EP45『胸騒ぎ』
45『胸騒ぎ』
その晩、零は隣の布団にいる未来に話しかけた。未来は支給されたスマホをいじっている。
「未来、起きてるか?」
「起きてるよ、寝れないの? あ、スマホの光邪魔だった?」
「そんなことない。ただ、明日メルに話をしなければならないことがある」
未来がスマホを置いた。
「あー、ローダンセ看守長のこと?」
「ああ、知ってるのか」
「カルネ先生に聞いたよ。いざとなったらお前が零を支えてやれってさ。言われなくて支えるのにね」
零は天井を見上げたまま言った。
「俺はメルさんとどう話せばいいんだ」
未来が少し驚いた顔をした。
「零ちゃんが質問するの、珍しいね」
「まあな」
「メルちゃんとあんまり話したことないもんね」
「ああ、近寄りがたいわけではないんだがな。最近よく、未来の部屋で一緒に居るもんな」
「気が合う女の子の友達欲しかったからうれしいんだ! メルちゃん、どんな子か知ってる?」
「父親と軋轢があって戦闘を好まない。令節があって上品だと思う」
「それは情報であって、メルちゃんのことじゃないよ。表面的なことなら確かにそうだけどさ」
零は黙ってしまった。未来は少し考えた。
「例えばメルちゃんね、笑うと目が細くなるんだよ。猫ちゃんみたいで可愛い」
「未来だって表面的なことじゃないか」
「……そういうこと言うと女の子に嫌われるよ」
嫌われてくれた方がいいけどと、未来は内心思った。
零はまた黙った。
「零ちゃんはさ、いつも相手を読もうとするじゃん」
「……そうだな」
未来の声が、少し柔らかくなった。
「正解なんてないよ。ただ、ちゃんと零ちゃんの言葉で話してあげて。零ちゃんもメルちゃんも機械じゃないんだから」
零はしばらく黙っていた。
「お前は、こういう時に役に立つな」
「こういう時だけ?」
「すまない、いつも役に立っているさ」
未来がくすっと笑った。少し赤くなった頬は、消えた明かりの闇に紛れた。
「おやすみ、零ちゃん」
「……ああ、ありがとう」
零は目を閉じた。しかし、しばらく眠れなかった。
***
朝、寝ぼけ眼を擦りながら朝食を摂っている。今日は休日だ。生徒たちはみな思い思いの時間に起きてくるため、七時の食堂には、未来と零の二人だけだった。
「零ちゃん、眠そうだね」
未来は、隣でパンを頬張っている。
「昨日あまり眠れなかったんだ」
零はそういいながらコーンスープを啜っている。
「やっぱ零ちゃんも人間なんだね」
「当たり前だ……」
なんていつもの調子で駄弁っていると、見計らったかのようなタイミングでメルが食堂に来た。
「あ! メルちゃん、こっちおいで」
未来に呼ばれ、メルは断ることができない。朝食を持って未来と零の正面に座った。零もメルも緊張している。
「あ、あの、灯火看守さん」
先に口を開いたのはメルの方だった。零は思わずコーンスープを吹き出しそうになる。
「……ッ! どうかしましたか」
すぐに平静を装うが、内心焦っていたことは未来にはお見通しである。
「氷室看守さんとお付き合いなされてるんですか?」
一瞬未来は、カルネもいないのに、時が止まったかと思った。持ったまま固まっている。
「俺たちはそういう関係じゃありませんよ」
「そうなんですか」
メルは至って真剣な顔をしている。悪意も冗談のつもりもないのが、余計に零を困らせた。
「なぜそう思ったんですか」
「お二人はいつも一緒にいらっしゃいますし、未来ちゃんが灯火看守さんのことを話す時、とても楽しそうなんですよ」
未来の頬は林檎のように赤い。
「そうなんですね。ですがメル看守、こいつがわりと不器用なことは知ってますか?」
未来はしばらく零の横顔を見てから、もう一度パンを頬張った。頬はまだ赤かった。メルは零の問いかけに、きょとんとした顔をしていた。
「こいつ、人たらしっぽいくせに自分の感情を伝えるのは苦手なんですよ、そのせいでいつも一人で抱え込んで……」
「零……? ちょっと黙ってくれないかな」
未来はみたことがない表情をしていた。零は未来の唇に人差し指をかざす。
「だから、もうちょっと相談してほしいと思っていた。メル看守に俺の愚痴でも話しているのなら、こっちも安心する」
未来は呆気にとられている。
「やっぱり、仲がよろしいのですね。安心してください、未来ちゃんは灯火看守さんの愚痴なんて言ったことないですよ」
メルは口許に手を当て、くすくすと笑っている。上品さを感じる反面、その笑い方は少し未来に似ていた。
朝食を食べ終え、未来の部屋に三人で行くことになった。
未来の部屋は、零の部屋と大して変わらない広さだが、どことなく温かみがある。壁際に小さな棚があり、本が数冊並んでいる。その上には造花が一輪、コップに挿してあった。さらに、数年前に撮った写真も置いてある。
「素敵なお部屋ですね」
メルが静かに言った。
「でしょ! 零ちゃんの部屋と違って生活感があるんだよね」
「俺の部屋の何が不満なんだ」
「殺風景すぎるんだよ。本しかないじゃん」
零は言い返せなかった。メルはくすっと笑った。
三人は床に座った。未来がクッションをメルに渡す。メルは一瞬戸惑ったが、素直に受け取った。
「メル看守」
零が口を開いた。メルの背筋が、わずかに伸びる。
「昨日、話しておきたいことがあると連絡しましたね」
――零ちゃん、いつの間にそんなことを。
「……はい、何でしょうか」
メルは零の雰囲気から、良い話ではないこと悟っていた。
「ローダンせ看守長のことです」
メルの指先が、膝の上でかすかに動いた。
「父が、何かしましたか」
零は少し間を置いた。
「まだわかりません。ただ、あなたには知っておいてほしいことがある」
「……聞かせてください」
「帝国から俺と未来のセタガヤ支部への帰還命令が来ています。タイミングからして、看守長が関与している可能性があります」
メルは黙っていた。未来も黙っていた。
「驚かないんですか」
「……驚いていますよ」
メルは視線を膝に落とした。
「ただ、父がそういうことをする人だということは、知っていました」
零は何も言わなかった。
「父は、正しいと思ったことを迷わずやる人です。それが誰かを傷つけるとしても」
造花が揺れた。
「あなたは、そんな父を、どう思いますか」
メルの声は静かだった。零に問うているのか、自分に問うているのか、わからないような声だった。
「俺には判断できません」
零は答えた。
「ただ、あなたがどうしたいかは、聞かせてほしい」
メルはしばらく黙っていた。未来は何も言わず、ただメルの隣にいた。
「……わたくしは」
メルの声が、少し震えた。
「父の娘である前に、わたくし自身でいたいのです」
零は静かに頷いた。それ以上は何も言わなかった。
未来がそっとメルの手に触れた。メルは驚いたように顔を上げたが、振り払わなかった。
三人はしばらく、そのまま黙っていた。造花が、また静かに揺れた。
***
零は未来を置いて自室に戻った。これからの行動を、独りで考えたかったからだ。
椅子に座り、机に肘をつく。頭の中を整理しようとするが、考えるべきことが多すぎた。帝国からの返還命令。廻流の視察。ローダンセの関与。そしてメルの言葉。
——わたくし自身でいたいのです。
その言葉が、どこかに引っかかっていた。零は人間の感情を読むのが得意な方だ。しかしそんな零にもわからないことがある。それは恋心だ。ひとえに恋心といっても、シャンティのような家族愛については理解できる。親代わりのようなカルネ先生を見ていれば、本物の親子愛がどういうものか想像つく。
数週間、ローダンセとメルのやり取りを見ていると、感情の矢印がはっきりした。恐らく、その愛はローダンセからの一方通行だ。しかし彼はその不器用さから、娘へ愛を伝えることを放棄しているのだろう。そうなると、当然のことながらメルは愛情不足による孤独を感じてしまっている。幸いなことに、その穴を未来が埋めてくれている。
わたくし自身でいたい。それは親からの逃避を願う本音だと、彼女の境遇を考えると理解できる。娘への愛情は、躾の裏返しなのだろうか。理論も何もない回答が、零を困惑させる。
「恋心というものは、本当によくわからないな」
零は机の引き出しを開け、サファイアの鍵を取り出した。いつ触れても、変わらず冷たかった。
ふと、アスターの声が蘇る。
——国家が見捨てたこの場所で、国家の代わりをやれ。
同期するように、カルネの声も蘇る。
——自由という檻はな、自分で鍵をかけられる。
零は鍵を握りしめた。
帝国の命令に従えば、ナゴヤ支部を去ることになる。生徒たちを置いて。メルを置いて。緋華を置いて。
だが、従わなければ叛逆だ。今度は脱獄犯としてではなく、看守としての叛逆になる。
——どちらにせよ、覚悟を持った上でお答えいただきたい。
ローダンせの言葉が耳に残っている。
零は目を閉じた。答えは、最初から決まっていた。問題は、その答えを誰にどう伝えるかだ。
机の上に、白紙を一枚広げた。
少し考え、ペンを取る。残る理由を、言葉にしなければならない。
――先生方へ
突然の手紙をお許しください。ナゴヤ支部に着いてから、あなたに連絡を取る機会を窺っていました。
時間がないので、早速ですが本題に入ります。三つ、お願いがあります。
一つ目。帝国からナゴヤ支部への返還命令が届いています。俺と氷室未来をセタガヤ支部へ戻せという内容です。正当な理由が見当たりません。セタガヤ支部の内側から、この命令の出処と真意を探っていただけますか。
二つ目。四葉廻流という人物について調べてほしいのです。執権代理という肩書きでナゴヤ支部を視察に来ました。表向きは穏やかで、悪意は感じませんでした。だからこそ読めない。あなたならわかることがあるかもしれない。
三つ目。有事の際に、助力いただきたい。思っているよりもすぐに、それは起こるかもしれません。
自分は、再び自由を求めて彷徨うでしょう。
無理な頼みだとわかっています。不躾ながら、あなた以外に頼める人間がいませんでした。
未来や凪紗、玲奈はとても元気に過ごしています。
灯火零より
カルネは手紙を読み終え、目を丸くした。
「零、お前、変なもんでも食べたか?」
「なんですかその言い方」
「いや、お前が素直に人に頼むとはな」
「書いてある通り、時間がないんです」
カルネはけらけらと笑っている。
「要件はわかったが、なんであいつにこんな頼みを」
「一番都合がいいからですよ」
「そうか……魔法使ってすぐに行ってくるから待ってろ」
「できれば、返答を持ち帰ってきていただきたい。ローダンセ看守長には今日中と言われているんです」
カルネは深刻そうな顔をする。
「……了解、寝て待ってろ」
カルネは何かが動き出す予感がしていた。その胸騒ぎが、カルネの足を動かした。




