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 EP46『殿下と看守』

46『殿下と看守』


 部屋には重々しい空気が漂う。過度に施された装飾が、その空気を助長している。この場所は本来、国の重鎮が会食等に利用している場所だ。

 四葉廻流は手元の資料を閲覧している。

「ローダンセ卿、例の件はどうなっていますか」

 ローダンセは落ち着いたトーンで応じる。

「恐らく、灯火零は命令に背くつもりでしょう」

「そうですか……悲しい話ですね。私に従えば、全て上手くいくというのに」

 そう言いワインを口に運ぶ。

「しかし、たまには貴族らしく振舞うのも乙なものですね」

「四葉殿下は日本の生まれですものね」

「ローダンセ卿、その情報は内密にしてください」

「私は公にしてもいいと思ってますけどね。そもそも名前がカース人なんですから」

「人には人の事情があるものですよ」

 そう言ってまた資料をめくっている。

「灯火零という少年、四葉殿下のご慧眼にはどう映りますか」

 廻流は資料から目を上げた。

「優秀ですね。あの年齢であなたに代わって看守長代理を務めるだけのことはある」

「それだけですか」

「それだけではありません」

 廻流はワインを置いた。

「あの少年には、珍しい資質があります」

「資質、ですか」

「カースも魔法も持たない。それは知っているでしょう。だからこそ、誰よりも人間を理解している」

 ローダンセは黙って続きを待った。

「私が今まで会ってきた人間の中で、感情を持ちながら感情に流されない人間は彼しかいませんでした」

 廻流の視線が、窓の外に向いた。夜の街が、遠く光っている。

「それが、灯火零です」

 ローダンセは静かに問いかけた。

「彼を、どうするつもりですか」

「どうもしません」

 即答だった。

「ただ、正しい場所に置きたいだけです」

「正しい場所とは」

 廻流は微笑んだ。穏やかで、読めない笑みだった。

「それは、彼自身が決めることです。私はただ、その選択肢を増やしてあげたい」

「……随分と回りくどいやり方ですね。ただ、カース人にそんな肩入れして、反感を買いますよ」

「急いては事を仕損じる、というでしょう。それに、だからあなたに頼んでいるんですよ。あなたは私の期待を裏切ったことはない」

 ローダンセは小さく息を吐いた。

「返還命令に背いた場合、帝国はどう動きますか」

「動きません」

 ローダンセの目が、わずかに細くなった。

「その命令は、私が出したものですから。帝国は関係ありません」

 沈黙が落ちた。

「つまり、最初から彼を試していたと」

「ローダンセ卿」

 廻流は再びワインを手に取った。

「ただ従うだけの人間に、私の仕事は任せられません」

 赤いワインが音を立てた。


 ***


 扉が開いたのは、零が白紙をじっと見つめていた頃だった。

「ただいま」

 カルネにしては、珍しく静かな声だった。零は顔を上げる。

「早かったですね」

「まあ、時間を止めたからな」

 カルネは椅子を引いて座った。いつもの軽さがない。零はそれを見て、内容を察した。

 カルネは机に紙を置いた。殊夜の筆跡で、びっしりと書かれている。

「まさかお前が協力を要請するとはなって驚いていたぞ。殊夜のやつ」

 零はフッと鼻で笑う。

「一つ目。返還命令の出処だが、帝国の正式な命令じゃない。誰かが帝国の名を借りて出した命令だ」

 零は眉を動かさなかった。

「二つ目。四葉廻流について。あいつはな、零」

 カルネが少し間を置いた。

「執権代理じゃない。正確には、執権そのものだ」

「……どういうことですか」

「表向きは代理だが、実質的な帝国の意思決定は全部あいつが握っている。王は既に名ばかりの存在らしい」

 零は黙っていた。

「三つ目。有事の際の助力については」

 カルネはそこで言葉を切った。

「殊夜はこう書いてきた」

 カルネが紙を零に渡した。該当の箇所には、一行だけ書かれていた。

 ――既に動いている。

「……どういう意味ですか」

「私にもわからん」

 カルネは珍しく、困った顔をした。

「だが、これだけわざわざ紙に書いたってことは、なにか意図があるんだろう。お前の頭脳を信じての行動だと思う」

「そうですか……ありがとうございます」

「で? 今後はどうすんだ? 天才さんよ」

 零は少し考えた。

「四葉廻流に、話をつけてこよう」

「ほう? ローダンセじゃなくてか?」

「あいつの真意は読めないが、一つだけわかったことがある」

「言ってみな」

「あいつは言うなれば、前線出でてくる指揮官なんだ」

「お前とは違うな」

「執権代理なんて大物が、わざわざ一機関へ訪ねてくるのは有り得ない。だからあいつは、機関ではなく俺自身に興味がある」

 カルネは黙って続きを促した。

「恐らく、ローダンセ看守長に返答するときに一緒に居るはずだ。そこで話をつけよう」

「もし居なかったら?」

 零は言うまでもないという顔で言って見せた。

「必ず来るさ」


 ローダンセの執務室に、零は一人で入った。

「回答を聞かせてもらえますか、灯火看守」

「昨日も言いましたが、お断りします」

 間髪入れずだった。ローダンセは表情を変えなかった。

「理由は」

「昨日と同じです。正当性がない」

「帝国の命令に正当性を求めますか」

「求めます」

 零はローダンセを真っ直ぐに見た。

「俺はここに残ります。生徒たちが、まだここにいる」

 しばらく沈黙が続いた。ローダンセは静かに頷いた。

「……わかりました」

 それだけだった。怒鳴らなかった。押し問答もしなかった。

 零は一礼して執務室を出た。

 廊下に出た瞬間、妙な感覚があった。あっさりしすぎている。ローダンセは何かを知っている。そう感じたが、足は止めなかった。

 零が自室に戻ると、扉の前に人影があった。

 見覚えのある外套。静かな立ち姿。

「帝国からの勅命を拒否するとは……見かけによらず大胆ですね、灯火零」

 廻流は穏やかに笑っていた。いつもと変わらない、読めない笑みだった。

 零は立ち止まった。驚きを顔に出さなかった。しかし胸の奥で、何かが軋んだ。

「……四葉殿下」

「殿下はやめてください。ここでは四葉廻流で結構です」

「では廻流さん、一つ聞かせてください」

「どうぞ」

「その命令は、あなたが出したものですか」

 廻流の笑みが、わずかに深くなった。

「聡いですね。ええ、私が出しました」

 零は黙っていた。

「怒っていますか」

「いいえ」

「嘘ですね」

 零は廻流を見た。廻流も零を見た。鋭い視線が交差する。

「部屋に入りませんか。立ち話もなんですから」

 重苦しい雰囲気が、辺りを支配した。

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