⑤持ち帰り
一行はバックヤードへ戻る。
扉の前で、SPがわずかに動く。
内部と外部の配置が入れ替わり、再び空間が整えられる。
何も指示はない。
だが、すべてが滞りなく進む。
来客応接室に入る。
先ほどと同じ席。
同じ配置。
だが、空気だけがわずかに変わっていた。
——視察は終わっている。
つまり、ここからは確認ではない。
そのことを、水瀬は言葉にしないまま理解していた。
全員が席に着く。
わずかな沈黙。
先に口を開いたのは、橘だった。
「本日は、お時間をいただき誠にありがとうございました」
その声は丁寧で、形式としては正しい。
だが、その奥にある緊張は、消えていなかった。
水瀬も続ける。
「現場をご覧いただいた上でのご意見、大変参考になりました」
夏美がそれを受け取り、英語へと変換する。
言葉は丁寧に整えられ、柔らかくなっている。
だが、意味は変わらない。
夫妻は静かに聞いている。
その視線に、感情の揺れはほとんどない。
やがて、アレックスが口を開いた。
「確認は完了しました」
短い言葉だった。
だが、それは報告のようでもあり、同時に、ひとつの区切りのようでもあった。
夏美が訳す。
「現場としての確認は完了した、とのことです」
続けて、アラクネアが言う。
「提案の意図も理解しています」
夏美が訳す。
「今回のご提案の意図についても理解した、とのことです」
一拍。
そして、アレックスが続ける。
「この案件については——」
わずかな間。
「一度、持ち帰ります」
その言葉は静かだった。
だが、決して曖昧ではなかった。
夏美が、ほんのわずかに間を置く。
そして、日本語へと整える。
「本件については、一度社内にて持ち帰り、検討させていただきたいとのことです」
『持ち帰る』という言葉は変わらない。
だが、『検討』という語が加えられていた。
アラクネアが続ける。
「この判断は、単独では完結しません」
夏美が訳す。
「本件は単独の判断では完結しないため、複数の視点からの検討が必要になる、とのことです」
橘は、ゆっくりと頷く。
「承知いたしました。ご検討のほど、よろしくお願いいたします」
水瀬も続ける。
「本日は誠にありがとうございました」
再び、短い沈黙。
その間に、すべてが終わっていた。
立ち上がる。
それに合わせるように、SPが動く。
室内、扉の外、廊下——
配置が音もなく切り替わる。
来たときと同じように。
いや、それ以上に正確に。
夏美が一礼する。
夫妻も、同時に動く。
その動作は揃っていた。
だが、意図的に揃えたものではない。
——最初から揃っている動きだった。
「本日はありがとうございました」
夏美が言う。
その言葉は、場に合わせて整えられている。
夫妻は、何も付け加えない。
ただ、視線だけが残る。
それが、最後の確認のようにも見えた。
一行は部屋を出る。
廊下を進む。
SPが前後左右を埋め、空間を整える。
外へ。
扉が閉まる。
音は、ほとんどしなかった。
——すべてが、終わった。
そのはずだった。
水瀬は、その場に立ったまま、しばらく動けなかった。
橘も、すぐには言葉を発しない。
やがて、水瀬が小さく息を吐く。
「……持ち帰り、でしたね」
橘は、わずかに頷く。
「そうだな」
それ以上の言葉は続かなかった。
だが——
二人とも、同じ感覚を持っていた。
断られてはいない。
だが、まだ決まってもいない。
それでも。
なぜか——
「もう、進んでいる」
そんな感覚だけが、はっきりと残っていた。
それがどこで決まったのかは、分からない。
だが少なくとも、この部屋ではなかった。
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第1章の終わりは、決定ではなく、保留として訪れる。
五人は別れ、面会は形式として終了する。
案件は持ち帰られ、判断はまだ下されていない。
そのはずだった。
だが、その場に残ったのは、決定でも結論でもない。
ただ、「進行している」という感覚だけだった。
それがどこで始まったのかは分からない。
少なくとも、この部屋ではなかった。
言葉はすでに交わされている。
視線も、手続きも、すべて終わっている。
にもかかわらず——
何かは、まだ終わっていなかった。
むしろ、ここから始まっているようにも見えた。
だがその進行は、誰にも確認できない。
どこで行われているのかも、示されない。
ただ一つ確かなのは、
この場で交わされたものが、すでに別の場所へ移されているということだった。
それが何であるのか。
どのような形で処理されているのか。
この時点では、まだ誰も知らない。
だが後に振り返れば、すべてはすでに、この時点で決まっていたのだと分かる。
まだ、何も決まっていないはずのこの時点で。
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