第16話 実験
「時間が足りなくてみんなピリピリしてんだよ!邪魔すんな!!!」
和彦は小声で武上に怒鳴ったが、
武上も慣れっこだ。
気にもしない。
だが、舞台関係者がピリピリするのも無理はない。
ヒロイン役の氷室麻綾の死に続き、昨日は主演の中谷寛人が殺された。
代役はいるし公開まで時間がない、ということで、
早速今日、舞台稽古が再開されたのだ。
「みなさん、お忙しいところ申し訳ありません。
一連の事件が解決しますので、ご協力お願いします」
武上はそう言って、集まった面々に頭を下げた。
警視庁に戻った武上は、生き返ったようにあちこちに電話をかけまくり、
ようやく事件の真相に迫ることができた。
そして、夕方。
こうやって事件関係者に、照明が煌々と輝く暑い天井裏に集まってもらったのだ。
武上の目の前にいるのは、上司の三山の他、
和彦、山崎、演出家の羽賀、アシスタントの下川、それに学校帰りの寿々菜である。
「へー。こりゃ見物だな」
和彦が壁にもたれる。
武上は小さく深呼吸をした。
いつもならこういうことは和彦の役目である。
和彦の、そして寿々菜の手助けなく自分の推理を話すのは緊張する。
刑事がそんなことでどうする、とも思うが、
刑事だからこそ緊張するのだ。
間違いは許されない。
刑事が疑えば、例えそれが間違いでも、疑われた人は世間では一生容疑者扱いされる。
武上は「まず、昨日の中谷寛人さん殺害に関してですが」と言った。
「現場近くにいた主婦3人が、
午後9時過ぎに中谷寛人さんの家から慌てて飛び出してきた男を見ています」
武上は「この男です」と言って、写真を一枚取り出した。
全員がその写真を覗き込む。
「・・・・・・」
「羽賀さん。昨日、中谷寛人さんの家に行きましたね?」
羽賀が青くなる。
「し、知らん!」
「中谷寛人さんの家のドアノブの指紋を取ってあります。
羽賀さんの指紋と照合すれば、そんな嘘はすぐにバレますよ」
「・・・」
「正直に言った方が、後々ご自身のためです」
羽賀はワナワナと震えたが、やがてがっくりと肩を落とした。
「・・・確かに行ったよ。だが!俺が行った時、既に中谷は死んでいた!
だから慌てて逃げたんだ!!」
「どうして通報しなかったんですか?」
「俺は・・・まあ、その、舞台関係者からは受けがよくないからな。
疑われるかもしれんと思ったんだ。でも、後からやっぱり通報しようかと中谷の家に戻ったが、
なんかやかましい女達が騒いどったから、もう下手に関わらない方がいいと思ったんだ」
「本当ですか?」
「本当だ!!」
武上は頷いた。
「取りあえず、分かりました。では、どうして中谷さんの家に行ったのですか?」
「あいつは少し前、プレッシャーに耐えられず、役を降りたいと言い出した。
説得したが、頑として俺の言うことなんぞ聞こうともしない。
それで、昨日の午後9時に中谷の家で話し合おう、ってことになってたんだ」
和彦が「ああ、それで」と言った。
「飲み会の時、2次会を断った中谷さんを責めなかったのは、中谷さんに気を使ってたんですね?」
「そうだ。あれくらいは大目に見てやらんとな。しかし、あいつは主演としての自覚が足りなかった。
トイレで集合時間に遅れる、なんて、もってのほかだ。
主演なら、腹が痛かろうが体調が悪かろうが、舞台の上で倒れるくらいの覚悟でいろって話だ」
羽賀はチラッと和彦を見た。
「お前も主演じゃないとは言え、まだちょっと甘いぞ」
「・・・」
あの時、和彦も電話をしていて集合時間に少し遅れた。
もっとも、その電話というのは・・・
和彦は武上を睨んでから、羽賀に「すみませんでした」と素直に謝った。
羽賀は多少無茶苦茶ではあるが、言いたいことは分かる。
和彦も、自分が主演の時は死んでも舞台に立とうと心に誓った。
武上が、話を本筋に戻す。
「実は中谷さんの事件には少し裏があります。
中谷さんを殺した犯人は、
中谷さんが氷室さんを殺し、罪の重さに耐えられず、氷室さんを殺したのと同じ方法で自殺した、
と見せかけたんです。
でも、この犯人は頭が良い。『もしかしたら警察はそんな偽装は見破るかもしれない』と思い、
次善策として、羽賀さんを犯人にしようとしたんです」
「羽賀さんを?」
和彦が眉を寄せる。
「犯人は、羽賀さんが昨日の午後9時に中谷さんの家を訪れることを知っていた。
だからその直前に中谷さんを殺し、羽賀さんが疑われるように仕向けた」
「ふーん・・・でも、羽賀さんが中谷の家から出るのを主婦達が見てたのはたまたまだろ。
誰も羽賀さんを目撃しなけりゃ、羽賀さんは疑われない」
「ああ。だから、敢えて氷室さんが死んだ時と同じ状況で、中谷さんを殺したんだ。
演出家はそういう『演出』にこだわりそうじゃないか。和彦もそう思うだろ?」
和彦は肩をすくめた。
「じゃあ、中谷を殺した奴が、氷室も殺したのか?」
「いや」
武上は首を振った。
「氷室さんは自殺だ。遺書はなかったから、突発的な自殺だろう。
しかし、中谷さんを殺した犯人は、氷室さんの死体を見た時、全ての計画を思いついた。
氷室さんが自殺したロープが焼き切れていたのは、まさに犯人の『演出』だ。
インパクトの強い、そして警察が自殺か他殺か悩むような細工をわざとやったんだ。
同じ方法で中谷さんが死ねば、中谷さんが氷室さんを殺して自殺したか、
同じ人物が氷室さんと中谷さんを殺したか、と警察は思うからな」
「下手すりゃ犯人は、自分が氷室も殺したって疑われるじゃないか」
「そうだ。だから犯人は、わざと一度氷室さんの事件で俺に自分を疑わせておいてから、
実は自分は何の関係もないと、後で俺に暴露した。
そうすれば、その後の中谷寛人殺しの容疑者からも自然と外れる。
警察は、氷室さんと中谷さんを殺したのは同じ人物だと思ってるからな」
武上は和彦から視線を外し、その隣に立つ人物を見た。
「下川さん。あなたが中谷寛人さんを殺したんですね?」
和彦が小さく「えっ」と呟いて、一瞬壁から背を浮かせたが、
またすぐに壁にもたれた。
武上に驚いているところを見せるのが癪なのだ。
「な、何を言ってるんですか、武上さん!僕、そんなことしませんよ!?」
「下川さんは、控え室で羽賀さんと中谷さんが、中谷さんの家で会う約束をしているのを聞いて、
その直前に中谷さんを殺して羽賀さんに罪を着せようと思いついた。
そして偶然、氷室さんの自殺体を最初に発見し、中谷さん殺しに利用したんです」
「違います!!」
武上は下川を無視して続けた。
「氷室さんの死体を見つけた時、計画を思いついたあなたは、
氷室さんが自殺に使ったロープを焼き切って、氷室さんの死体を舞台の上に落とそうとした。
でもあなたはライターやチャッカマンを持っておらず、どうやって火を起こそうか悩んだはずです。
それに、一度氷室さんの死に関して、自分も疑われる必要があった。
そこであなたは一石二鳥の方法を思いついた」
「一石二鳥?」
武上は、ポケットからある物を取り出した。
「コレは刑事の俺より探偵の和彦に似合うな」
「・・・あのな。今時どこに虫眼鏡片手に歩く探偵がいるんだよ・・・ん?虫眼鏡?」
「そうだ」
武上はかがみ込み、今度はポケットから黒い紙を出すと床に置いた。
そして虫眼鏡を上下させて照明の光を集め、紙の上に焦点を絞る。
・・・ほどなくして、紙から一筋の煙が立ち上った。
「小学校の時、理科の実験でやりましたよね?これ。
下川さんは自分の眼鏡を虫眼鏡代わりにして、こうやってロープを焼き切ったんです。
だから焼き跡が不自然だったんですよ。
中谷さんの時はちゃんとライターを準備していったんでしょうけどね」
和彦は呆れ返った。
「氷室が首吊って死んでる前で、こんな悠長なことやってたのか!?」
「いや、下川さんは照明と眼鏡の位置を工夫し、勝手にロープが焼けるようにしておいて、
帰ったんだ。眼鏡は氷室さんの死体が舞台に落ちた時の衝撃で床に転がったんだろう」
「なるほど。そうすりゃ、ロープを焼くことができるし、眼鏡っていう遺留品も残せるって訳か。
それで一石二鳥か」
「ああ」
「だから俺が氷室を見つけた時、照明がつけっぱなしになってたんだな。
電気の無駄だぜ」
だが、下川は困ったように笑った。
「武上さん。確かにそれなら僕にもできますけど・・・
僕以外の人にもできますよね?僕が氷室さんの死体に驚いて眼鏡を落として逃げた後、
他の誰かが氷室さんと僕の眼鏡を見つければ、同じことができますよ?」
「もちろんそうです。でも・・・」
武上は手帳を開いた。
「下川さん。舞台関係者の方に朝、電話して聞きましたが、下のお名前は『拓也』ですよね?
下川拓也、さん」
「・・・はい」
「でも、そんな名前の人、日本にはいないんですよね」