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転生者レオナルド  作者: 膝栗毛


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神童、爆誕

引き継ぎお楽しみください

転生者レオナルド

第一章「神童、爆誕」


フィレンツェの空は、思ったより青かった。

いや、正確に言えば——PM2.5がない分、青すぎて逆に不安になるくらい青かった。

「レオ、レオ! 見てください、先生が!」

隣で弟子の少年が興奮して袖を引っ張っている。たぶんアンドレアだ。名前が多すぎていまだに全員把握できていない。

「……ん、ああ」

俺——レオナルド・ダ・ヴィンチは、ぼんやりと工房の窓の外を眺めながら生返事をした。

頭の中では別のことを考えていた。

昨日の設計図、どこに置いたっけ。

それだけだ。

神童とか天才とか、周囲は好きなだけ言えばいい。俺の頭の中なんて、締切と材料の調達コストと「また徹夜か」という諦めで、だいたい九割が埋まっている。


ヴェロッキオ親方が俺を引き取ってから、もう三年が経つ。

生物学的な年齢でいえば、俺は今十四歳らしい。

だが実際のところ——中身は四十七歳だ。

前世の記憶はぼんやりとしている。靄がかかったように、細部が欠けている。自分の名前すら、正確には思い出せない。ただ「技術系の仕事をしていた」「残業が多かった」「上司がうるさかった」という、どうしようもない事実だけが骨のように残っている。

なぜ俺が転生したのか。

なぜよりによってレオナルド・ダ・ヴィンチなのか。

それも分からない。気がついたら、小さな子供の体で泣いていた。ヴィンチ村の農家の庭で、羊の鳴き声を聞きながら。

……羊、多いな。

それが十五世紀フィレンツェへの、俺の第一印象だった。


工房の中では親方ヴェロッキオが、パトロンの貴族に何かを説明している。

貴族は四十代半ばの、いかにも「権力を持て余している」顔をした男だった。前世でいえば、部長職にある管理職というやつだ。あのタイプは扱い方がある。

俺はそっと近づいて、作業台の陰に立った。

「——して、その絵の仕上がりはいつになる」

貴族が親方に言っている。声に苛立ちが滲んでいる。ああ、クライアントの催促か。あるある。

親方が困ったように眉を寄せた。

俺は自然な動作で一歩前に出た。

「あと二週間ほどいただければ」

貴族の目が俺に向く。十四歳の子供を見る目だ。

「……お前は」

「工房の者です。絵の顔料の乾き具合を確認していたところ、少々工程に遅れがあることに気づきました。ただ」

俺は少し間を置いた。

ここで焦りを見せない。クライアントは不安を嫌がる。

「急いで仕上げれば質が落ちる。あなたが欲しいのは、二週間後の"完璧な作品"ではないですか」

沈黙。

貴族はじっと俺を見ていた。

やがて、ふん、と鼻を鳴らした。

「……二週間だぞ」

親方が後ろで小さく息を吐いた。


貴族が帰ると、親方が俺の横に来て腕を組んだ。

「お前、なぜあんなことが分かる」

「人間は変わりませんから」

俺は作業台に戻りながら言った。十四歳の口から出る台詞じゃないと自分でも思うが、もう慣れた。

「権力を持つ人は、急かしながらも"品質"という言葉に弱い。それを使っただけです」

親方はしばらく黙っていた。

それから、静かに言った。

「お前は……何者だ、レオナルド」

中年の元技術者です。

「ただの弟子ですよ」

俺は羽ペンを手に取った。

昨日の設計図の続きを描かなければならない。例の"水の流れを制御する機構"の試案だ。原理は分かっている。分かっているが——

材料が、ない。

精度の出る加工ができる職人が、ない。

理論を理解できる相手が、ない。

俺はため息をついた。内側だけで、表情には出さずに。

今世紀中には完成しないな、これ。

窓の外で、青すぎる空がどこまでも続いていた。


第二章「最初の仕事」


俺の最初の本格的な仕事は、礼拝堂の壁画だった。

サイズは縦三メートル、横五メートル。テーマは「受胎告知」。締切は六ヶ月後。

「……広いな」

壁の前に立って、俺は率直にそう思った。

前世でいえば、大型プロジェクトの初回キックオフだ。

アシスタントが横に並んでいる。アンドレア、マルコ、それから名前をまだ覚えていないもう一人。三人が期待に満ちた目で俺を見ている。

若い目だ。輝いている。

ああ、この目には少し慣れてきた。

俺が何かをするたびに、彼らはこういう目をする。俺が透視図法を使って下図を引いたとき。俺が絵の具の配合を少し変えたとき。俺が「天使の羽根は鳥類の解剖学に基づいて描くべきだ」と言ったとき——

その度に彼らは目を輝かせた。

お前ら、それ別に大したことじゃないぞ。

内心でいつもそう思う。俺がやっているのは、ただの「知っていること」の出力だ。前世の知識の、ぼんやりとした残骸をかき集めているだけ。

天才じゃない。

検索履歴の残りカスだ。


「先生、どこから始めますか」

マルコが訊いてきた。

俺は壁をもう一度見た。

どこから始める、か。

プロジェクトマネジメントの基本は「全体を把握してから動く」だ。いきなり手を動かして後で痛い目を見るのは、どの時代も同じだろう。

「まず壁の状態を確認する。湿気の具合、石灰の質。それから光の入り方を一日かけて観察する」

「……それだけですか?」

アンドレアが少し驚いた顔をした。

「絵を描く前に、どれくらい時間をかけるんですか」

「条件次第だが——二週間は見る」

「に、二週間!?」

三人が同時に声を上げた。

俺は振り返らずに言った。

「焦って描いて剥落したら意味がない。壁画は"描く"より"持たせる"ほうが難しい」

ミラノのどこかの壁画が五百年後に剥がれて大騒ぎになる話を、俺は知っている。

あれは教訓だ。反面教師。

……あ、もしかしてあれ俺が描くやつか。

一瞬、嫌な予感が走った。

まあいい。その前に対策を考えればいい。問題が見えているなら、対処できる。

それがどの時代の「仕事」でも、変わらない原則だ。


夜、工房に一人残って下図を引いていると、親方が顔を出した。

「まだいたのか」

「……締切があるので」

「六ヶ月あるぞ」

「六ヶ月しかないんですよ」

親方は苦笑いした。

ろうそくの火が揺れた。俺は羽ペンを走らせながら、天使の右腕の角度を微調整した。

この角度だと、透視的におかしい。もう少し——

「なあ、レオナルド」

「はい」

「絵を描いているとき、お前は何を考えている」

俺は少し手を止めた。

何を、か。

正直に言えば——「このパースあってるかな」とか「顔料の乾燥時間どうしよう」とか「そういえば昼飯食ったっけ」とか、その程度のことしか考えていない。

でも、それを言うのは無粋な気がした。

「光のことを考えています」

俺は答えた。それは嘘ではない。

「光がどこから来て、どこに当たって、どう反射するか。それを正確に描ければ、見た人が——そこに本当に光があると感じる」

親方は黙っていた。

「お前は……」

「ただの観察です。誰でもできる」

「できないから俺はお前を雇っているんだ」

親方の声は、少し掠れていた。

俺は答えなかった。

ろうそくが揺れた。

誰でもできる。本当に、そう思っている。

ただ——「見る」ことを、ほとんどの人がしていないだけで。

それだけのことだ。


深夜になって、俺は羽ペンを置いた。

背中が痛かった。腰も痛かった。

四十七歳の魂に、十四歳の体がついている。

体は若い。それは助かっている。目がいい。手が動く。徹夜しても翌朝には回復する。それだけは素直にありがたかった。

だが——

魂の疲れは体が若くても消えないな。

俺はろうそくを吹き消した。

暗闇の中に、窓から月明かりが差し込んでいた。

十五世紀の月は、やっぱり明るかった。光害がない分。

——ああ、そういえば。

月を見て、ふと思った。

前世で——月面の地形図を見た記憶がある。ぼんやりとした記憶だが、確かにある。クレーターの名前を覚えていたような気がする。

あの月に、人間が降り立つのは。

何百年後だっけ。

俺は暗算した。

だいたい五百年くらい、か。

「……長いな」

呟いた。

誰もいない工房に、声が小さく響いた。

この世界を、どこまで変えていいのか。どこまで"知っていること"を使っていいのか。

俺にはまだ、答えが出ていない。

ただ——目の前の壁画は、描かなければならない。

締切は、六ヶ月後だ。

まずそれだけ考えよう。

どの時代も、仕事は仕事だ。

俺は毛布を引き寄せて、作業台の上で横になった。

弟子たちには内緒の、いつもの仮眠場所だ。


天才の夜は、こうして更けていく。

実態は——ただの、疲れた中年のそれと、何も変わらずに。


次回もお楽しみに

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