EP32『新しい風』
扉を開けると、早朝の静かな空気が漂ってきた。
「よお、元気にしてたか」
改めてみると、この人との身長差を実感する。やはり、俺の方が少し低い。
「相変わらずのんきですね、僕たちは匿われている身だというのに」
「お前ならなんとかなるだろって信頼だよ」
「買い被りです。足元掬われますよ」
カルネ先生は笑って部屋に歩を進める。大きな袋を持っているのが気になったが。
「怖いこと言うなぁお前は」
「カルネ先生! それなんですか?」と未来が駆け寄ってくる。
「お前らの制服だよ。今日からナゴヤ支部で仕事だ」
「そういえば看守のお仕事って、具体的になにするんです?」
「あー……。電車に揺られながら説明してやるよ」
零はカルネ先生のバツが悪そうな反応を見逃さなかった。
***
空は、思っているより青かった。
昼下がり、東京駅のホームは妙に静かだった。
国家の人員が搭乗する特別車両は、一般客とは切り離されている。
荘厳な灰色の車体。窓は細い。零は乗り込む前に一度だけ振り返る。
丁度遠くに監獄が見えた。重苦しい空気を纏ってそびえ立っている。高く大きく、秩序の象徴みたいだった。
この場所とは別の”檻”だ。
シューっと音を立てドアが閉まる。間もなく、居所に速度を上げ新幹線が動き出す。
車内は四人掛けの向かい席。隣に未来、カルネ先生が向かいに座っている。
そこにはただ沈黙が広がっている。未来は隣で窓の外を見ている。流れる街並みが、今まで過ごした時間を表しているようだ。
「ナゴヤって、どんなとこなんだろうね」
未来が呟く。沈黙を切り裂く軽い声。でも、少しだけ硬い。
「昔はかなり栄えてたらしい。歴史の授業でカルネ先生が言ってたが、政令指定都市というやつの一つだったみたいだな」
「流石優等生。よくそんなこと覚えてんな。私でもとっさに出てこないわ」
「先生失格じゃないですか」
「太宰治か?」
「それは人間失格でしょう……」
笑いが飛び交うこの時間が、ずっと続いて欲しかった。
レールの振動が足元から伝わる。規則正しいその律動が、殊夜の掲げた秩序そのものみたいだと感じる。
零は上着のポケットに触れる。まだ鍵があった。
「不安か?」
カルネ先生が問う。
「別に」
即答したが、視線は足元に落ちる。
「お前でも緊張するんだな」
たまにこの人は、見透かしたようなことを言う。六百年の教員歴の賜物なのか。零は小さく息を吐いた。
「今度は罪を犯す側じゃない」
未来が振り向く。
「零ちゃんが罪を犯したことなんて、あった?」
一瞬、沈黙。レールの音だけが車内に残る。零は答えない。答えられない。
車体がトンネルに入った。窓の外が黒くなる。三人の姿が映り、未来はつまらなさそうに零の方を見た。
「ねえ零ちゃん」
未来が小さく言う。
「もし、さ」
「うん」
「ナゴヤがひどい場所だったらどうする?」
軽い問いだが核心だ。零は黒い窓に映る自分を見る。
「それでも変えてやる」
未来は安心した顔をした。こっちも安心する。トンネルを抜けると光が戻った。
「頑張ろうね!」
車内が夕陽の光に照らされた。俺の顔は赤いのだろうか。
零はもう一度、鍵を握る。逃げるためでも、壊すためでもない。もう一度変えるために。
すると、眠ってしまったのか、未来の頭が肩に寄る。誰もただ喋らず、揺れだけが続いった。気が付けば零も、心地良い電車の律動に誘われ、眠りについた。




