25.先輩が隣にいてくれるなら、だいたいのことは許せると思う
教室を飛び出した私は階段を一段飛ばして降りて、先輩の教室に向かった。
教室の入り口に、黄乃先輩がいた。
「黄乃先輩、世菜先輩って中にいます?」
「坂木くんなら部活に行ったよ。……坂木くん、最近元気ないけど、由紀ちゃんフッたの?」
「いえ、今から告ってきます」
「付き合ってなかったの!?」
目を丸くした黄乃先輩に手を振って、私はまた走り出した。
中庭に行くと、桔花と蓮乃が部長を挟んでベンチに座っていた。
「世菜先輩来た?」
「来たよ。一人で裏門に行った」「一人でいいって」
「君ら二人は、坂木をからかったり、サボりたいだけだろうが」
部長がたしなめると、二人はにこっと笑って部長に詰め寄った。
「やってらんないんですもの」
「うんざりなんですもの」
「なんで私たちが、お行儀悪い男の子に下手に出てよしよししてあげなきゃいけないんですか」
「文化祭実行委員の男子たち、甘えん坊にもほどがあるんじゃないですか」
「一年生の女子にいい子いい子してもらわなきゃできないような文化祭、やめちゃえばいいのに」
「ほら、部長、私たちを労ってください」
「お、俺に言うな! えっと、労いって何してほしいの……?」
部長は男子としては普通の体型のはずなんだけど、背の高い双子に挟まれて、やけに小さく見えた。
巻き込まれる前に、私はまた走り出した。
十月の初めの夕方は、日が暮れるのが徐々に早くなっている。
街灯が灯らないぎりぎりの暗さの中、裏門沿いに並ぶ花壇のところにしゃがむ人影が見えた。
骨張った背中と、ふわふわの髪、意外と太い脚と腕。
この半年くらい、私が毎日見てきた人だ。
近くに置かれたホースはきちんとまとめられていて、ショベルはその持ち手に引っかけられている。
ゴミ袋が三つ、きちんと口を縛られてホースの横に並んでいた。
ゆっくりと近づいて、先輩の隣にしゃがんだ。
「世菜先輩、おつかれさまです」
「……由紀さん。今日は来なくていいって言ったのに」
先輩は明るい色の瞳をぱちっと見開いて、私を見た。
「私が来たかったから来たんです。ねえ先輩、私のこと、もう花菜ちゃんって呼んでくれないんですか?」
タヌキみたいな丸い目が、困ったように垂れた。
口が開きかかって、でも何も言わないで閉じてしまう。
「先輩、最近私のこと避けてましたよね。まったく。私から逃げられると思わないでください」
「そんなこと……」
「ねえ、好きですよ、世菜先輩。私、あなたが隣にいてくれないと、いつもの調子が出ないみたい」
先輩はやっぱり困ったような、ちょっと泣きそうな顔で私を見た。
「でも、君に必要なのは俺じゃなくて須藤先輩だろ? かっこよくて頭が良くて、背が高くて」
おかしいなあ、何言ってるんだ、この人は。
本当にどうしようもなく面倒で、かわいい人だ。
「そだね。藤也はキザで一途で甘えん坊で、大学生の彼女を溺愛してる。だから何? 先輩、文化祭中の空き時間教えてよ。一緒に回ろう。あのね、この学校、一緒に文化祭を回ったカップルは末永く仲良くいられるってジンクスがあるんだよ」
「……初耳だけど」
「今、私が作った。でも、たぶんあながち間違いじゃないよ」
先輩はうつむいてしまった。
でも、すぐに泣き笑いみたいな顔で私を見た。
「俺、君には敵わないみたいだ」
「やだな、気づかなかったんですか」
「ごめん、鈍くさいから」
「いいよ、かわいいから」
手を伸ばして、ふわふわの髪に触れる。
見た目より硬くて、でもずっと触っていたくなる。それはきっと、初めて触ったときからだ。
「花菜ちゃん」
「なあに?」
「俺、疲れちゃったし、ずっと寂しかったからよしよしして」
「任せて」
地面に膝をついて、世菜先輩のほうへ身を乗り出した。
頭を抱き寄せて、髪に顔を埋める。
先輩の手が私の背中を強く抱き寄せて、私の寂しさもやっと埋まった気がした。
しばらく先輩の震える肩と背中を撫でていたら、先輩がゆっくり顔を上げた。
潤んだ茶色のタレ目が私を見ている。
「花菜ちゃん、俺、ずっと君のことが好きだったんだけど」
「うん」
「えっと、知ってた?」
「そんな気はしてた」
いや、わかるでしょ。
四月の時点でやけに近かったし。
でも、近いまま何も言ってこないから、なんだろうなって思ってたけど。
世菜先輩はまた俯いて、私の胸元に顔を埋めた。
「ちゃんと言わせて。花菜ちゃん、好きだよ」
胸元でくぐもった声が聞こえた。
「ありがと。私も世菜先輩のことが好きだな。いないとダメ。寂しい」
「そっかあ。ふふ、嬉しい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
ちょっと痛いけど、ずっとしょんぼりしていた先輩が安心できるならそれでよかったし、私も今はこの人から離れたくなかった。
でも、それはそれとして暗くなってきた。
「先輩、そろそろ帰りましょうよ。だいぶ暗いですよ」
「やだ。花菜ちゃんから離れたくない」
「明日文化祭ですし。あ、そうだ。先輩の空き時間教えてくださいよ。一緒に回りましょう」
「んー……」
先輩はゆっくりと顔を上げた。
でもさっきより暗くてどんな顔かよくわかんないな。
「ねえ先輩。先輩のかわいい顔をちゃんと見たいから、行きましょうよ」
「花菜ちゃんの方がかわいいのに」
「それはそれ、これはこれ。私、先輩の顔がかわいくて好きなんです」
「顔だけ?」
拗ねたように言う先輩の頭を、両手で挟んだ。
耳元に顔を寄せて、ふっと息を吐く。
「先輩は全部、かわいい」
「ちょっ、それ、反則……!」
暗くたってわかるくらい、先輩は焦った顔になった。
笑って立ち上がって、先輩に手を差し出すと、すぐに手が重なった。
引っ張って起こして、手を繋いだままホースやゴミ袋を拾って片付けに行った。
中庭に戻ると、黄乃先輩と翠先輩が倉庫の片付けをしていた。
「由紀ちゃん、告白うまくいった?」
「ばっちりです」
「坂木は生き返った?」
「おかげさまで」
ホースとショベルを片付けて帰ろうとしたら、部長が弱々しい声を上げていた。
「由紀さーん、助けてー」
「なんですか?」
見に行ったら、部長がまだベンチで桔花と蓮乃に挟まれて、愚痴を聞かされ続けていた。
「あ、花菜だ。助けなくていいよ」
「部長の失言ポイントカードが満タンになったから」
「なにそれ」
「言っていいですか、部長?」
「どの失言バラしていいですか、部長?」
「だ、だめ」
いったい何をやらかして、桔花と蓮乃をここまで怒らせたんだろう。
ちょっと可哀想だから、写真を撮って藤也に送っておく。これできっと助けが来るだろう。いつになるかはわからないけど。
「花菜、坂木先輩といい感じ?」
「いい感じ」
「ねえ、部長。私たちだって、いい感じじゃない男の子のことなんか、よしよししたくないんですよ」
「悪かったって!」
「よしよししてほしかったら、もうちょい言うことあるんじゃないですか?」
「ねえねえ、部長。私たちに、言うことあるんじゃないですか?」
「だー、ごめんってば! なんだよ、坂木みたいに手えつないで甘えればいいわけ!?」
……双子がすっごい悪い顔をして、部長がだらだら汗をかいていた。
私は三人の誰かと目が合う前に、世菜先輩の手を引っ張って自転車置き場に向かった。
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