EP27『正義を冠する者』
27『正義を冠する者』
そこには劣弱の天才がいる。彼はなにやら沙華 殊夜と口論しているようだ。
「ほら来ましたよ、救世主が」
「ぼ、僕?」
呼び慣れない名前に戸惑ってしまった。
「そうだ、篝看守。どうせアレを渡されたんだろ。だから一度、一階の保健室から三階に上がった。違うか?」
どこまでも見透かされているような口ぶりに、思わず背筋が伸びる。
「……そうだ。だが、なぜアレを知ってるんだ」
心臓が高鳴る。戦場の空気が、耳の奥でざわめき、掌に握るソレが微かに振動する。
「それはまた後で。この状況を打破してからだ」
篝は拳を握りしめ、零の横に歩を進めた。殊夜が扇を振り、魔力のうねりが廊下を満たす。
「なるほど……私の秩序を乱すのは、あなたたちか」
その言葉に、篝は一瞬たじろいだが、すぐに意識を集中させる。
「無能力者だからこそ持ち得る何かだってある。それがお前を殺すかもしれないぞ」
篝の声は、思った以上に力強く、零の耳にも届いた。零はフッと笑みを零し、篝の視線と交わす。
「行け、篝。警棒や銃はあるのだろう」
「ああ、任せろ」
篝は警棒を握りソレをポケットにしまった。
警棒を床に叩きつけるように踏み込み、空き教室の中を一直線に駆ける。鉄扇と警棒の激しい攻防の末、篝は突き飛ばされた。
「クソ……」
「あなたが私に体術で勝とうとは……魔法を使えば良いものを」
「選手交代だ、篝!」
――零、でもどうやってあいつが戦うんだ。
「氷の剣!?」
流石の殊夜も驚いているようだ。今まで零は軍師的なポジションだった。しかし今は、剣を持って肉弾戦を仕掛けている。
「なるほど、トリネコ看守の魔法ですか。服従の誓いによって自らのポテンシャルを高める荒業!」
「ご名答。流石、秩序の裁定者だな」
「しかし、素の状態で体力のないあなたがどこまで持ちますかね!」
「くっ……」
零が疲れてきたころ、殊夜の真後ろで爆発が起こる。驚いて後ろを振り向くと篝が警棒を振りかぶっていた。
「看守長の敵討ちだ! 喰らえ!」
ギリギリで扇で受け止める。
「正面に立ったな! さあ呑まれるがいい! 【メモリーエラー】」
殊夜の瞳が妖しく光るその瞬間、篝のポケットから青白い光が放出した。
「これは!? 呪封石か……私のカースが、秩序が乱される」
零が氷の剣を持ち、殊夜と輝の間に出る。紫色の光が潰えたその瞳を鋭い眼光で睨みつける。
「違う」
彼の放った一言は、その場の空気を一変させた。
「お前が、俺たちの秩序を乱したんだ。これは秩序なんかじゃない。身勝手で傲慢な思想が産んだ混沌だ!」
「なっ……」
殊夜は悔しそうな顔を浮かべる。
「そもそもお前のカースは秩序ではない。”混沌”なんだろう」
「な、何を言って……」
これには篝も同じ意見だ。
「感情や人格をエラーとし、取り除く。それは一見統制されているようにみえるが、裏を返すと自分の思想にそぐわないものをバグだエラーだと決めつけ、排除することに過ぎない。だから俺は”傲慢だ”と言ったんだ。お前にとっての秩序は、俺たちにとっての混沌だ。それを実現させるお前のカースは、仮にこの推理が間違っていたとしても、混沌そのものなんだよ。……道化」
殊夜は何も反論できなかった。しばらく沈黙していた。扇を持つ指が、わずかに震えている。
「……言葉遊びが過ぎますね」
そう言いながらも、その声には先ほどまでの余裕がなかった。
「感情や人格を残せば、世界は必ず歪む。私はそれを最適化しているだけだ」
「最適化?」
零は鼻で笑った。
「自分が理解できないものを消してるだけだろ。怖いから」
殊夜の瞳が鋭く細められる。
「理解できない? いいえ、私は理解しています。だからこそ不要だと判断した」
「それが傲慢だって言ってる」
零は一歩踏み出す。氷の剣はすでに消えていたが、その視線は刃より鋭かった。
「人を測る基準を、お前一人が決めていいわけがない」
沈黙。教室を満たしていた篝の魔力が、ゆっくりと霧散していく。
「……やはり危険だ」
殊夜は小さく息を吐いた。
「あなたは、秩序の外側に立つ人間だ」
「違う」
零は即座に否定した。
「俺は“内側”にいる。誰よりもこの監獄を理解した。だから壊すんだ」
「混沌を肯定する者は、いずれ選択を迫られる。その時、あなたは誰を切り捨てますか?」
返事はなかった。零はただ、殊夜の背中を見つめていた。零は視線を落とし、静かに続けた。
「誰も切り捨てはしないさ」
「そんなきれいごとが、いつまで通用しますかね」
「正義を冠して人を裁くなら、その業の深さを一人で背負え。思想のせいにするな。秩序のせいにするな。誰も巻き込むな」
殊夜の瞳が揺れる。
「お前は正義の皮を被った断罪者だ」
零は言い切った。
「自分を神だと錯覚した人間が、一番最初に堕ちる場所。それがお前のような勘違いした執行人になる。愚か者め」
殊夜は黙ってうつむいた。
「篝、手錠を」
「わかっている」
ポケットの呪封石は、皮肉のように、僅かに青白い輝きを放っている。
手錠をかけられた殊夜は、廊下にいる何者かに連れていかれた。
「劣弱……いや、灯火零」
「なんだ?」
「ありがとうな」
零は驚いた顔をした。フッと照れくさそうに笑った。
「これで貸し借りなしだからな」
「貸し借り?」
篝には心当たりがなかった。
「妹さんを無下にしたり、お前を策に嵌めたりした貸しだよ。今回の共闘で、貸し借りなしって意味だ」
すると篝は、ふふふと可笑しそうに笑う。
「なんだそんなことか、叛逆生になったからには承知の上だよ。何なら僕は、共闘しなかったら殺されるんじゃないかと」
「……そうか。やっぱ素直な奴だ。だから騙されるんだ」
「この皮肉屋が……」
そう言って二人は笑いあった。廊下から観戦していたトリネコは邪魔しないように、殊夜と共にその場を後にした。
二人の笑い声が遠ざかり、廊下には静けさが戻った。
先ほどまで渦巻いていた魔力も、思想も、すでにそこにはない。
正義を名乗り、身勝手に裁こうとした者は敗北した。
正義を名乗らず、裁くことを拒み、己の叛道を歩む者たちだけが、その場に残った。
この監獄に必要なのは、裁定者でも断罪者でもない。ただ、誰かの人生を“エラー”と呼ばない人間だ。
灯火零は、何も言わずに歩き出した。正義の名を掲げることなく、それでも確かに、誰かを救った背中で。
正義を冠する者ほど、断罪に酔う。
正義を降りた者ほど、その罪深さを知っている。




