょこんと乗った、四角く切った白いゼリーだった。白いからババロアかと思ったけど、ゼリー。
あ、ヨーグルトだ。
口に入れると、食感はしっかりしているのに味は柔らかい。酸味もコクもあるけどすっきりする。
「私、これが一番好きかも」
ヨーグルトで健康的な感じがするせいか、なんだかちょっと、懐かしい感じもした。……食べたことがあるわけでもないのにね。
「ご飯の後だしね。おいしい」
「んーでもちょっとぼやけた感じがするね。何かソース作ってみる?」
百合がにこにこと頷く。一緒に食べた豊さんは、すぐに研究の顔。うつったみたいに、清水さんもそんな顔になる。
確かにジャムとか、フルーツソースが欲しい感じもしたけど。物足りないくらいがちょうどいい気がするのも確か。どっちも選べないっていうのが、オトメゴコロってやつかも知れない。
ゆっくりと、本当にデザートになったゼリーを食べながらもう少しおしゃべりして。私と百合は夕方になる前にミケを出た。少しは涼しい気もしたけどまだまだ日は眩しくって、夏が来るんだなって思う。
晩ごはんは軽い物でいいね、って話しながら帰るのが久しぶりで、短い道でも楽しかった。満足そうに伸びをした百合の結んだ髪の毛先がきらっとした。それをずうっと眺めていたくなったけれど、結局どこにも寄り道しないで大人しく二人の部屋に帰った。
◎再び、ハイム・ノタバリコ
一週間後。この前のお礼にって、清水さんがゼリーを持って来た。お礼って言っても私たちは食べていただけだし、ランチまで頂いたのに……って言ったら、これも試作の余りだからと彼は笑った。
でも、とっても暑い日だったからありがたく受け取った。嬉しかった。テイクアウトの箱に入っているのがケーキじゃなくてゼリーって、なんだかいつもと違って不思議。
洗濯物を取り込んで畳んで、夕食を作りながら百合を待つ時間も、うきうきした。だってきっと喜ぶもの。
はじめて一から作るミートソースは心配だけど、これがつけばきっと大丈夫。
ミートソースはレトルトより素朴? な味で、百合は気に入ってくれたみたいだった。私の作ったものは大体喜んでくれるから、ちょっと疑わしいけど。
「ね、貰ったゼリー食べよー」
私たちはこないだと同じ部屋着のワンピースで、二時間ドラマのサスペンスを見ながら寛いでいた。CMの間に百合が言ったので、立ち上がって冷蔵庫に向かった。スプーンも二つ用意する。
冷蔵庫でひんやりとした紙箱をテーブルの上に置いて、そっと取り出すのはヨーグルトのゼリー。改良を重ねた結果なんだろう、上にかけられているのは、片方がイチゴ、片方がキウイのソースだと思う。綺麗なソースと白いゼリーの取り合わせはなかなか可愛い。薄いガラスのカップはすぐに曇り始めた。
……。
「こっちが百合の、ね」
「あっヨーグルトのやつ? ――ソースついたんだ。キウイだよねこれ。そっちは? 同じ?」
「こっちはイチゴ。一口あげるね」
ちょっと考えて、緑のほうを百合の前に置いた。百合はキウイが好きっていうのもあるけど……私の手元には、イチゴの赤――ピンクに近いほうが残る。
CMが終わってドラマが始まったので、百合の横に座りなおす。床に広がる、薄いピンクの裾の上に座らないように気を付ける。私のワンピースの、薄緑色の裾が重なった。
ダイイング・メッセージの意味を考える探偵を眺めながら、スプーンの先端をイチゴのソースに触れさせた。優しく動かすとゼリーの白が透ける。
小さくハートなんて描いてみて、すぐに消えちゃうそれを、百合に気づかれないうちに掬い取って口に運んだ。前に食べたゼリーと違ってソースが主張するけど、ちゃんとヨーグルトの風味もあるまろやかなそれを、こくんと飲みこむ。おいしい。
「いただきます」
テレビの中がちょっと落ち着いた会話のシーンになったことで視線を外せた百合が、手にしたゼリーを覗き込んで呟いた。私は画面を見るようにして、自分が作ったわけでも買ってきたわけでもないのに、どうぞって気分で勝手に頷いておいた。




