EP31『憧憬』
31『憧憬』
その日は東京のホテルで夜を越した。そもそもこんな深夜にホテルなんて空いているのか。話を聞いていると我々カース人は、ギウス人の同伴がなければ宿泊すらできないらしい。
受付で交わされる視線は、表面上は丁寧で、しかしどこか冷えていた。必要とされたのは私たちの名ではなく、隣に立つ“保証”の存在だった。この国で、カースは未だ「管理される側」なのだと、改めて知らされる。奥から別のスタッフがやってきて、すんなり通してくれた。後で聞いた話だが、ここのホテルの経営者は、カース人に好意的らしく、訳ありな客も宿泊を許可しているらしい。
先生の計らいで、俺と未来は同じ部屋に泊まることになった。
未来は窓辺の椅子に座って外を見ている。こんな時間なのに、月が辺りを照らしている。ビルの明かりが点々としていて、東京という街を強調させる。
「なあ、未来」
話題も何もないのに、口から零れていた。
「なに? 零ちゃん」
未来は振り向かずにそう答えた。
「綺麗だな」
「え?」
素っ頓狂な声を上げ、こちらを向く。
「夜景ってやつだよな。外の世界は本当に綺麗だ」
「あ、ああ、夜景ね。私も見惚れちゃってた」
零は未来の反対側に座り、頬杖を突き窓の外を見る。その横顔は、月明かりに照らされている。
「いつか、みんなで見れるといいね」
「そうだな」
未来がそう願うなら、と零は心の中で思った。
「全部が新鮮だよ、この景色も、居心地も」
「未来、外の世界は好きか?」
「なにその質問」
唐突なその問いに、未来は髪を搔き上げ子供っぽく微笑む。
「広いな、って思ったよ」
「未来らしいな」
「零ちゃんは?」
「おおよそ同じだ。この世界は広すぎて、自由がありすぎる。俺たちはまだ、世界の1パーセントも知らない」
「そう考えると恐ろしいね。この夜景が1パーセント未満なんて」
未来は眠たいのか、机に伏せ横目で窓の外を眺めている。
「こんな綺麗な場所をいつか大手を振って歩けるようになりたいな」
何気ないその一言が、深く胸に突き刺さった。未来はあくびをひとつして、椅子から立ち上がる。
「零ちゃん、明日も早いんでしょ。もう寝よ?」
「明日は一日休みらしい。なにせ急に俺たちの転勤が決まったから、先生たちが色々ナゴヤの連中と話し合うみたいだ」
「あ、そうなんだ」
「俺たちはどうせ外に出れないから、ここで待機だな」
――じゃあ零ちゃんと二人っきりか。
そう考えた途端、未来の脈が速まった。
「もう寝よう! 五時回ってるし」
そして未来は布団にダイブをかます。
「そんなに慌てなくてもいいだろ」
そう言って零は歯を磨きに洗面所へ向かう。
「未来、歯磨いたか」
「誰かさんとは違うので磨きましたー!」
「はいはい」
煽ってみても、めんどくさそうに受け流された。こういうところは昔から変わらない。
「寝る場所どうする?」
歯を磨き終えた零が何食わぬ顔で聞く。
「寝る場所?」
「俺、全然床で寝るぞ」
隣り合うベットには仕切りがなく、さらには大きい布団が一枚しかない。
「え、いいよ全然、隣おいでよ」
自分で言っていて恥ずかしくなってきた。死にたい。
「いや大丈夫だって。床で寝るから」
「風邪ひいちゃうでしょ、いいから来なさい」
未来は思いっ切り隣の枕を投げ付けた。
「わかったよ」
零は枕を受け止め、隣接したベットに横たわる。
「狭くないか?」
布団から半身を出している。ささやかな未来への気遣いだ。
「うん、大丈夫だよ。それより零ちゃん、寒いでしょ。こっち来てよ」
また言ってから恥じて死にたくなる。
「馬鹿か。俺だって恥ずかしいんだよ」
口が悪くなっているのは、零ちゃんに余裕がない証拠だ。そう思うとなんだかいじらしくなってくる。こんなにかわいい彼を久しぶりにみた気がする。
「いいもん。私がそっち行くもんね」
「は? 冗談はよせ、未来」
そう言って零が振り向くと、枕一つ分くらいの至近距離で目が合ってしまった。
――私の馬鹿、気まずくしてどうするんだ。
心臓がうるさい。離れようかと思ったが、もう少しこの時間を続けていたい気持ちもあった。
「……さっきの話なんだけどさ」
零が口を開いた。
「うん」
恐る恐る応えてみる。
「この場所で、自由に過ごせる世界を俺も作りたい」
「それが零ちゃんの夢なの?」
「いや、俺は……」
零は少し言葉に詰まった。そして視線を未来から逸らす。
「俺の夢は脱獄が決まったときから、誰かに綺麗な花を見せることだよ」
未来は大きく目を見開き、布団を纏い背を向けた。その誰かを聞く勇気はなかったが、未来は確信していた。
「もう馬鹿! 零ちゃんはほんとずるい!」
「あの、寒いんだけど……」
「もう知らない、床で寝たら?」
「ほんとごめん、えっと、そういうつもりは……」
俺、何かしたかなと、柄にもなく焦る零であった。そんな二人を、昇りかけの朝日が照らしていった。いつか二人で、この世界を歩く憧憬を夢見て、微睡みに誘われていった。
零は眠ったふりをしていた。 未来は背を向けたまま、目を閉じられずにいる。触れてしまえば壊れそうで、かといって、離れてしまえば崩れそうな距離感だった。
世界は広い。 自由は重い。 私たちは、これからたくさんのものを背負う。それでも私は、 地獄の果てでも彼の隣を歩く。それがきっと、私の憧憬だ。
***
起きたのは15時くらいだった。零ちゃんはもう起きているみたいだ。
起きたのは十五時くらいだった。零ちゃんはもう起きているらしい。
カーテンの隙間から差し込む光が、やけに白い。頭がぼんやりする。慣れないベッドの弾力に、身体がまだ状況を理解していない。
「おはよ、遅かったな」
声がした。
窓際の椅子に、零ちゃんが座っている。
「何時から起きてるの」
「九時くらいかな、流石に四時間は寝ないときついからな」
思わず体を起こす。シーツがぐしゃりと音を立てた。
「起こしてよ」
「短時間の睡眠は体に悪いだろ」
「そうだけど、零ちゃんがそれいう!?」
零ちゃんは袋からペットボトルを一本取り出して、無造作に投げてよこす。反射で受け取る。
「はい水」
「……優しいじゃん」
彼は何も言わない。でも、ちゃんとキャップは開けやすいように少し緩めてある。私はそれに気が付き、嬉しくなった。
寝起きの乾いた喉を潤すため、水をごくごく飲む。部屋は静かだ。昨日の夜よりも、ずっと現実的な光が差している。東京の喧騒は、窓を閉めればただの遠い振動だ。
「外、行ったの?」
「朝、カルネ先生が届けてくれたんだ。食べるか?」
「少し食べる」
「予約が遅すぎてホテルの食事が付くプランは終わってたらしい」
言いながら、ほんの一瞬だけ視線が逸れた。
「ねえ零ちゃん」
「なんだ?」
「こういうの、修学旅行みたいじゃない?」
一瞬動きが止まる。だが、零ちゃんは何も言わない。代わりに、リモコンを拾ってテレビをつけた。適当なバラエティ番組の笑い声が流れる。それが不協和音に思えて仕方がなかった。
「ねえ、零ちゃん」
「ん」
「東京、嫌いじゃないって言ってたよね」
「言ったか?」
「言った」
私はにやりとする。
「それ、ちょっと嬉しかった」
零ちゃんは眉をひそめる。
「何でお前が嬉しい」
「一緒に来てるから」
数秒の沈黙。テレビの向こうで誰かが大声で笑っている。零ちゃんは視線を逸らしたまま、小さく言った。
「別に、悪くはないとは思ってる」
それが、今まででいちばん素直な言葉だった。
「じゃあ昨日のお花の話、本当?」
零の視線が下を向いた。
「ああ……まあな」
明らかに照れている。かわいい。
「お花、誰かって言ってたけど、誰に見せたいのよ」
「それは……」
言いたくないことでもないはずなのに、彼は言葉を濁した。少しいじらしくなる。
「見たこともない綺麗なものを、ちゃんと綺麗だって言えるやつ、かな」
「だから、それずるいってば」
顔を赤らめ、目を見開く。
「何が」
「いや、もう……なんでもない」
「そうか」
零はおかしそうに笑った。自然な笑みだと思った。
「なに笑ってんのよ」
そうして二人で笑いあった。その日は本当に楽しかった。本当に色んな話をした。過去の話が主な内容だったかな。例えるなら嵐の前の静けさのような、穏やかな日々だった。




