第12話 新たな容疑者
「武上さん!こんばんは!」
演劇場につくとすぐに、
新しい眼鏡(相変わらず牛乳瓶の底だ)の下川が、武上を見つけて駆け寄ってきた。
ちなみに天井裏にあった眼鏡はまだ警察の手元にある。
「舞台の使用許可、出してくださってありがとうございます!
これで明日から練習を再開できます!」
「いえ、僕の上司の三山が頑張ってくれたんで。
単純な自殺なら、今日からでも使えたんですけどね・・・ごたごたしてすみません」
舞台というのはもしもの時に備えて、代役が事前に準備されている。
氷室麻綾の代役ももちろんいるので、舞台関係者はすぐにでも稽古を再開したかった。
そういう訳で、いまだ謎の多い事件だが舞台の使用を許可したものの、
その前にどうしてももう一度現場を見ておきたくて、武上はやってきたのだ。
寿々菜に対する不信感を払拭したいという気持ちもある。
本当なら大忙しの下川だろうが、何故か武上の横から離れようとせず、
何か迷っているような表情だ。
武上は待った。
「あの、武上さん」
「はい」
「お話したいことがあるんですけど」
「はい」
「実は・・・前、僕、氷室さんの死体は見ていないと言いましたが・・・」
下川が口ごもる。
武上は苦笑しながら、下川の後を引き継いだ。
「本当は、氷室さんの死体を見たんですね?」
「・・・はい。すみません、嘘をついて」
「そうだと思いました」
「お気づきでしたか・・・。あの日、天井裏に上がった時、
気付いたら僕の横に氷室さんが立っていました。
最初は本当にただぼんやりと立っているだけだと、思ったんです。
でも目はうつろだし、よく見ると、足がかすかに床から浮いていて・・・」
下川は身震いをした。
「その時、やっと氷室さんの首にロープが巻いてあるのに気がつきました。
僕、怖くなって大急ぎで逃げたんです。眼鏡を落としたのには演劇場を出たところで気付きましたが、
もう取りに帰る気になれなくて」
当然だろう。
武上は頷いた。
「最初から正直に話して下さればよかったのに」
「はい・・・本当にすみません。
怖かったし、万が一疑われたりしたら、と思うと言い出せませんでした」
武上には、下川の行動が普通に思えた。
和彦のように、死体を見つけたらまず脈を取って死んでいることを確認し、110番、
更に知り合いの刑事にも一応知らせる・・・なんてこと、中々できることではない。
和彦がそうできるのは、生来の図太い精神と、経験のお陰だろう。
「下川さんが氷室さんを見つけた時、ロープは焼けてなかったんですよね?」
「そこまでは見ていませんが・・・でも、氷室さんがぶら下がっていたってことは、
ロープは切れてないってことですよね?」
「そうなりますね。焦げ臭い匂いとかもしませんでしたか?」
「さあ・・・多分・・・。天井裏は照明の熱で独特の匂いがしますから、
もし何かが少しくらい燃えてても、匂いはわからないかもしれません」
「なるほど」
武上は手帳とボールペンを取り出し、
下川の話を書き付けた。
「その時氷室さんは、確実に死んでいましたか?」
そんなこと、分からないだろうな、と思いながら一応聞いてみたが、
やはり下川は「分かりません」と言った。
「でも、もしかしたらまだ生きていたかもしれませんね・・・
僕が逃げたりせず、氷室さんをロープから下ろして救急車を呼んでいれば、
助かったかも・・・」
「下川さんが氷室さんを見つけたのは、12時半くらいなんですよね?」
「はい」
「でしたら、手遅れだったと思います」
「そうですか・・・」
下川は、少し安心したような表情になった。
実は司法解剖で、死亡推定時刻は午後11時から午前12時半頃と確定したので、
もしかしたら下川は氷室を助けられたかもしれない。
だが、今それを下川に言っても仕方がない。
まさか、また下川が首吊り遺体と出くわすことはないだろうが、
もしそうなったら、次こそすぐに通報してくれるだろう。
下川は隠し事がなくなったからか、明るい笑顔で、
「じゃあ、僕、仕事があるので」と走り去っていった。
これで下川が完全にシロ、という訳ではないが、
武上はなんとなく容疑者候補が1人減った気がして、息をついた。
明日からの舞台稽古再開のために舞台を走り回るスタッフの迷惑にならないよう、
舞台を一通り調べた武上は、次に寿々菜と和彦が所属する門野プロダクションへやってきた。
時間は既に午後9時を回っているが、和彦を見ている武上は、
この業界の人間はこれくらいの時間に訪問した方が失礼にならないのをよく分かっている。
(夜中の12時くらいに和彦にくだらない用事で呼び出されるなんてしょっちゅうだ)
アポなしの訪問だが、門野社長は「5分だけなら」と了解してくれた。
武上が社長室に入ると、
門野は見ていた写真らしきものをさっと机の中に隠した。
「これはこれは、武上刑事さん。お久しぶりです」
「夜分にすみません」
「いえいえ。私にとってはまだ昼の12時ですよ」
和彦曰く「見た目は狸、中身は狐」の社長である。
愛想が良いと逆に怪しい。
「・・・」
「今、事務所には和彦も山崎もスゥもいませんぞ?」
「はい、分かっています」
この時間にKAZUが事務所でフラフラしてなどいないだろう。
スゥは別の意味で事務所にいるはずがない。
それに寿々菜さんは、「用事がある」と言っていたし。
・・・あの金と何か関係があるんだろうか。
武上は門野に、寿々菜の最近の動向について聞きに来たのだ。
彼氏ができたような様子はあるか、何か思いつめているような様子はあるか、など。
しかし、門野の先ほどの行動が、武上はどうも気になって仕方がない。
「門野さん。今、何を机に入れられたんですか?」
「何も」
「・・・嘘をつかないで下さい。見せて下さい」
「断る、と言ったら?」
「僕は刑事として『見せて下さい』と言っているんです」
「逆らえば、公務執行妨害、とでも?」
「場合によってはそうさせて頂きます」
「・・・」
いつになく厳しい武上に、門野も諦めたように机の中から一枚の写真を取り出し、
武上に手渡す。
さっきまでの愛想のよさはどこへやら、すっかり不機嫌丸出しだ。
「・・・なんですか、コレ」
「見たまんまだ」
「・・・」
そこには、夜道を寄り添うようにして歩いている一組の男女が隠し撮りされていた。
それだけではない。
2人はキスしている。
女は、氷室麻綾。
男は・・・
「和彦!?」
武上が叫ぶと、門野が「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「ま、そーゆーことだ」
「そーゆーことって・・・2人は付き合っていたんですか!?」
「ご想像にお任せする」
「・・・」
「とにかく、2人の写真がカメラマンに撮られた。で、私が金で買い取ったという訳だ」
「・・・和彦のスキャンダルなんて年中じゃないですか」
「まあな。しかし今回は氷室麻綾が死んだ。和彦に変な疑いがかかると困る」
「門野さん!」
武上はまた叫んだ。
「こんな大事なこと、隠されたら困ります!」
「私は別に警察に隠し事なんぞしていない。
週刊誌にこの写真が出ると和彦の人気に影響が出るから、買い取ったまで。よくある話だ」
「・・・」
「隠しとるとしたら、それは和彦の方だろう」
「・・・」
確かに門野社長の言う通りだ。
どうして和彦は、氷室麻綾と付き合っていたと俺に言わなかったんだ?
単に、自分が犯人じゃないから余計なことは言わない方がいいと思ったのか?
いや、そんな気を利かす奴じゃないな、あいつは。
現に「俺は氷室を殺す役だから、俺も容疑者だ」と訳の分からないことも言っていたし。
武上はハッとした。
もしかして、和彦の奴。
わざとあんなこと言って、自分は犯人じゃないと俺に思わせようとしたんじゃ・・・?
武上はもう、誰を信じればいいのか分からなくなってきた。