第3話 高校生とオジサン
「どこに行ってた!!さっさと位置につけ!!」
ドスの利いた声が演劇場内に響く。
和彦は武上を恨みつつ「すみません」と言って舞台の上に上がった。
締め切りに追われるさえない漫画家、という風情の演出家・羽賀は、
誰に対してもこういう態度。
演出家としての実力は周囲も認めるところだが、
とにかくその人間性に問題あり、という人物だ。
和彦も羽賀に怒鳴られることなどしょっちゅうで、いちいち気にはしていないが、
やはり自分のせいで練習が押すのは他の人に対して申し訳なく思う。
だが、今回は和彦以外にも舞台に上がるのが遅い役者がいるようである。
「中谷は!?主役がいなくてどうする!!」
ごもっともであるが、
そんなに怒鳴らなくても・・・と、その場の全員が思った。
下川が、羽賀の所に飛んでくる。
「羽賀さん!すみません、中谷さんはトイレに・・・」
「子供じゃあるまいし!ちゃんと休憩時間は守らせろ!」
下川に言われても困る。
だが人のいい下川は「申し訳ありません」と平謝り。
先ほどの武上からの意味不明な電話のこともあいまって、
和彦はいい加減うんざりした。
和彦の奴!!!
武上は、いつもより少し高く感じられる11月の空を見上げながら悪態をついた。
寿々菜さんのことをほっとけだって!?
そんなこと、できる訳ないじゃないか!!!
和彦が寿々菜に恋愛感情がないことは武上も分かっているが、
和彦はそれなりに寿々菜のことを気にかけていると思っていた。
いや、場合によっては、和彦も自分でも気付いていないだけで、実は寿々菜さんのことを・・・
それなのに!!
和彦の奴!!!
しかし、「ほっとけない」と言いつつ武上にはどうしようもない。
寿々菜は自分の意思で宮下のところへ行っているのだ。
武上はやり場の無い怒りと焦燥感で、足を早め・・・
こんな時、1人暮らしのアパートに帰っても悶々とするだけだ。
武上は仕方なく、もう1つの自分の居場所、いや、自分のホームグラウンドへと向かった。
「あれ?武上君?今日はもう上がったんじゃなかったっけ?」
夕食には少々早い夕方5時半。
それでも、時間に不規則な仕事のせいか、署内の食堂には結構人が入っている。
武上に声をかけてきた婦警の手の中のお盆にも、夕食らしき皿が見える。
「鳥居さん・・・」
武上は生気のない顔を鳥居に向けた。
「そうなんですけど・・・帰ってもすることありませんから」
一緒に飯を食ってくれる人もいませんしね、
と心の中で付け加える。
「あはは、独身男の1人暮らしは寂しいわねえ」
鳥居は明るい笑顔で武上の前に座った。
鳥居は今年28歳になる婦警。
刑事でこそないが、武上にとっては良き先輩だ。
「鳥居さんだって人のこと言えないじゃないですか」
「独身女の1人暮らしは優雅で気楽でいいもんよ。
それに武上君は、1人暮らしを満喫するタイプじゃなさそうだし。
早くお嫁さん貰ったほうがいいわよ?」
「・・・来てくれるお嫁さんがいればいいんですけどね」
武上の頭に寿々菜の顔が浮かぶ。
その時、その寿々菜の顔が目の前に現れた。
え?寿々菜さん!?
どうしてここに!?
・・・違った。
寿々菜は寿々菜でも、実物ではなく食堂に置かれているテレビの中の寿々菜だった。
もっとも寿々菜がテレビに映っているということ自体珍しいが。
そうか・・・寿々菜さん、今度「御園探偵」の第6弾に出演するんだっけ。
見逃せないな。
どこまでも健気な男である。
ちなみに「御園探偵」は不定期に放送される2時間モノのサスペンスで、
今テレビに流れているのは、その予告編らしい。
主演は和彦。
これだけでも充分腹立たしいが、続いて出てきたラパンの顔と、
「ついにラパンの秘密が明らかに!」というテロップに、
武上は思わずテレビから目を逸らした。
が。
「ああ!KAZUだ!相変わらずかっこいいー・・・」
鳥居がうっとりとした表情でテレビに見入った。
実は鳥居、大のKAZUファンで、KAZUのことならなんでも知っている。
武上にとって、これこそが鳥居の唯一の欠点である。
「ねえ、ねえ!武上君って、KAZUと知り合いなんだよね!?」
「他人以上、知り合い未満ってとこですね」
よほどさっきの電話のことを怒っているらしい。
「今度紹介してよ!」
「やめといたほうがいいですよ。幻滅しますから」
これは純粋に鳥居のことを思っての発言である。
和彦の二重人格たるや・・・まあ、それはともかく。
「えー?あ、ラパン・・・宮下真だ。あの人もかっこいいよね」
鳥居が再びテレビに目を向ける。
「・・・」
「宮下真とは知り合いじゃないの?」
「全然!!!」
・・・そうだ!
武上は少し前のめりになった。
「鳥居さん!宮下真のことって詳しいですか?」
「え?まあね。『御園探偵』のレギュラーだし。あ、そう言えば第6弾にはスゥって子も出るのよね。
あの子はレギュラーになるのかなあ」
寿々菜がドラマのレギュラーになるのは喜ばしいことだが、
そこに宮下真もいるのかと思うと、武上は心中穏やかではない。
「宮下真ってどんな奴ですか!?」
「どんな、って。うーん、KAZUとは違ってトーク番組とかには出ないからなあ」
「異性関係が派手、とかって噂は?」
「聞かないけど。でも、舞台女優の氷室麻綾とは噂になってるわ」
氷室麻綾?
聞いたことないな・・・
でも!ちゃんと彼女がいるんじゃないか!!!
武上は憤然とした。
寿々菜さんは、知っているんだろうか?
「でも、異性関係で言えばKAZUの方がよっぽど派手よ。しょっちゅう誰かと噂になってる」
「・・・そうですか」
それは武上も、そして寿々菜も知っている。
寿々菜の心中を思うと武上も心穏やかではないが、
当の寿々菜はあまり気にしていなかったりする。
寿々菜の和彦に対する気持ちはまだ、恋心半分・ファンとしての憧れ半分、と言ったところ。
和彦のスキャンダルを聞くと、確かに嫌ではあるが「失恋」というのともちょっと違うのである。
という訳で、武上に負けず劣らず寿々菜も健気に片思い中だ。
それなのに、寿々菜さん・・・
どうして宮下真なんかと?
16歳の女子高生の心理を想像するには、
24歳の武上は少々「オジサン」過ぎたのだった・・・。