*殺す気か
匠の微笑に負けた志保は保健室に戻る──思えば彼女は保険医で、匠たちと接した事はほとんどない。
耳に入る彼らの噂に驚くやら呆れるやらで、さすがに我慢しきれなくなったというのが現状だ。
しかし、実際に接してみるとさほど悪い印象は感じられない。
「ううん! きっとネコ被ってるんだわ!」
頭を振って意識を切り替えた。
とにかく、あの生徒には要注意だわ……キリリと目を吊り上げ、決意したように拳を硬く握る。
次の日の放課後──どうやら匠たちは美術室に行ったようで、志保も西棟の3階に向かった。
夕暮れに近づく空は校舎を西日に染める。
志保は『美術室』と書かれたプレートのある引き戸をノックした。
「はい。あら、志保先生どうしたんですか?」
出てきたのは女生徒だ。
肩までの黒髪に、前髪が邪魔なのか雑にカチューシャをしていた。
手には黒い粉が着いている。
「ここに周防くん来てる?」
「はい。今デッサンのモデルしてくれてますけど」
「え」
モデル!?
その言葉に志保はドキリとした。
「ちょっと覗いていい?」
いや、変な意味でじゃないわよ。
「ちょっと待ってくださいね。匠くんに了解を得ないと」
「? どうして?」
「いま彼、全裸なんで」
「!?」
なんですって!?
「待っててくださーい」
「え、ええ」
妙に心臓がドキドキして素直にドアの前で待った。
数十秒後に同じ女生徒が顔を出し、OKだと志保を中に促す。
動悸の治まらない志保の目に、紅の陽差しを受けて物憂げな表情で白いシーツの上に座り込んでいる匠の姿が映った。
「なんだ、布が被さってるのね」
「え?」
「なんでもないわ」
聞き返してきた女生徒に慌てて応え、匠を見つめる。
白い布を巻き付けた姿だが、その下は確かに全裸だと解る──半分以上が隠れているけれど、引き締まった体だという事は容易に想像出来た。
「みなみ女医こんにちは」
「今日はモデルなのね」
「花崗岩を引き受けてくださるので、ほんのお礼です」
「! 花崗岩? 昨日の?」
「はい」
「何か一つ言うことを聞いてくれるっていうから、モデル頼んだんです~」
女生徒が嬉しそうに発した。
「そうなの」
つぶやいて匠を見やると、布がはらりといたずらし上半身を露わにした。
「!?」
「ああ、すまない」
「今日はここまでにしましょうか。ありがとうございます~」
「うん、また明日来るよ」
志保は、そう言って立ち上がる匠に背中を向けた。
「……」
こっ、殺す気!?
心臓が飛び出るかと思ったわよ!
なんという破壊力、まだ子供のくせにとんでもない色気だわ……志保は胸の動悸を必死に抑えた。
落ち着くために美術室の外に出る。
「はぁ~……」
何度か深呼吸をしていると、美術室のドアが開き匠が出てきた。
先ほどの事を思い出し、志保は思わず顔を背ける。
「何かご用では?」
問われて我に返る。
「べっ、別に特に無いわよ。岩をどうするのかと気になっただけだわよ」
明らかにろれつも回ってなければ声も震えている……泣きそうになりながらも、ぐっと涙をこらえた。
「あ、あなたね」
「はい」
穏やかな声に喉が詰まり、端正な顔を見上げる。
「こ、こないだの花火は反省してるの!?」
変に語尾がうわずった。
「少々、騒ぎすぎましたね」
ホントに彼は高校生なの!? なんなのよこの落ち着いた雰囲気は! なんでわたしの方が慌ててるのっ!?
嵐のように荒れ狂う心中を表情に出さず、志保はにこりと微笑んだ。
「こないだはヤクザと揉めたとか聞いたわよ」
「それは誤解です。彼が勘違いをしたので、ちゃんと解っていただけるようにお話しました」
「そうなの? それならいいけど」
志保は納得出来ないように眉を寄せる。
彼女の言ったことを簡単に説明すれば──友人の健が街でカツアゲに遭い、逆にその相手を倒してしまい、相手は学園にまで来て逆ギレした挙げ句、匠の配下となったのである。
その男が匠を「兄貴」と呼ぶまでになったのにはそれなりの経緯はあるが、いまそれに関して関係はないので、とりあえずそういった事があったと思ってほしい。
もちろん相手はヤクザなどではなく、ただのチンピラだ。
匠たちは決して自ら学園の外で騒動は起こさない。あくまでも学生らしく、学生としての配慮はしているのだろう。
外での騒動は犯罪につながりかねない──そういった考慮も匠たちには含まれているのかもしれない。