*初心
「どうしたもんかなぁ~」
朝──志保は保健室で思案していた。
ここ一週間ほど匠という生徒を監視しているものの、これといったもめ事を起こす気配は見せない。
おかしいわ、わたしが聞いた感じではすぐに何か起こすかと思っていたのに……と、小さく唸る。
いざ接してみると、教師には丁寧に返すし言動はやたら上品だしで非の打ち所がない。
「もしかして、先生たちの間で話が膨らんで化け物みたいな人物像が生まれたんじゃ?」
彼は成績も優秀で、スポーツもほぼ苦手なものがない。
学園は、彼の争奪戦を他の学校と競い合ったと言うではないか──まさに天才少年なのだが、どうしてだか話題には上らない。
本人がこの学園を選んだというが、何か条件でも提示されたのだろうか?
この学園は、さしたる突き出たものはない。学問関係でもスポーツ関係でも、上でもなければ下でもないという、ごくごく中間に位置している。
「あ、そういえば彼って確かIQテスト拒否してるんだったっけ?」
入園当初は何度か受けたらしいけれど。
「確か100前後とか」
それなら普通よりちょっとかしこいくらいよね。
「実は適当に受けてたりしてね」
そんなコトあるわけないか……。
正解です──匠は真面目にIQテストを受けた事が無い。高かろうが低かろうが彼にとっては、なんのメリットも無いからだ。
「それなら、どうしてそんなに学園の先生方は彼を特別視するのかしら」
普通に頭のいい生徒っていうだけじゃない。
他の学校と競り合った手前、強く出られないのだろうか?
それにしたって自由にさせすぎのような気がする。
志保はその疑問を解決すべく、まずは彼の成績表を見せてもらうことにした──初心はどうした志保先生。
「え? 匠くん?」
職員室にいた数学の教師にまず尋ねてみた。
短髪で細身の男性教諭は、次の授業の支度をしつつ応える。
「彼は優秀ですよ。テストでも常に満点に近い成績を──」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「はい?」
「近いって、満点は無いんですか?」
「彼は面白い生徒でねぇ~」
必ず1問だけ間違える。
「へ? なんで」
「さあねぇ。きっと気が向かないんだろう」
え、それだけ?
志保は笑って部屋から出て行く教員の背中を眺めた。
次の休憩時間──科学教師に尋ねる。
「匠くんかい?」
老齢な瞳が志保を見つめ、遠くに視線を移した。
「彼は優秀だよ、うん」
なんだか濁したような物言いに、保険医は眉を寄せる。
「授業態度などはいかがです?」
「とてもいいですよ、それはもう。ええ」
1人納得するようにうんうんと頷くが、志保にはさっぱりだ。
「あれだよ、彼はとても良い生徒で優秀なんだよ」
「はあ……」
そんな彼の事をどうして根掘り葉掘り尋ねるんだね? とでもいう無言の圧力に、志保は呆けた声を上げた。
放課後──志保は保健室で頭を抱えて唸っていた。
「だめだわ、なんの情報も得られてない」
尋ねる教員は皆、匠について優秀な生徒としか説明しない。
「ここまで来ると逆に違和感なんだけど」
誰もいない部屋でぶつぶつとつぶやいていると、入り口の引き戸が乱暴に開かれた。
「せんせ~、バンソウコウちょうだい」
城島 健が顔を出す。
歩み寄る彼の手に擦り傷が見えて志保は小さな容器に水道水を注いだ。
「何したの」
「剣道の試合」
「!」
そういえば、今日は体育館で地区大会の代表を決める他校試合してたわ……残って欲しいと以前から言われていた事を思い出す。
残ってたんだから問題無いわよねと自分に言い聞かせ、傷口を水洗いして絆創膏を貼った。
「あなた剣道部だった?」
「臨時部員です」
へらっと笑う。
「……こないだはバスケの試合に参加してた気が」
「バスケも臨時部員」
なにこの運動バカは──志保は呆れて目を丸くした。
「あ、そうだ。志保先生」
「なに?」
「花崗岩を気にしてたようだけど、あれ美術部が彫刻するらしいすよ」
「! 何を彫るの?」
「部長が匠をイメージした像を彫るって」
まだ誰も届け出が無いから彫刻に取りかかるって言ってました~……と、健の言葉をぼんやり聞きながら、「彼はホントに人気あるのね」などと考える。
「試合はどうなったの?」
「勝ちました」
ピースして見せる。
やっぱり運動バカなのね……匠の上品さと比べて思わず呆れた表情を浮かべた。
「匠くんもどこかの臨時部員なの?」
「うん。確か~、華道部と合気道部だったかな。いまは」
今は? ってことは、前は他にもやってたのね。華道部……似合いすぎるわ。
「それじゃあせんせ、さようなら~」
「気をつけて帰るのよ」
ドア向こうの返事を聞き、志保も帰り支度を始めた。