第7話 容疑者
「俺は氷室の周りの人間って言っても、舞台関係者しかわかんねーけどな」と言ってから、
和彦は何人かの怪しい人物の名前を挙げた。
まずは、演出家の羽賀。
若い女に目がなく、噂では氷室にもちょっかいを出していたのだ。
すげなくされて、思わず・・・ということが考えられる。
次に、主演の中谷寛人。
中谷と氷室には、同じプレッシャーを感じているもの同士の連帯感があった。
苦しんでいる氷室を見かねて、中谷がやったとしても不思議ではない。
(武上には理解できない動機だが、和彦曰く「ありうる」そうだ)
「後は、舞台関係者じゃないけど宮下だな。
氷室にあまりにしつこく言い寄られて口論の末、ってな」
「・・・それはないだろう」
武上はまたダークモードに突入した。
「なんでだ?」
「氷室麻綾が死んだのは、昨日の午後9時過ぎから今朝の7時55分の間。
・・・宮下真は、寿々菜さんと一緒だ」
「あ。そうだったな」
相変わらずどうでも良さそうな和彦。
「よし、宮下と寿々菜を呼び出そうぜ。
宮下の番号なんて知らねーけど、寿々菜なら分かるからな」
和彦が携帯を開くのを見て、武上は胸がうずいた。
もし寿々菜さんと宮下が一緒にやって来たら・・・
いや、多分一緒にやって来るだろう。
そしてもう1人、寿々菜がここに来ると聞いて心中穏やかではない男がいる。
山崎だ。
和彦をめぐってライバル同士の2人である。山崎はできる限り寿々菜を和彦に近づけたくない。
が、そんな武上と山崎の視線に気付いてか気付かずか、
和彦は平気な顔をして寿々菜に電話をした。
「寿々菜、今どこだ?まだ宮下の家か?」
武上が殺気立つ。
「おはようございます、和彦さん!いえ、もう自宅に帰る途中ですけど・・・どうかしましたか?」
「ちょっとな。寿々菜、お前今からJ演劇場に来れるか?」
「今から?はい!大丈夫です!」
「宮下にも来て欲しいんだけど」
すると電話の向こうで寿々菜が困ったような声を出したのが武上にも聞こえた。
「宮下さんは、お仕事なので無理です」
「そうか。んじゃ取りあえず寿々菜だけ来いよ・・・え?腹が減ってる?
じゃー一緒に朝飯食おうぜ」
のん気な和彦である。
だが、この一言で寿々菜は最速でやって来ることだろう。
武上は、ますます複雑な気持ちになった。
「入るぞ、武上」
控え室の扉がノックされ、
武上の上司の三山刑事が入ってきた。
和彦に言わせれば「武上と違って頼りになる刑事」である。
「あ、三山さん。来てくれたんですか?まだ殺人とは決まってないんですけど・・・」
「ああ、わかってる。でも和彦君が第一発見者だと聞いてな。どうも何かある気がして来てみた」
三山も和彦のことはよく分かっている。
和彦が絡んでいると、厄介な事件になることが多いのだ。
というか、厄介な事件にしかならない。
三山は、手土産とばかりに、袋に入ったある物を武上に差し出した。
「ほら。これが天井裏に落ちてたぞ」
「何ですか、これ?・・・眼鏡?随分分厚いレンズの眼鏡ですね」
「おい、ちょっと見せろ」
和彦が、そしてそれと一緒に山崎が、武上の手元を覗き込む。
そして2人で顔を見合わせた。
「どうした?知ってるのか、この眼鏡?」
和彦は頷いた。
「舞台スタッフの下川って男の眼鏡だ」
武上、三山、和彦、山崎と、
何も知らずに演劇場にやってきた下川の5人が、
舞台の天井裏に集まったのはそれから10分後のことだった。
下川はやはり、眼鏡をかけていない。
「あの・・・舞台の上の、ブルーシートの中って・・・本当に氷室さんの死体なんですか?」
「見てみますか?」
和彦の返事に下川はブンブンと大きく首を振った。
「け、結構です!!でも、信じられません。氷室さんが・・・」
武上が眼鏡の入った袋を手に、下川に近寄った。
「本当に信じられませんか?」
「え?あ!これ!僕の眼鏡です!どこにあったんですか?昨日、なくしちゃって困ってたんです!」
下川は眼鏡に手を伸ばそうとしたが、武上がそれを遮る。
「これは、ここに落ちていました」
「ここ?ここってこの天井裏ですか?」
「はい。そこです」
武上は、自分達が立っているところから数メートル離れた床を指差した。
そこには白いテープが丸く貼られている。
そして、そのテープと武上たちの間には・・・
照明に括られたロープが垂れ下がっていた。
その先は焼け焦げている。
真下には、踏み台にしたのであろうダンボールが転がっていた。
「あそこで氷室麻綾さんは首をつった。そして、なぜかロープが焼けて氷室さんは舞台に落ちた」
「あ、あの。それって自殺、ですよね?」
「わかりませんが、この眼鏡はしばらくお預かりすることになりますね」
「そんな!僕、それがないと困るんです!!」
それよりも、殺人犯だと疑われる方が困るだろうが、
下川は自分が疑われているとは微塵も思っていないようだ。
しかし、聞くべきことは聞かなくてはならない。
武上の後を三山が引き継ぐ。
「下川さん。どうしてここに下川さんの眼鏡が落ちているんですか?」
「えっ」
「昨日、この天井裏に上りましたか?」
見る見るうちに下川が真っ青になる。
「の、の、の、の、上りません!!」
「・・・」
怪しいことこの上ない。
「本当ですか?」
「ほ、ほ、ほ、ほん、ほん、」
三山はため息をついた。
「下川さん。ここについている指紋は全て採取します。あなたの指紋も取らせていただきますが、
よろしいですね?」
ここは舞台の天井裏なのだから、
スタッフである下川の指紋がついていたところで何の不思議もないのだが、
三山の脅し(?)は下川のような人間には効果覿面らしい。
下川はあっさりと白状した。
「すみません・・・実は昨日の夜、ここに来ました」
武上はこの手法を覚えておこうと思った。