EP37『過去という名の烙印』
37『過去という名の烙印』
あの匂いが、今も鼻に染みついている。
今思えば、灯火先生に、この話をしておこうと思ったのは何故だったのだろうか。吐き出したかったから、救ってくれそうだったから。どれもパッとしない。
ポケットに手を突っ込み、先生の前に立つ。灯火先生は、俺の本質を見抜いているから、こんな演技はしなくてもいい。しかし、張り付けた態度というものは、そう簡単に剥がせないようになっているらしい。
「先生、俺のカースの話、ちゃんとしたことなかったですよね」
灯火先生は何も言わない。ただ、視線だけを向ける。急かさない。その沈黙が、妙に居心地悪い。
「【烙印】は一時的に、自分の力を限界まで引き上げる能力です」
右手の甲を見下ろす。そこに刻まれた刃物でバツ印を抉ったような痕が、じんわりと熱を帯びた気がした。
「でも、代償がある。力を使った分だけ、“失ったもの”の痛みが戻ってくる」
喉が少しだけ詰まる。
「失ったもの?」
震える声で続ける。
「俺は昔、人を助けられなかった」
視界の奥で、あの日の教室が揺れる。
泣き声、机の軋む音、床を擦る靴音。そして、焦げた匂い。
「止めるつもりだったんです。俺が全部終わらせれば、あいつらは二度と手を出さないって」
拳を握る。
「でも、止まらなかったんだ。この力が、俺自身すら制御できなかった」
あの瞬間の熱。あの瞬間の視線。
「化け物だって、言われましたよ」
乾いた笑いが漏れる。
「正義のつもりだったのにさ」
――はは、笑える。正義面して被害者面して。
灯火先生は、まだ何も言わない。その沈黙が、責めているのか、赦しているのか、わからなくなる。
「俺が疲れて動けなくなった隙に……あいつは連れていかれました」
言葉が一瞬途切れる。
「それで、終わりです」
本当は終わっていない。終わっていないから、こうして匂いが残っている。
「能力を使うたびに、あの日の痛みが戻るんです。焼ける感覚も、息が詰まる感じも」
視線を上げる。
「だから俺は、あまり本気にならないようにしてる」
無気力。気まぐれ。本気にならないための仮面。暴走しないための傍観者気取り。それが俺だ。
「……でも」
一拍。
「今は、少しだけ違う」
烙印が、微かに熱を持つ。心臓が弾けそうだ。
「守るためなら、焼き付いてもいい」
灯火先生の目が、ほんの少しだけ細められた気がした。
「俺はもう、暴走しません」
そう言い切った瞬間、鼻の奥にまたあの匂いが蘇る。それでも、目は逸らさなかった。あの日の残痕は消えない。ならばせめて、焼き付いたまま、前を向く。
「君に何があったかは、詳しく知らない。だが今、少しだけわかった」
――否定か、それとも軽蔑か。
「辛かったな」
「言われ慣れてますよ、そんなセリフ」
「君はよくやった。その時、何歳だったんだ?」
「十二です」
「まだまだ子供じゃないか」
その言葉は、責めでも呆れでもなかった。ただの事実だった。
「十二の子供が、一人で全部背負おうとしたのか」
胸の奥が、妙にざわつく。
「守れなかったと、今も自分を責めているんだな」
視線が、右手の烙印へ落ちる。
「だがな」
低く、しかしはっきりと。
「十二の子供に、誰かの命を背負うのは難しい」
空気が止まる。
「暴走したのは力だ。環境だ。周りの大人だ。お前じゃないさ」
喉が、音を立てそうになる。
――俺はもう、暴走しません。
そう言った自分の言葉が、急に幼く聞こえた。
灯火先生は続ける。
「暴走するな、とは言わん」
視線がまっすぐ刺さる。
「今度は、一人で解決しようとするな。俺も手伝う」
それだけだった。
説教も、慰めもない。ただ、大人としての線引き。
十二歳の自分を、ようやく他人が“子供”と呼んだ。それだけで、胸の奥にこびりついていた何かが、少しだけ軋んだ。
気が付けば涙が溢れていた。
慌てて袖で拭う。情けない顔は見せたくない。十二歳じゃないんだ、もう。
「……すみません」
何に対しての謝罪なのか、自分でもわからない。灯火先生は何も言わない。ただ、視線を逸らしてくれていた。
その気遣いが、余計に胸に刺さる。
「別に、泣くのは悪いことじゃない」
低い声が、静かに落ちる。
「それはまだ焼き切れていない証拠だ」
右手の烙印が、微かに疼いた。けれど、それはあの日のような暴れる熱ではない。ただ、そこに在ると主張するだけの温度だった。
「……俺、まだ弱いですね」
「当たり前だ」
即答だった。
「強い奴はな、弱さを知っている」
言い切られて、思わず笑いそうになる。焦げた匂いが、ふっと遠のいた気がした。代わりに、ほんのわずかな安心が胸に落ちる。
「今度は、一人で背負わなくていい」
俺は、静かに頷いた。
過去という名の烙印は消えない。
けれどそれは、俺を縛るだけの印じゃない。次に誰かを守るための、覚悟の痕だ。
この烙印はもうきっと、罰なんかじゃない。
紅蓮寺 緋華
カース【烙印】【焼烙刻命】ランクS




