EP43『戒律を行使する長』
43『戒律を行使する長』
Cチームの戦いは、静かに始まった。
ローダンセ・ローダンセは訓練場の中央に立っていた。手には細長い杖。その立ち姿だけで、場の空気が変わった。
メルは壁際に立っていた。腕を組み、どこか遠くを見ている。
オリジナは静かに構えていた。
「メル」
ローダンセが口を開いた。
「持ち場につけ」
「嫌です」
即答だった。冷たく言い放ったその言葉は、ローダンセをひどく傷付けたが、メルは知る由もない。
「……もう父上の命令には従いません。……白いドレスが汚れてしまいますので。私は観戦します」
メルは壁にもたれた。それ以上は何も言わなかった。
「わかった。好きにしろ」
それだけだった。怒鳴らなかった。ただ、杖を握る手に、わずかに力が入った。メルは心の中で意外だなと呟いた。
イヤホンに、零の声が届いた。
「胡桃、オリジナを頼む。緋華、直人、ローダンセ看守長を二人で抑えろ」
「わかった」「……了解」「おっけー!」
胡桃はオリジナに向かった。頭上に桜の花びらを手に散らす。
「【混乱花弾】!」
花びらがオリジナに触れた瞬間、オリジナの動きが止まる。幻覚が見えているはずだ。
「【セーブ&ロード】」
オリジナの位置が、走り出す前の位置に戻った。
胡桃は首を傾けた。すかさず零が通信する。
「観察が完了した。まず、あいつの魔法は【原点】。安心しろ、そんな仰々しいものじゃない。あれは指定した対象を指定した場所に移動させるだけだ。多分だが、胡桃の魔法で幻覚を見せれば、お前もオリジナと認識され、あのポイントに行くことができるはずだ」
「そういう感じね……」
胡桃は自身の姿をオリジナに変えた。
「変な感じね、もう一人私がいるなんて」
「お得意の原点の魔法で解除してみたら?」
声もオリジナそっくりだ。
「やってやるわよ! 【セーブ&ロード】」
胡桃は移動した瞬間、能力を解除した。
「な!?」
お互いの顔が至近距離にあった。こうなることを察知していた胡桃は、カースを解除し、オリジナの細い首を締めあげた。
「あ、あああ……」
「お願い、降参して……」
「わ……かった、離して、苦しい……」
胡桃の勝利に終わった。
一方、緋華と直人はローダンセの前に立っていた。
「二人がかりか」
ローダンセは杖を構えた。静かな声だった。
「構いませんよね」
直人が挑発する。
「【狂捻軌跡】」
直人が仕掛けた。軌跡が歪み、ローダンセの地面が抉れる。ローダンせは一歩退いた。しかし崩れなかった。
「【オブリージュ・ザ・ローフォース】」
ローダンセが杖を地面にたたきつける。その拍子で、空間にルールが張り巡らされる。
「この訓練場では、地面は常に水平である」
直人の【狂捻軌跡】が、無効化された。地面が歪まない。
緋華が踏み込んだ。
右の拳を振るが、ローダンセは身軽に後退する。
続いて回し蹴りをするが、杖により防がれた。その反動で緋華が吹き飛ぶ。直人が間に入った。拳を振るう。しかしまたしてもローダンせは杖で受け流した。
「【狂捻軌跡】」
「この空間では、軌道の歪みは成し得ない」
新しいルールが張られた。直人の能力が、完全に封じられた。
「なんでもありじゃないか……!」
「これは戒律です」
ローダンせは淡々と言った。次の瞬間、杖が直人の肩を捉えた。直人がよろめく。そして二撃目を頭に入れられる。
「がは……ッ!」
直人は立ち上がれそうになかった。
代わりに緋華が立ち上がった。カースを使っていないのに、烙印の痛みが走る。それでも拳を握りしめた。その眼には、確かな焔が宿っている。
「まだやりますか」
ローダンセが言った。侮蔑ではなく、看守長としての確認だった。
「当たり前だ」
緋華は歯を食いしばった。耳もとに零の声が届いた。
「緋華、無理をするな」
「うるさい」
緋華は踏み込んだ。拳のみで、ローダンセを迎え撃つ。緋華の拳と杖がぶつかった。
「ぐっ……」
弾き飛ばされ、その隙に杖が投げられた。それは鳩尾にクリーンヒットし、緋華をダウンさせるには十分だった。
直人も膝をついたまま動けなかった。視界がぼやけている。
訓練場に沈黙が落ちた。
「俺の……負けだ」
緋華が床に手をついた。
ローダンせは静かに頭を下げた。
「ありがとうございました」
壁際でメルが見ていた。何も言わなかった。ただ、その目が、わずかに揺れていた。
イヤホンの向こうで、零が聞いていた。
——やはりローダンせ看守長は強い。指揮する間もなかった。
残った胡桃は【混乱花弾】を発動した。それと同時に、ローダンセがな方を発動させる。
「【オブリージュ・ザ・ローフォース】この空間では花は散らない」
舞い降りた桜の花びらはゆっくりと消え去った。
「すまない、胡桃さん。流石に降参した方がいい……」
零は弱弱しく情けない声でそう言った。胡桃は少し考えた。
「降参……します」
CチームとFチームの戦いは、これにて幕を閉じた。
***
教室に全員が集まった。
勝ったチーム、負けたチーム、看守側。それぞれが思い思いの顔をしている。未来は壁に寄りかかりながら、雅火は腕を組みながら、妖狐はまだ目が潤んでいた。
零は全員の前に立った。
「結果を言う」
静かな声だった。
「AチームとDチームは相打ち。BチームはEチームに勝利。CチームはFチームに一勝二敗」
淡々と事実だけを述べた。
「まずBチーム。よくやった」
幽は小さく頷いた。淡依は少し照れたように俯いた。絶は無表情のまま、しかし耳がわずかに赤かった。
「AチームとDチーム。未来、カルネ先生相手によくやった」
雅火は鼻を鳴らした。未来はくすっと笑った。
零の視線が、緋華と直人に向いた。
空気が、変わった。
「Cチーム」
声のトーンは、同じだった。しかし、その静けさが重かった。
「……すまなかった」
零は頭を下げる。誰も、すぐには反応できなかった。その場にいる全員が驚いた。
零は続けた。目は床に向いたままだった。少し間を開け、二人を見る。
「ローダンセ看守長の手腕を俺は読み切れなかった。指示が遅れた。それが敗因だ」
訓練場が静まり返った。
「お前たちが負けたのは、俺の責任だ」
緋華が零を見た。直人も零を見た。
零の声は静かだった。しかし、いつもの無機質な静けさとは違った。何か、薄く滲んでいるものがあった。
「……先生」
緋華が口を開いた。
「俺の采配ミスでしかない」
「そういう問題じゃ……」
「そういう問題だ」
零は静かに遮った。
「指揮官が全員を守れなかった。それだけだ」
緋華は何も言えなかった。直人も黙っていた。
雅火が低く言った。
「……お前が謝るのか」
「謝るべき時は謝る」
「らしくねえ」
零は何も言えず、雅火を見た。雅火は、腕を組んだまま、視線を逸らした。
「全員に言う。今日お前たちが見せたものは、俺が期待した以上だった。それは紛れもない事実だ」
誰も喋らなかった。
「以上だ。解散してよい」
生徒たちが動き始めた。ざわめきが戻ってくる。妖狐がねむを揺り起こしている。
緋華だけが、その場に一瞬だけ立ち止まった。
「……先生」
「どうした」
「能力を使えば、勝てたかもしれなかった。やっぱり……俺が」
「紅蓮寺緋華」
低く冷静な呼び声は緋華の劣等感を消し去った。
「カースは万能だ。今日のお前らを見て分かったさ」
「……そういえば、先生のカースってなんなんですか? 生徒たちの間で二番目に話題になってました」
「一番はなんなんだ。というか、そういえば公開してなかったな」
緋華は息を吞んで零を観察した。
「ないんだよ」
とても優しい声色だった。
「俺にはカースも、当然魔法もないのさ」
緋華が目を見開いて驚いた。
――いい顔をするじゃないか。
「じゃあ俺のことを見透かしたり、指揮をしていたのは……」
「単なる洞察と先見の明だ」
緋華はしばらく声が出なかった。
「それより緋華、もう無気力なお前はいないんだな」
「……ッ!?」
少なくとも、零にはそう感じた。今回の試験で一番変わったのは間違いなく彼だった。
「ちなみに、一番の話題は”誰が先生たちを落とせるかって話”ですよ」
零はわざとらしくため息をついた。
「勝手にしてくれ」
そういうと零は自室に戻っていった。
***
自室で二人だけになった。
「零ちゃん」
「ん?」
零にしては珍しく寝転がっている。零は推理小説を、未来は恋愛小説を読みながら応じている。
「今日、ちゃんとみんなのこと見てた?」
零は少し間を置いた。全員がどの範囲を含むかは不明だが、未来のことはあまり見ていなかったからである。
「当然だ」
「誰が一番よかった?」
「特に採点はしていない」
「じゃあ印象に残ったのは?」
零は答えなかった。未来はそれを答えと受け取った。
「零ちゃんの教え子、みんないいね」
「お前の教え子でもあるだろ」
「零ちゃんの方がしっかり先生してるもん」
未来は笑った。
「ねえ零ちゃん」
「どうした」
「疲れた?」
「……少しな」
珍しい答えだった。未来は何も言わなかった。ただ、零の隣に並んで、同じ方向を見た。
しばらく、二人は黙っていた。それで、十分だった。
「だけど」
零が再び言葉を紡いだ。
「なにより悔しかった」
生徒たちの敗北は零にとっての敗北でもあった。
「そっか」
未来は慰めるでもなく、ただそれだけ発して零の頭に少し身を寄せた。零の視線が未来に移る。
「俺も恋愛小説読もうかな……」
「面白いよ、読む?」
「江國香織さんか……終わったら貸してくれ」
はーいと返事して、未来は微笑んだ。




