EP50『刻まれた烙印』
49『刻まれた烙印』
あの頃の俺は、今じゃ考えられないほど気力に満ちていた。何かを成し遂げたかったし、誰かの役に立ちたかった。
教室には、いつも同じ匂いがあった。
チョークの粉と、古い木の机と、少しだけ湿った空気。
そして今日は、それに混ざっていた。焦げたような、嫌な匂いが。
「なあ、またやられてんのかよ」
昼休み。誰もいない教室の隅で、俺はそいつに声をかけた。
机に突っ伏していた顔が、ゆっくりと上がる。
「……別に」
強がりだと一目でわかった。頬が少し腫れている。
「別に、じゃねえだろ」
俺がため息をつくと、そいつは苦笑した。
「緋華はさ、変に正義感強いよな」
「は?」
「放っとけよ、こんなの。慣れてるし」
慣れてる、なんて言葉を使うなよ。喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
「……気に入らねえんだよ」
短くそう言うと、そいつは少しだけ驚いた顔をした。
「何が?」
「そういうみっともない奴らだよ」
沈黙が落ちる。
体育館で遊ぶクラスメイトの掛け声がかすかに聞こえた。
「わかった、俺がどうにかする」
口に出した瞬間、そいつははっきりと眉をひそめた。
「やめてくれ。余計ひどくなるだけだ」
「ならねえよ」
言い切った。言い切ってしまった。今思えばそれが、その選択が既に間違っていたのかもしれない。
「俺が全部終わらせる」
その時、右手の甲が、じん、と熱を持った気がした。
時計の針が、一刻、また一刻と音を立てる。
その日の放課後だった。教室に戻ると、笑い声が聞こえた。嫌いな類いの笑いだった。
「ほら、言ってみろよ」
「ごめんなさいってさあ」
数人に囲まれて、そいつは床に押さえつけられていた 。
鞄がひっくり返されて、中身が散らばっている。心の中に火が灯った。
「やめろよ」
声が出た瞬間、笑い声が止まる。
「あ?」
一人が振り返る。
「なんだよ、ヒーロー気取りか?」
クスクスと笑いが広がる。
「関係ねえだろ」
「あるだろ。こいつ、お前とつるんでるし」
一人が足でそいつの肩を軽く蹴る。そいつは何も言わない。ただ歯を食いしばっていた。
――気に入らねえ。何もかも。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「離せ」
「やーだね」
軽い口調。悪意のない、ただの遊びみたいな声。その瞬間、何かが切れた。
――俺が全部終わらせるって言ったよな
自分でも、声が低くなっているのがわかった。
右手が熱い。焼けるように熱い。
「は? 何」
視界が、揺れた。
次の瞬間、教室の空気が歪んだ。
心が爆ぜた。今まで自分が犯してきた罪、自分が後悔していること。その全てが身体に刻まれる。痛みとなってあらわれる。頬に切り傷ができた。
「っ!?」
悲鳴が上がる。床が軋む。机が弾け飛ぶ。俺の手から、何かが溢れていた。それは闘気、いや殺意だった。拳に力を込めるだけで血が出てくる。
「や、やめろ!?」
俺は思いっきり主犯格を殴った。
――止まれ!
そう思った。確かに思った。でも、止まらなかった熱が、止まらない。
目の前のやつらを焼き尽くすように、力が暴れている。
「くたばれ」
二人、三人と、次々と吹き飛んでいく。
視界の端で、そいつがこっちを見ていた。
それは感謝でも悦びでもなく、恐怖に、引きつった顔だった。
その表情で、察してしまった。俺はこいつを守れなかった。本当の意味で。
「化け物……」
誰かが、そう言った。いや、倒れているやつらは喋れない。言ったのは紛れもなく、いじめられてたやつだった。
時計の針が音を刻むように、その言葉が頭に響いた。
――違う。俺はお前を助けたくって……。
体が、言うことを聞かない。熱が止まらない。
「やめろって言ってんだろ!!」
叫んだ。でも、それすらも力を加速させるだけだった。
――終わらない。
俺じゃ、止められない。
膝が、崩れた。急に、力が抜ける。
呼吸ができない。肺が焼けるみたいだ。
「はっ……は……」
視界が暗くなる。熱はまだ残っているのに、体が動かない。
――まずい。
その瞬間だった。
「……止めるのが遅かったか」
知らない声が、教室の奥から落ちてきた。
顔を上げる。
机の瓦礫の向こう、いつからいたのか分からない男が一人、壁にもたれていた。
制服じゃない。教師でもない。ただ、妙に落ち着いていた。
「……誰だよ……」
声が掠れる。
「予想以上だ、紅蓮寺緋華。僕は四葉廻流。いずれ相対するときが来るさ」
男は視線をこちらではなく、ゆっくりと“そいつ”へ向けた。
「お前は役に立った。いじめられていただけだがな」
心臓が、嫌な音を立てた。
「やめろ……」
声が出た。でも、体は動かない。
男は無造作に歩み寄ると、床に倒れていたいじめられっ子の腕を掴んだ。
「っ……!」
そいつの体がびくりと震える。意識はある。でも、動けない。
「離せ……!」
叫ぶ。喉が焼ける。
「離す理由がない」
あっさりと返される。
「むしろ都合がいい。あれだけ派手にやってくれたんだ」
男は、初めて俺を見た。その目は、恐怖でも怒りでもなかった。
他人事のような目だった。ぞわり、と背筋が冷える。
「お前を止めるには、これで十分だろ?」
ぐい、とそいつの腕を引き上げる。
「やめろ!!」
手を伸ばす。届かない。
「助けたいなら来ればいいさ」
男は、わざとゆっくり言った。
「その力、もう一回使ってみたらどうだ?」
挑発。
分かってる。分かってるのに。
右手が熱を帯びる。
――だめだ。
これ以上使えば、今度は本当に自我がなくなる。
目の前で、そいつが連れていかれる。
「……やめて……」
小さな声だった。そいつの口が、かすかに動いた。
「もう……いいから……」
「……っ」
力が、動かない。力に溺れるの怖い。その一瞬の迷いが、致命的だった。
「まだまだ、お前はヒーローに成りきれていない」
男は興味を失ったように呟くと、そのままそいつを引きずった。
「待て!!」
叫ぶ。
体が、動かない。床を擦る音。扉に向かう足音。
「……っ、緋華……」
名前を呼ばれた。
顔が上がり、目が合う。その目は俺を怖がっていた助けを求めるよりも先に、恐怖があった。
伸ばした手は、虚空を仰ぐだけだった。
教室に残ったのは、焦げた匂いだけだった。
いじめられっ子は、後日処刑された。正当な理由がないことは、十二のガキでも理解できた。しかし俺のカースがそれを物語っていた。
彼が処刑された時の痛み。身体中を焼き尽くす業火が、傷跡として刻まれた。
その日から、何をやってもやる気が沸かない。全てが空回りして、また誰かを傷つけて殺してしまう気がした。
所詮、カースはカース。呪いの力は、ただの呪いなんだ。




