*麗しの
白衣をひらめかせ、志保は風を切って廊下を歩く──彼女は、この学園の保険医だ。学校の保健室に常駐している者には珍しく、ちゃんと医師免許も持っている。
「みなみ女医」と生徒たちからは呼ばれている。
彼女は半年ほど前にこの学園に赴任してきた。
長い髪を後ろで一つに束ね、つり目からは若干の威圧感を放っている。
「生徒たちの前では厳格にしていなければ!」という気持ちが、彼女の表情を厳しくさせているのだろう。
私立、尾世ヶ瀬学園──マンモス校という訳でもなく、十字型の校舎が珍しい程度で学力は全国平均よりもやや上といったくらいだ。
その、平均よりもやや綺麗だと思える南 志保がこの学園に来てどうしても許せない存在がいた。
それは周防 匠──17歳の2年生。
背中までの髪を後ろに束ね、切れ長の瞳は優しげで整った顔立ちはハンサムというよりも美形といえた。
この学園でトップの成績を誇っている生徒だが、その天真爛漫というか自由奔放な傍若無人振りに志保はいつも頭を悩ませていた。
夏の終わりにも、学園の寮で盛大な花火を打ち上げて騒ぎを起こしている。そんな生徒を、どうして処罰しないんだろう。
志保は、腹立たしげに思いながら吊り上がった目をさらに引っ張るように口を引き結んだ。
園長や周りの教師たちのなだめる言葉に半年間、我慢を重ねてきた。
「ただの快活な生徒? とても優しくて思いやりのある子? よくも言うわね」
ぶつぶつとつぶやきながら、志保はズンズンと廊下を歩いていく。
「!」
そんな彼女の前から向かってくるのは周防 匠ではないか! 他の生徒たちの中にあって、その存在感を際立たせていた。
自然と顔が険しくなる。
しかし彼は今、何かしでかしている訳じゃない。呼び止める訳にもいかず、志保は匠の姿を見つめた。
「……」
確かに綺麗だわね。
容姿だけじゃなくて、動きも流れるようで──
「ハッ!?」
わたしってば何を見とれてるのよ!
志保は、匠の歩く姿につい見入ってしまった。
横を通り過ぎるとき、匠は丁寧に小さく会釈する。それにつられて志保も軽くおじきをした。
「おーい匠!」
その後ろを1人の男子生徒が追いかける──城島 健だ。匠とは同じクラスで、2人はいつもツルんで何かを企てている。
「……」
匠を呼び止めた健と、それに応えて立ち止まった匠──2人が楽しそうに何かを話し合っている姿に、志保は厳しい眼差しを向けた。
何かまたやらかす気だわ……志保はそう思って2人のあとを隠れるようにして追った。
「なぁこれ、どう思う?」
健が中庭にある岩を指差した。
「これはどこから?」
匠が思案するような表情を浮かべ、左手をあごに持っていく。
「わかんないけど、誰かが運んだ事は間違いないよな」
「フム……」
匠は、中心の噴水の花壇近くに無造作に置かれている1mほどの岩を見つめた。
ゴツゴツとした岩肌は、とても価値のあるようなシロモノではない。
「ただの花崗岩のようだが」
「美術部が彫刻に使うとか?」
「そんな情報は来ていない」
「!」
情報? 志保はピクリと反応した。
どうやら、匠は学園内のひと通りの情報を握っているらしい。
「あれ~? 匠のとこにも何の情報もないんだ」
「うむ。そちらにもか」
おおよそ、芸術的とも言い難い岩に2人は唸る。
「……」
この2人は、それぞれに何か情報網を持っているらしい。志保は花壇の花に隠れて様子を窺った。
「先生にも聞いてみたんだけどさぁ、誰も知らないんだよね」
「それは不思議な話だな。昨日は無かったという事は、夜のうちに運ばれたか」
「だと思う」
「……?」
2人の思案している姿に、志保はどうしてそこまでこだわっているのか首をかしげた。
普通の生徒なら、自分の知らない事の方が多いのだからと疑問に思いながら通り過ぎる処なのに、彼らはじっとその岩について思案している。
「とにかく、俺たちから外れた情報があるっていうのはちょいと困ったな」
「うむ。変な騒動にならないとも限らん」
「!?」
この2人は、騒動を起こす側ではなく騒動を収める側だというの!? 志保は2人の会話に驚いた。
そんな馬鹿な……と目を丸くしていると、
「俺たちの遊ぶ範囲が狭くなるじゃないか」
はい? 健の言葉に耳を疑った。
自分たちの自由にしたいために、先制攻撃の如く情報をかき集め学園を支配しているの!?
この2人には、そこまでの力があるというの? 志保は背筋が凍った。
彼らを学園にのさばらせておく訳にはいかないわ! 志保は勢いよく花壇の影から飛び出した。
「あ、志保センセイ」
「みなみ女医か」
「ちょっとあなたたち! 今のどういう意味!?」
「え? 何が?」
「どうしました?」
とぼけたってだめなんだから! 志保は威勢良く2人に近づき、岩をビシッ! と指差した。
「この岩について話し合ってたでしょ!?」
「そうなんです。誰がここに運んだのか解らなくて」
丁寧な匠の言葉に一瞬、その切れ長の瞳を見つめてしまう。
しかし、頭を振って我に返るとギロリと睨み付けた。
「遊ぶ範囲がなくなるって言ったわね」
「うん。中庭は俺たちのくつろぎ場所だからさ」
「えっ?」
「それに、こんな大きな物体をここに置いておく訳にもいかないでしょう?」
「え、ええそうね……」
遊ぶ範囲が狭くなるってそういう意味だったの? 志保は毒気を抜かれたように呆然と立ちつくした。
「どうかしましたか?」
匠が緩やかな微笑みで上から志保に問いかける。それだけで志保は夢の中にいるような感覚になった。
「なっなんでもないわ」
必死に思考を取り戻し声を絞り出した。
「とにかくさ、これなんとかしないと」
「しかし無断で移動させる訳にもいかないだろう」
健と匠は再び岩を見つめて考え込む。
「学園長にお許しをもらうとか」
「それが妥当な結論だね」
志保の前で淡々と進められる計画に、この子たち本当に学生? と眉をひそめた。
いや、健は正しく学生をしているかと思われるが匠に至っては雰囲気からして学生とは思えない。
しかし実際には17歳で学園トップの優等生だ。
「じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃ~い」
スタスタと立ち去る匠の後ろ姿を呆然と眺めていた志保だが、ハッとして匠の後に続いた。
一体、学園長にどういう言葉遣いをするのか。志保はそれが気になったのだ。
いつも丁寧な物言いの匠だから不備は無いだろうけど……と、志保はそのしなやかな物腰を見つめながら考える。
「!? わたしってば何を見とれてるのよ!」
何もかもが上品なのよこの子! と意味の解らない怒りを匠の背中にぶつけた。
「……」
匠は園長室に入る前に、あわあわしている志保を一瞥し小さく笑みをこぼした。
ノックを4回、相手の声を聞いて「失礼します」と扉を開ける。
「!? わっ、待って!」