EP1『監獄教育機関』
1『監獄教育機関』
「起きろ!灯火 零!」
号令と同時に、灯火零の肩がわずかに上下した。机に伏せていた顔を持ち上げ、前髪を指で払う。椅子の脚が床を擦る音が小さく響いた。
「お前が頭良いのはわかるが、授業態度くらい正してくれ」
零は背もたれに体重を預けたまま、教壇の方へ視線だけを向ける。
「はあ……わかりました」
「じゃないと単位獲れないぞ。1になるぞ1」
零は返答せず、机の端に指先を置き、一定のリズムで軽く叩いた。いつもの脅し文句が展開されている。
「そもそも進学システムの無いこの”監獄教育機関”で、単位を取るのに何の意味があるのですか」
零は椅子から立ち上がらず、正面を見据えたまま口を開いた。
「いつも言ってるだろ、二十歳になれば外の世界で就職ができる。そのための土台作りだ」
「それは噓だ。それがもし本当なら」
零は顎をわずかに引き、教室全体に通る声量で言葉を続けた。
「ああもういいめんどくさい。わかったわかった」
カルネが黒板に向き直ると、零は肩をすくめ、再び椅子の背に寄りかかった。長い赤髪がふわりと靡く。
灯火零は授業態度が酷くても、試験結果によって評価を維持してきた生徒である。
「そんじゃ授業再開するぞ。あんな面倒な奴は放っておいてな~」
授業中、零はノートを開かず、机の上に置いた教科書も一度もめくらなかった。
放課後、生徒が教室を出ていく中、零は先生に言われて席に残り、鞄の肩紐を整えて立ち上がった。
「なぁお前、どこまで勉強終わってんだ?」
零は鞄を床に置き、両手を下ろしたまま立っている。
「監獄教育機関の十二年分、全てです。教科書は寮の自室への持ち出し可能なので」
「はぁー? 全部? いつやってんだよ」
カルネが頬杖をつく間、零は微動だにしない。
「寮に帰ってから消灯時刻の夜十時まで。実際は風呂や食事の分、そんなにやってないですが、そもそも中学生のころは内職してましたし」
「十分すぎるわ馬鹿」
「理不尽ですね、先生」
零は一礼することもなく、淡々と応じた。
「ま、つまり勉強嫌いで授業を聞いていない訳ではないんだな?」
「まあそうですね」
零は視線を逸らし、窓の外へ一瞬だけ目を向けた。
「なら、明日の授業は聞いてくれ。教員歴六百年の私の、最高の授業を見せてやる」
「それいつも言ってますけど自分の事”おばさん”って言ってるのと同義ですよ」
「口の利き方には気をつけろよー灯火。私はこの監獄の総教官看守だぞ?」
零は一歩も退かず、その場に立ったまま応じる。
「こんな大人が総合管理職とは世も末ですね」
「懲罰房にぶち込むぞ、このカース人のクソガキが」
その言葉が発せられた瞬間、零は肩を落とし、床に視線を固定した。
数秒の沈黙の後、カルネが口を開く。
「まあ、灯火。明日絶対にお前のためになる授業をしてやるから、聞いてくれ」
「誰が人種差別者の話なんて聞きますか」
零は踵を返し、教室の出口へ向かう。
「あーそうかよ。もう話は終わりだ。帰った帰った」
零は振り返らず、扉を静かに閉めた。
***
「起きろ、灯火」
教卓を叩く音が鳴り、零の肩が小さく揺れた。カルネの声も若干呆れ気味だった。伏せていた上体を起こし、机の端に肘をつく。視線は黒板の下部に向けられている。
「さて、優等生も起こしたことだし、今から歴史の授業を始めようか」
カルネは教壇の中央に立ち、ゆっくりと教室全体を見渡した。生徒たちは私語を止め、椅子の軋む音だけが残る。
零は椅子に深く腰掛けたまま、背筋を伸ばしもしなければ崩しもしない姿勢を保っていた。
「うーん、どこから話したものか」
カルネはチョークを手に取るが、黒板には何も書かず、指先でそれを転がす。前列の生徒が身じろぎし、後列では足を組み替える音がした。
「まぁ、私は六百歳くらいなんだか、詳しい年齢は覚えてない」
数人の生徒が互いに顔を見合わせ、ざわつきが広がる。零は反応せず、机の上の教科書に手を置いたまま動かない。
「驚くのも無理はないし、嘘だと思うならそれで結構。ギウス人は魔法使いだ。そのなかでも、一人一人扱える魔法や分野が違う。私の場合は、【時間】に関する魔法だ。羨ましいだろ? 男子共」
カルネは口角を上げ、教室の左右を交互に見る。数人の男子生徒が苦笑し、視線を逸らした。
零は顎を引き、教壇をまっすぐに見据えている。
「私の肉体の老化時間を極限まで遅くして、"停止させた"というわけ。正直うまくいくとは思わなかったけどなぁ。ちなみにまぐれだ。理論もあんまりわかってない」
チョークが教卓に置かれ、軽い音がした。
「お前たちは六百年前に、何が起こったか覚えてるよなぁ……灯火、答えてみろ」
教室の視線が一斉に零へ向く。零は一拍置き、椅子から立ち上がった。
「"監獄教育システム"の導入です」
「御名答。流石優等生君。まぁ今行われてるこの体制は、およそ六百年前に出来たものだ。改めてシステムをおさらいしようか。灯火、頼んだ」
「俺に振らないでください」
零は教壇を見上げたまま、足の位置を揃える。
「いいじゃねぇかぁ。頭の良いお前の方が私より上手い説明できるだろ」
促され、零は一歩前に出た。机の列の間を抜け、教壇の横に立つ。
「わかりました。監獄教育システムは、生活のその全てを監獄の中で行うという物です。生まれてから二十歳まで、我々は監獄の中でギウス人により管理される。起床と就寝時刻から食事の時間、入浴の時間まで、寸分の狂いも無く行動させられる。ギウス人の言い分は、規則正しい生活を定着させること。でも、これはあくまで今の話です。監獄教育システムが敢行された"30xx年以前"はそんな生活じゃなかった、というのが僕の見解です」
説明が進むにつれ、教室内の動きは減っていく。誰も口を挟まず、ノートを取る者もいない。
「ああ、その通り。それより以前は歴史の教科書にも記されていない。なんでだと思う?」
カルネは腕を組み、零を見下ろす。
「ギウス人がもみ消したからでしょう」
「思想が強いわ。とも言い切れないんだなぁこれが」
カルネは一度だけ咳払いをし、教卓に手をついた。
「今から30xx年頃の話をしようか。ノートはとるなよ絶対にだ。あと寝てた奴は成績落とすからなぁ」
数人の生徒が慌てて姿勢を正す。零は指示を受け、元の席へ戻った。
「これはおよそ六百年前、ここがまだ”日本”と呼ばれていた時代の話だ」
カルネの声が落ち、教室は静まり返った。




