EP35『白百合姫』
35『白百合姫』
未来と駄弁っていると、部屋の扉が叩かれた。扉を開けるとそこには、カルネ先生がいた。
「今大丈夫か?」
「問題ありませんよ」
カルネは視線を奥の方へ移し、目を丸くして言う。
「って、未来じゃねえか、探したぞ」
「あ、ごめんなさーい」
お手本のような平謝りである。
「まあいいか、セタガヤ支部からの派遣メンバーが二人増えたんだ」
「そりゃあまた唐突な……ナゴヤ支部はどうなっているんですか」
「人出だ兎に角足りないんだ。噂によると、看守長の娘さんが怖いとかなんとか」
「娘さん、というかローダンセ看守長は、きっとどこかのお偉いさんなんでしょう。ということは、娘さんはお嬢様なんですかね」
「もうそこまでわかってるのか、その通りだ。ローダンセは代々、看守長の家柄でな。そもそも看守や看守長は人命を預かる分、給料がかなり高いんだよ」
零は興味なさげだったが、意外なことに未来が食いついた。
「お嬢様、『ロミオとジュリエット』とかでしか見たことない!」
幼少期を監獄の中で過ごした未来にとって、ジュリエットのような存在は、きっと物語の中だけの住人だったのだろう。
「会ってみたいなぁ」
「そのうち会えるさ」
「それで、その派遣メンバーは誰なんですか」
「来たときに自分の目で確かめな」
そう言ってカルネは去って行った。
――自分勝手だな。
それから数日後。
ナゴヤ支部の玄関ホールに、派遣メンバーが到着したという報せが入った。零と未来が足を運ぶと、すでに数人の看守たちが距離を取るように並んでいる。
セタガヤ支部からのメンバーを、シャンティ看守が引率している。
ローダンセ看守長が前に出る。
「今日からよろしく頼むよ。僕や灯火くんらは名前を知っているが、うちの看守たちにも教えてやってくれないか」
ショートボブの黒髪が目立つ、高身長の女の子が前に出る。
「黒影 凪紗でーす! よろしくね」
そして女の子らしい背丈の、白髪の可憐な少女が呟いた。
「白咲 玲奈です。よろしくお願いいたします」
「二人ともよろしくねー!」
――未来は相変わらずだな。
周囲から拍手が送られ、看守長に、部屋を案内された。零も自室に帰ろうとした、そのとき。
視界の端に、白い影があった。淡く光を弾く銀髪に、零は一瞬で目を奪われた。百合の花を模した白い髪飾りをあしらっている。雪のように静かな白いドレスが、彼女の気品を際立てている。背筋は針金を通したように真っ直ぐで、視線は足元に伏せられている。
確かに、近寄りがたいと思わせる空気はあった。噂は本当なのかもしれない。しかし零は、そんな空気には負けず、話しかけに行った。
「どうも、お初にお目にかかります。灯火 零と申します」
そういって静かに一礼する。
「副看守のメル・ホワイトリリィです。よろしくお願いいたします」
澄んだ声は小さく、けれどよく通る。なにより、その所作の隙のなさが、周囲との見えない壁を作っていた。零は静かに目を細める。
「うわあ……本物のお嬢様だ……!」
どこからともなく、明るい声が聞こえてきた。未来が一歩前に出る。周囲が一斉に息を呑むのがわかった。未来は気づいていないらしいが。
メルは、はっと顔を上げる。
「え、あの……ち、違います……そんな、たいした者では……」
声が、わずかに震えていた。指先がぎゅっとドレスの裾を掴む。その仕草は威圧とはほど遠い、ただの、人見知りの少女だった。
未来はさらに目を輝かせる。
「わたしは氷室 未来! よろしくね!」
差し出された手に一瞬だけ躊躇う、けれど。メルはそっと、その手を取った。
「……よろしく、お願いいたします」
その瞬間、周囲の空気が少しだけ緩んだ。噂は、きっと噂のままでは終わらないのだろう。未来はそれを、証明しようとしているのかもしれない。
***
その日の夕刻、メルはローダンセ看守長に命令され、看守長室へと向かった。
白いドレスの裾を、廊下の影が薄暗く染める。歩く姿はやはり隙がなく、背筋は真っ直ぐだ。けれど、その指先はわずかに強張っている。
「緊張しているのかい?」
穏やかな声で問われ、メルは一瞬だけ視線を揺らした。
「……いえ。副看守として、当然の務めを果たすだけです」
その声音は澄んでいる。だが、だが、与えられたセリフを淡々とと見上げているような口調だった。
ローダンセは小さく息を吐いた。
「君はもう少し、肩の力を抜いてもいい」
「それは……できません。お父様」
即答だった。
「わたくしは、“ホワイトリリィ”の名を冠しております。家紋の花を汚すわけにはまいりません」
その言葉は、まるで鎖のようだった。
「お父様。私は知りたいのです。あなたが、わたくしに見せる世界以外の景色を……」
一方その頃、未来は食堂で凪紗と向かい合っていた。
「ねえねえ、セタガヤはどうなったの? 殊夜先生は? クラスは?」
「質問多っ。まあ、賑やかではあるかな」
凪紗は肩を竦める。
「でもさ、あっちはあっちで大変だよ。こっちは静かそうで羨ましいけど」
「静か……かなあ? まだ私たち二日目なの」
未来たちが談笑していると、零がトレイを持って席に現れた。
「静けさと平穏は別物だ」
「なにそれ、哲学?」
「事実だ」
零は淡々とスープを口に運ぶ。
「メル・ホワイトリリィは、相当背負わされている」
「え?」
未来は目を瞬かせる。余程、あのお嬢様が気になると見える。
「礼儀作法がしっかりしている。装いからわかる通りのお嬢様、あれは一筋縄ではいかないだろうな」
未来は、昼間の光景を思い出す。差し出した手に触れた、あの一瞬の躊躇い。裾を掴んでいた指先。
「……友達になれるかな」
「もうなっているだろう」
零はあっさり言った。
「彼女は、手を取ったんだから」
未来は少しだけ頬を緩める。
「そっか」
凪紗は二人を羨望の眼差しで見つめていた。
***
自室に戻ったメルは、鏡の前に立っていた。髪飾りを外し、そっと机に置く。百合の花弁が灯りを受けて、白く輝いた。
「……私のことが怖い、だなんて」
小さく呟く。本当は逆だ。怖いのは、いつも自分のほうだった。
期待に応えられなかったら。“らしくない”と言われたら。完璧でいられなかったら、怒られてしまう。扉が控えめに叩かれる。心臓が音を立てた。
「……どなたでしょう」
「未来だよー」
一瞬、息が止まる。
「良かったらお話しない?」
怖い。昼間、差し出された手の温もりを思い出す。メルは、そっと扉を開けた。未来は両手にマグカップを持って立っている。
「眠れないなーって思って。あったかいの、飲む?」
メルは一瞬、言葉を失った。
――こんなふうに、部屋を訪ねられたことなどない。
「……ありがとうございます」
気づけば体の震えはもうなかった。マグカップの温度が私を包み込んでくれる。
湯気が二人のあいだに立ちのぼる。
白百合は、まだ閉じたままだ。けれど、花弁の奥で、確かに何かがほどけ始めていた。
「……どうして」
思わず、声が零れた。未来が小首を傾げる。
「どうして、わたくしに……その、こんなに、優しくしてくださるのですか」
問いかけた瞬間、自分でも驚いた。
こんな弱い言葉を口にするつもりはなかったのに。
未来は少しだけ考える素振りをして、それからあっけらかんと笑った。
「私、お姫様に憧れてたんだ……」
未来の顔が赤らんでいく。同時に、胸の奥が、きゅっと縮む。
「私はお姫様なんかじゃ……」
「お姫様だよ」
やわらかいけれど、まっすぐな声だった。
監獄で育った未来の目は、薄汚れていた。だからこそ、純白の白百合姫に憧れたのだろう。
メルは視線を落とす。湯気の向こうで、未来の顔がぼやける。
「わたくしは、副看守です。皆を導く立場で……」
未来はその先の言葉を黙って待っている。
「弱いところなど、見せてはいけない」
「見せてもいいんじゃない?」
即答だった。メルは息を呑む。
「完璧じゃなくても、メルちゃんはメルちゃんでしょ?」
その言葉は、あまりにも簡単で、あまりにも聞いたことのない類いの肯定だった。
ずっと、“ホワイトリリィ”であることを求められてきた。父親の理想の形であることを。けれど今、目の前の少女は。“メルちゃん”と呼んだ。
肩の力が、少しだけ抜ける。
「……未来さんは、不思議な方ですね」
「よく言われる!」
屈託のない笑顔。気づけば、メルの口元にも、ほんのわずかな弧が浮かんでいた。
白百合はまだ閉じたままだ。けれど、その蕾はもう、冷たいだけの花ではない。
夜は静かに更けていく。二人のあいだに、初めての温度を残したまま。
***
試験は唐突に始まった。灯火 零は部屋の空気が一瞬で変わったことを感じ取った。
——冷たい。
白い息が視界を曇らせる。地面が凍り、霜が走る。
「これは……?」
零は腕をクロスさせて顔の前にあてた。
「未来、なにを……」
「【絶対零度】」
零は迫りくる氷塊を前に。瞳を閉じた。
「なーんてね」
未来は舌を出してウィンクする。
「お前、カースを使ったら……」
「大丈夫、看守長に許可貰ったから」
「どういうことだ」
珍しく本気で焦ったのか、冷や汗をかいている。
「明日から試験」
「なんの試験だ」
「”能力査定強化試験”だってさ。なんか、看守と生徒に分かれて、能力を使って戦うんだって」
「そんな物騒な……」
「で、零ちゃんとは敵同士だから」
「看守と生徒が戦うんだろ? なんで俺たちが敵同士なんだ」
「え、だって零ちゃん戦えないじゃん」
「あー、なるほど。大体読めた。俺の実力も知りたいから、生徒たちを指揮してお前らに勝てってわけだな」
「話が早いね、これが生徒達と私たちの能力一覧だよ」
「用意がいいな、看守長」
零はそれを一瞥する。参加者と生徒数があっておらず、参加しない生徒もいることに気づく。裏には看守組のチーム分けが既にされている。
「……カルネにシャンティに未来……実力差はかなりあるな」
「まあ、一時間もあれば作戦は組めるさ」
「流石、零ちゃん」
「お前にも、歯向かってくるなら容赦はしない」
「別に零ちゃんが戦うわけじゃないでしょ」
「……うるさい」
一人の叛逆者が、再び指揮を執る。それはなにかの狼煙となるのか。この時点では、誰もわかっていない。
そして、ローダンセ看守長は何を考えているのか。この試験に、果てして意味はあるのか。




