EP34『歪んだ世界を射抜いた言葉』
34『歪んだ世界を射抜いた言葉』
この世界は等しく歪んでいる。人間はみな何もかもが平等ではなく、差があることが当然だ。そう知ったのは、中学生のときだった。俺はそれから、人間を信じたことはない。
今日もただ無気力に、惰眠を貪って一日が終わると思っていた。こいつらがやってくるまでは。
「本日からこのクラスに配属されました。担任の灯火 零と申します」
「私は副担任の氷室未来です! よろしくお願いいたします!」
俺が最初に抱いた感想は、美男美女だな、だった。しかし、同時に、妙な違和感を抱いた。
男子は氷室先生、女子は灯火先生のことを口にしている。
「みんなと仲良くしたいし、なんでも質問してきてねー!」
するとみな、一斉に手を挙げる。
「一人ずつねー」
「二人は付き合ってるんですか!」
元気よくある女子が言うと、周りの女子に伝播し、黄色い歓声が沸き上がる。
「え、えーっと」
「俺たちはそういう関係じゃない」
灯火先生は冷たく一蹴したが、氷室先生が照れているのがわかる。教室が一気に騒がしくなった。
「えー! 絶対怪しい!」
「否定が早すぎるんですけどー!」
「未来先生顔赤いですよー」
氷室先生は慌てて手を振った。
「ち、違うからね!? 本当に違うからね!?」
その様子に、教室はさらに沸く。一方で、灯火先生は表情一つ変えない。
「くだらない質問は終わりか」
静かな声だった。
怒鳴ったわけでもない。威圧したわけでもないが、歓声の波がピタリと止んだ。空気が一瞬で整えられる。
――なんだ、今の。
歓声の合間を縫って繰り出された一撃が、場を支配した。教室の温度が、二度ほど下がった気がした。
「……まあ、プライバシーに関わるからな」
そういって不敵な笑みを浮かべる。俺たちを、世界を、自分すらも信用していないのかもしれない。
だが、瞳が、嘘をついていない。冷たいはずなのに、奥に熱がある。それは矛盾か、はたまた虚勢か。
――同類かもしれない。
僭越ながらそう感じた。
灯火先生の発言に、氷室先生が慌ててフォローに入る。
「で、でもね! 困ったことがあればちゃんと相談してほしいなって! こいつは少々冷たいところもあるけどさ、根はいい奴なんだ!」
灯火先生が、わずかに視線を動かした。
「期待はするな。自分を救えるのは、自分だけだ」
「ちょっと零ちゃん! バカ!」
その言葉に、胸がざわついた。それは救われない前提の言葉だ。なのにどこか、誠実だった。
この人の綺麗事は、何故か説得力がある。だからこそ、少しだけ、本当に少しだけ。聞いてみたくなった。灯火先生は、どうやってここまで来たんだろう、と。
生徒たちは、灯火先生のことを零”ちゃん”と呼んだ件で問い詰めている。氷室先生は天然なのかもしれない。
机に脚を乗せていると、ふと、灯火先生と目が合った。怒られるかな、なんて全く思わなかった。気が付けば俺は、先生の目を凝視していた。真っ直ぐなその瞳を。
「えっと……紅蓮寺 緋華君!」
氷室先生が俺を注意する。クラスのみんなが俺に注目するが、机から脚は下ろさない。どうせいつものことだ。シカトしたら、灯火先生がどんな反応をするのか気になったというのもあるが。
「お行儀悪いよ?」
チッと舌打ちをし、目を逸らす。当然、脚は下ろさない。
「まあまあ未来、いいじゃないか。無気力だって一つの力だ」
「む、無気力? ってか、物は言いようじゃん」
――見抜かれた。
氷室先生は気が付いていない。灯火先生はやはり別格のようだ。つい脚を下ろしてしまった。俺が演じてきた無気力な少年という皮を、この人は一瞬にして剝ぎ取った。だが、演者をやめるつもりはなかった。長年、張り付けた仮面はそう簡単に取れやしないから。
そこからは、滞りなく自己紹介が進んでいった。自分の番になった。特に緊張もせず、名前を言って終わった。
「言い忘れていたが、俺と氷室先生は十七歳、高校二年生だ」
教室がざわつく。氷室先生は童顔だが、灯火先生が大人び過ぎていて気が付かなかった。俺たちと一個差じゃないか。
そして、親睦を深めるという名目で様々なゲームをした。人狼や将棋、トランプゲームは全て灯火先生の圧勝だった。逆にドッジボールやバスケなどの運動系は氷室先生が大活躍だった。そもそも灯火先生は、その間審判をしたり読書したりしていた。運動は嫌いなのだろうか。
放課になり、漫画でも読もうかと思っていたら、氷室先生が話しかけてきた。正直、灯火先生の方が興味あるってのに。
「漫画好きなの?」
「うん、まあね」
「どういうお話?」
「能力者を管理する学園の話だよ」
「ちょっとこの機関と似てない?」
「そう、良く似てる」
ページをめくる。
「主人公は“管理者側”なんだけど、実は一番危険な能力を持ってるんだ」
「危険なのに管理する側?」
「だから皮肉っぽい。管理者が、常に一番の爆弾を抱えてる」
氷室先生が少しだけ黙る。
「で、どうなるの?」
「だんだん、自分が何を守っているのか、わからなくなるんだ」
「うわぁ……」
あからさまに引いている。
「最後は」
一瞬迷う。最後を話してもよいのか。
「自分が一番壊してほしかった存在だったって気づくんだ」
氷室先生が反応に困っている。
「……紅蓮寺くん、それ好きなんだ」
「キャラが好きなんだ。氷室先生も読む?」
「わ、私はいいかなー、零ちゃ……灯火先生のが興味あると思うよ」
「ふーん、まあどっちでもいいけど」
噓だ。今度話した時に見せてみよう。
「その主人公、かっこいいの?」
「頭が切れるんだよ」
「かっこいいね」
「強いけど、いつも余裕って感じじゃない」
「へえー」
興味半分、雑談半分。という感じか。
「管理する側なのに危険な能力って、どんなの?」
「ちょっとズルいんだ」
「暴走すると、相手の能力を消し去ってしまうんだ」
「それは強いね」
「能力が主力の世界だから余計にな」
「思ってたよりかっこいい」
氷室先生は笑う。気が付けばこの人と、楽しく話せていた。
「紅蓮寺くん、力押しよりそういうの好きそう」
「まあね」
「こういう人になりたい?」
「全然」
即答する。
「なれるならなりたいが、楽しくなさそう。危険そうだし」
「安全大事! 偉い!」
軽い調子でうなずく。
「でも漫画ってさ、安全に危ないことできるのがいいよね」
「……まあ」
「爆発も裏切りも、ページを閉じたら終わりだし」
その言葉に、少しだけ間ができる。氷室先生は何も考えていない顔をしている。本当に何も考えていないのかもしれないが。
「零ちゃ……灯火先生も、こういうの読むのかな」
「さあ、どうだろう。そもそもあんな堅物そうな人が、漫画なんて読むの?」
「意外と読むよ、私と同じ小説派だけどね」
「小説って面白い?」
氷室先生はにこっと微笑みかける。
「とっても」
「灯火先生が読んでるなら読もうかな……」
そのとき、廊下の向こうで灯火先生の姿が一瞬見えた。こちらを見ているのかどうかはわからない。
「今度聞いてあげるね!」
「ありがとう」
漫画をしまいながら、ふと思う。鞄を背負いながらふと思う。
爆弾だの管理者だの、重い話をしているはずなのに。今はただの放課後だ。
騒がしくて、少し退屈で、でも、悪くないと思ってしまった。
廊下に出ると、夕方の光が長く伸びていた。あくまでも陽の色を模したライトなのだが。
――安全な観客。
漫画を読むみたいに事件を傍観する。その立場がいつまで続くのかは知らない。今はまだ考えない。だが、少なくとも俺には、”傍観する権利”なんて与えられてはいないんだ。金輪際。
***
このナゴヤ支部において、初日だが少し理解したことがある。セタガヤ支部にいたときよりも、看守と生徒たちとの距離が近い。俺たちの年齢を把握する前から、この距離感は変わっていなかった。
俺の部屋は、男子寮と女子寮の間にある、看守部屋の一室だった。しかし、看守たちは基本的に自らの家から通うため、ほぼ空き部屋になっているそうだ。カルネ先生やシャンティ先生は例外のようだが。
支給されたパソコンでプリントを作っていると、部屋の扉がノックされる。
「零ちゃーん、今いる?」
少し声が上ずっている気がする。緊張しているのだろうか。
「あの……ちょっと訳ありでさ」
「どうした?」
「一人でいるのが怖くって」
誰に対しても気丈に明るく振る舞う未来だが、彼女もただの少女だ。さらに、新しい環境に身を置いたばかりなので無理もない。知らない土地で、周囲は全員初対面。挫けない方が難しいだろう。
「あの看守長、ローダンセだったけか。確かに胡散臭かったもんな」
「零ちゃんがそれ言うんだ」
「……悪いか」
零にはなんとなく、未来の目論見が読めた。だが、少し可愛げがあるなと思ったので、乗ってみることにした。
「なら、怖いなら一緒に居るか」
「……へ?」
予想通りの素っ頓狂な声だった。
「あー……まぁ零ちゃんがそういうなら? 一緒に暮らしてあげてもいいけど?」
「急にツンデレになってどうした」
「布団とか荷物とか持っていくから、待ってて」
――そっちが望んだんだろう。
口には出さないが、内心複雑だった。未来は俺のことをどう思っているのだろう、と。
十分後くらいに、看守部屋の女子寮から未来が戻ってくると、肩で息をするほど疲れている。
「なんかあったのか?」
「いや、別に」
よく見ると頬が蒸気しているのがわかる。
「噓をつくな、未来」
語気からは考えられない程、優しい声だった。そしてなにより顔が近い。頬が更に熱を帯びるのを感じる。
「え? 噓?」
この距離の廊下を走っただけで未来は息切れしないと考えての発言だ。
「廊下で何があったんだ」
「……実はその、看守長さんに話しかけられて」
「ローダンセさん?」
「うん、『随分と零看守と仲がよろしいのですね』ってさ」
零は直感的に嫌な予感がした。
「それはつまり、未来の荷物を見て、今から何をするのか判別したということか」
「ど、どういうこと?」
「俺たちがこれから一緒に暮らすのを見抜いた上で言ったんだ」
未来の頬が林檎のようにみるみる火照っていく。挙句の果てに、顔を手で覆ってしまう始末だ。
「ち、違うもん! 暮らすっていうか、ちょっと一緒にいるだけだし!」
「いつもより言い訳が幼い」
「零ちゃんのせいだからね!」
零はため息を一つ。
「他に何か言われたか?」
未来は数秒だけ目を閉じて、零の瞳に向き合う。
「『距離が近いのは結構ですが、管理者としての線引きはお忘れなく』って」
「”管理者”ねえ」
俺は脱獄した身だからか、その意識が薄れてしまっていたのかもしれない。思えば自分の看守という肩書きは、管理者という意味合いに他ならない。思考を巡らせていると、脳裏にカルネ先生の言葉が過った。
――肩書きに潰されるなよ。
当時は実感がまるで湧かなかった。手をすり抜けた風船のように、いつの間にか手放してしまっていたみたいだ。
しかし、今では痛いほど理解できた。俺の一存で、あのクラスはどんな方向にも転がる。今思えば、カルネ先生は、到底想像できないほどの責任感の中で、俺たちに叛逆をしていたのだと思う。
「管理者はなにも、すべてを救えるようなヒーローじゃない」
「じゃあ切り捨てちゃうの?」
零は少し躊躇ってから答える。
「俺の手の届く範囲にあるものは、必ず救い出す」
他人想いなその言葉は、とても頼もしかった。だけど、私は知っている。その言葉は私を安心させるための方便で、優しく脆い虚勢であるということを。
***
紅蓮寺緋華は灯火先生に用事があり、看守部屋の前に立った。すると、氷室先生の声が聞こえてきた。
――あれ、間違えて女子寮の方に来てしまったのか。
「じゃあ切り捨てちゃうの?」
口調からして、恐らく話相手は灯火先生だ。切り捨てるとか、何やら物騒な話をしているようだ。
「俺の手の届く範囲にあるものは、必ず救い出す」
そのセリフに心臓が騒ぎ出す。「手に届く範囲」という言葉で、脳裏にあの惨状が蘇った。足が震え始め、吐き気を催した。
――その手が届かなかった場所は、どうなるんだ。
反射的に言葉が出かかった。しかし幸か不幸か、溢れ出そうな吐き気のせいで、喉から出ることはなかった。
その言葉だけが全てではないとわかっている。所詮は綺麗ごとだ。全員を救えるなんて、端から思っていないからこその線引きだ。
とても現実的で合理的だ。だからこそ、胸に刺さった。トラウマを呼び起こした。まるであの時の行動が、すべて無駄だったかのように思えてくる。いや、事実、無駄だったんだ。痛い程、その現実を再認識させられた。
――届かなかった場所は、どうなるんだ。
今思えば、あの日、手を伸ばせなかったのは俺の方だ。吐き気が更に強まった。俺は腹と口を押さえ、悶えながらその場を後にした。
廊下の曲がり角まで来て、膝が折れた。音を立てないように、壁に背を預ける。息がうまく吸えない。胸が締め付けられる感覚が、今も続いている。
――届かなかった場所は、どうなるんだ。
答えは知っている。知っても何も変わらない。何も戻らない。だから、見ないようにしていたんだ。
誰も責任なんて取らない。だからこそ、傍観者でいると決めた。
期待しない。期待されない。救われる側にも、救う側にもならない。それが一番、安全だ。
灯火零は、本気で己の「範囲」を守るだろう。
俺の過去を知ったらどうなるんだ。あの日、伸ばせなかった手。届かなかった場所。無力だった自分。全部、“範囲外”だと言われた気がした。
――あー、笑える。
俺は勝手に聞いて、勝手に傷ついているだけだ。俺の世界は歪んでいる。矛盾と憎悪に満ちている。
そのはずなのに、どうしてこんなに腹が立つ。壁を拳で叩きたくなる衝動を、ぎりぎりで抑える。心の中の炎を、消火しようと専念する。
まだ、騒ぎを起こすのは違う。だが、試してやる。灯火零。
あんたの言う“範囲”がどこまでか。俺は傍観者だ、あの日からずっと。その限界を見届けてやる。あんたの生徒として、な。
歪んだ世界を射抜いたその言葉は、俺の心に火を灯した。




