第4話 山崎の機転
午後9時。
ようやく舞台の練習が終わり、演劇場内は安堵のため息に包まれた。
しかしそれも束の間。
すっかりお馴染みになった怒鳴り声が響く。
「よし!さっさと片付けろ!明日は朝の9時から稽古だ!遅れるなよ!!」
緩みかけた空気がまた張り詰める。
これはこれで、「良い演出家」と言えなくもないかもしれない。
羽賀は下川の方を向いて、再び叫んだ。
「下川!!明日は通し稽古だ!照明を初めのシーンの位置に戻しとけよ!!」
「はい!」
役者以上に動き回っているだろうに、下川は嫌な顔1つせず答えた。
他のアシスタント達も、これ以上羽賀に怒鳴られまいと、最後の気力を振り絞って舞台を片付ける。
和彦は汗を拭いながら、ホッとした。
やれやれ、今夜は「なし」みたいだな。
帰ってゆっくり休めるぞ。
しかし、和彦の推理も外れることがあるらしい。
「片付けが終わったらみんなで飲みに行くぞ!!」
羽賀の上機嫌な声に、和彦は顔を歪め、山崎に目で訴えた。
『山崎!俺は帰るぞ!!』
山崎も目で答える。
『和彦さん。お疲れなのはわかりますけど、羽賀さんと飲みに行くのも仕事のうちです』
『・・・くそっ!』
和彦は、イライラした顔を他の人間に見られまいと、タオルに顔を埋めた。
だが、和彦がイライラするのも無理はない。
和彦は朝の8時からずっと働き詰め。
しかも昨日は3時間しか寝ていない。
さすがに今日はもう帰って眠りたかった。
しかし演出家が「みんなで飲みに行く」と言っているのだから、行かざるを得ない。
山崎が言う通り、これも仕事のうちだ。
羽賀はいけ好かない奴だが、日本の演劇界でそれなりの地位にいる演出家。
ここで羽賀の覚えが良ければ、次の仕事に繋がる。
和彦の辞書には「我慢」「仕事」「愛想笑い」という文字はないが、
KAZUの辞書には「我慢」「仕事」「愛想笑い」という文字しかない。
KAZUは仕方なく「我慢」して「愛想笑い」を作り「仕事」に向かったのだった・・・。
「2次会に行くぞ!」
ふざけんな!!!!
午前0時。
ついにKAZUの「我慢」も限界に来た。
1次会はなんとか適当に羽賀の相手をしていたが、2次会までは付き合いきれない。
第一、明日(今日?)は朝から通し稽古じゃなかったのかよ!?
みんな疲れてるんだから帰らせろ!!
しかし和彦の心の叫びも厚顔無恥な羽賀には届かない。
さすがの和彦も疲れ果て、
もう正直に「疲れたから帰ります」って言おうかな、とさえ思った。
が・・・
「あ!すみません!僕、用事があるので帰ります!」
チャレンジャーな奴だな!!
全員の視線が、下川に集まる。
「なんだ、下川。お前、俺の誘いを断る気か!?」
「すみません、急用で・・・次回は最後までお付き合いしますので!」
本当に急用を思い出したのか、下川は羽賀の返事も聞かず、
駅に向かって駆け出した。
なんとなくしらけた空気が流れる。
ところが、更なるチャレンジャーが現れた。
「あの。僕、疲れたのでお先に失礼してもいいですか?」
主演の中谷である。
当然みんな、「主演のくせに、飲み会に参加せずに帰るのか!」と、
羽賀が怒鳴るだろうと覚悟したのだが・・・
「そ、そうか。うん。中谷は主演だからな、疲れてるよな?ああ、帰っていいぞ」
あれ?
みんな拍子抜けする。
羽賀は、中谷の姿が見えなくなると、
「これだから最近の若いモンは・・・ヒロインの氷室も来とらんな?全く・・・」と、
愚痴をこぼしたが、それもいつもの怒鳴り声に比べると随分トーンダウンしている。
ますます場がしらけた。
普通ならここで「じゃあもう今夜はお開きにするか」となるのだが、
そうは問屋、いや、羽賀が卸さない。
「仕方ない!残ったメンバーで行くぞ!」
行くのかよ・・・
誰もがうんざりしたその時、和彦の携帯が鳴った。
もしかして武上か?
「さっきは変なことで電話して悪かった」とか?
天地がひっくり返っても武上がそんなことを和彦に言うわけないのだが、
いい加減和彦も疲れて思考回路がおかしくなってきたのか、
なんとなく武上からの電話のような気がして携帯を開いた。
だが、やはり(もちろん)武上からではなかった。
山崎からの電話である。
って、あれ?山崎?
今まで一緒にいたのに?
和彦がキョロキョロと辺りを見回すと、
少し離れた電柱の陰で山崎が携帯を耳にあてたまま、片手を軽く上げた。
「・・・?」
和彦が電話に出てみる。
「おい、なんだよ、やま・・・」
「和彦さん。急に仕事が入りました」
「はあ!?今から!?」
「はい。家に帰って寝るって仕事です」
「・・・」
「では」
和彦は切れた携帯を見て思わず笑った。
「羽賀さん」
「ん?なんだ、KAZU」
和彦はここぞとばかりに最高のKAZUスマイルを作る。
「すみません、仕事が入ったので、行かせて頂いてよろしいですか?」
羽賀が目を見開いた。
「今から別の仕事か!アイドル殿は大変だな!」
「ええ、まあ。でも仕事ですから。明日の通し稽古には遅れずに行きます」
「おお、わかった、頑張れよ!」
羽賀は快くそう言った。
やった!
恩に切るぜ、山崎!!
KAZUモードが完全に解除された和彦は、
他のメンバーの「いいなあ」という視線を黙殺し、
いそいそと家のベッドへ向かって走り出した。