28『託された使命』
28『託された使命』
保健室に入っても、しばらく言葉が出ない。機械音と消毒液の匂いが、この場所を支配している。
「ご苦労だった。灯火零」
「篝と、あなたの呪封石のお陰ですよ」
「何でもお見通しなのだな、君は」
なんて返せばいいのかわからず、沈黙してしまう。何故か、頭がいつものように狡猾に働かない。
「灯火、鍵が欲しいか」
鍵。そのワードに、違和感を覚えてしまう。喉から手が出るほどほしいはずなのに、即答はできなかった。間を置いて小さく、「はい」と返した。
「なら、看守をやれ。ナゴヤ支部だ。あそこはお前にピッタリの……」
「ちょっと待ってください、看守? 何の冗談ですか! そもそも俺は免許すら持ってませんよ」
一拍遅れて、零は聞き返した。
「俺をどうする気ですか」
「お前に俺の遺志を継がせるんだ」
――意味が分からない。
「期間は?」
「お前が事を成すまでだ」
「理解できません」
「理解しなくていい。お前なら、そこにいけば分かるさ」
アスターは淡々と言った。
「灯火、沙華 殊夜との関わりで、何を学んだ」
零は口を閉ざした。
思考が回る。だが、合理的な理由は見つからない。
「……なぜ俺だけなんですか」
その問いに、アスターは答えなかった。ただ、薬指に嵌めた指輪に、無意識に触れる。
「お前は、迷う。例え全員と外に出て、何をするつもりだ」
沈黙。
「救われたと思った瞬間に、次の地獄が始まる」
それは忠告にも、呪いのようにも聞こえた。
「鍵はやる。ただしお前は、俺の後継者になる」
病床の男は、静かに言った。
「国家が見捨てたこの場所で、国家の代わりをやれ」
沈黙の中で、零は悟る。これは取引ではない。彼と俺の利害の一致なのだ。
アスターは胸元の青白いペンダントを無造作に引き千切った。するとそれは、綺麗なサファイア色の鍵に変形した。
零は一瞬だけ躊躇し、それでも鍵を受け取った。
――冷たい。想像よりも、ずっと。
「これで……終わりですか」
「お前の意志は達成された。そして、俺の仕事ももう終わりだ」
アスターは天井を見上げたまま、もう零を見ない。
「俺はみんなで脱獄したかったんだ。カルネ先生の意志だよ、達成されそうにないけどな」
アスターは少し考える。
「外に出て、自由だと思ったとき、既にお前は、ここより不自由な世界に立っている」
「それはどういう……」
「お前たちは外の世界を知らなすぎるんだ」
言われてみればそうだ。空も、建物も、信号機だって、動画や資料で見ただけだった。
「進むべき道は今、決まりました」
「言ってみろ、天才」
「次はあなたの、託された遺志を継ぎます」
アスターの目に、涙が浮かんだ。零はそれを見逃さなかったが、指摘もしなかった。
「仕方ないな、お前に最高の仲間を手配しよう。外に出てからのお楽しみだ」
「アスター先生、行ってきます」
「ああ、気をつけてくれ。次は俺の遺志が果たされる頃に」
返事はしなかった。さよならも言わなかった。
その日の夜は眠れなかった。というより、眠らなかった。時刻は深夜三時、見回りすらいない時間。
なんとなく、扉の位置は知っていた。良く看守達が出入りする通路がある。しかしそこは、おそらくカースを持つ者を退ける仕掛けが施されている。幸か不幸か、俺はそれを持っていない。
そこに行く前に、寄っておきたい場所があった。俺は地下牢に入っていった。ここの鍵はマスターキーになっているようで、彼のいるその場所も対象だった。
「檻の中はどうですか? 殊夜先生」
鎖がわずかに鳴り、沙華殊夜が顔を上げた。
「質問の意図が、いつもと違うね」
「今夜は、確認だけしたくて」
零は檻の前に立つ。
「俺は外に出ます」
「全員で?」
「いいえ。俺だけ、別の監獄へ」
殊夜は、すぐに理解した。笑みが、ほんのわずかに深くなる。
「秩序の外に出る、というより……秩序を裁定する側に回るのだね」
「やっぱり、分かりますか」
「分かるとも」
殊夜は肩をすくめた。
「私はね、秩序が崩れた後に現れる“無責任”が嫌いなんだ」
零は、初めて視線を上げる。
「誰かが決め、誰かが守り、誰かが失敗の責を引き受ける。それをやらない国家なら、代わりが必要になる」
「……俺も、同じ結論に至りました」
「だろうね。君は現に、僕の秩序を破壊した。そしてここに来たということは、少なからず負い目があるのだろう」
いつの間にか殊夜は優しい目つきになっていた。
「君は正義をやりたいわけじゃない。革命も、救済にも、秩序にすら興味がない」
核心だった。零が言葉を続ける。
「ただ、壊したなら、片付ける人間が要る。外に出て終わり、には出来なかった」
「よろしい、君はやはり秩序を語れる存在だ」
殊夜は、静かに断言した。
「灯火 零。君は私と同じ側に立った」
肯定でも、祝福でもない。
事実確認だった。
「だから行きなさい。秩序に使われ、秩序を裏切り、それでも最後まで責任を持て。看守になるのだろう」
「やはり気がついていたのですね」
零は一礼した。
「あなたの言葉で、迷いが消えました」
「それは良くない兆候だよ」
殊夜は微笑む。
「迷いが消えた人間から、順に壊れる。僕のカースみたいにさ」
「……覚えておきます」
「生きて戻りなさい。その時には、君の最大の目標が定まっていることだろう」
「あなたはみんなを、もとに戻したんですよね」
「ああ。それが後始末だ」
「なら、今度はみんなを導いてくれませんか」
「ここに、僕が書いた契約書があります」
殊夜は一瞥し、目を見開く。
「なんのつもりだ? 僕を無罪にしろだなんて」
「あのクラスには、賢明な引率者が必要です。カルネ先生無き今、引っ張れるのはあなただけなんです。お願いします」
殊夜は少し考えた。
「後始末をする者がいるなら、導く者も必要だな。わかった、引き受けよう。君の役に立てるよう努力する」
「ありがとうございます。では、またお会いしましょう」
そう言って、仄暗い通路のなかを、コツコツと歩いていった。




