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EP21『秩序の再定義』

21『秩序の再定義』

 

 その日から、クラスが壊れ始めた。未来の変化を皮切りに、クラスメイトの関係の大半が壊れていった。

 友人同士だった者、恋仲にあった者。そういった親しい関係は特に早く壊れたようだ。俺も未来はおろか星にすら無視される始末だ。幸か不幸か、未来は俺を大切に思っていないから忘れてしまったという推理は瓦解したことになる。

 俺は独りになった。同時に、独りでは何もできやしないと実感した。そりゃそうだ、俺は齢たったの十五。まだ成人すらしていないガキだ。いくら策を練れたって、星みたいに強靭な肉体やカースを持っていない。いくら他人を理解しても、未来のような愛嬌には勝らない。いやというほどそれが分かった。

「あの……灯火くん」

 その言葉が耳を掠めた途端、心臓が大きく跳ねた。作戦を実行しているときですら、この胸は全く動かなかったというのに。

「どうした、未来」

「さっきは、ごめんなさい。私、なにがなんだか」

「あまり無理はするなよ」

 いつもの調子で言ってみせる。他人であっても、俺は灯火零なのだから。

「よかったら……その、仲良くして欲しい」

 我ながら頬が熱くなっているのを実感した。

「ぎこちない笑顔だな、お前が他人に接するときはもっと天然の笑顔だろうに」

「え? そうかな……」

「自然に笑った方が未来らしい」

「ありがとう、そうするよ」

 今度はいつもの自然な笑顔だった。そう言って未来は隣の席に腰かけた。変わらない柔軟剤の匂いが鼻腔を通過していった。

「覚えているか? 一緒にご飯食べたり、勉強したときのこと」

「うん、覚えてるよ。でもなんでか、実感がわかないの」

 実感がわかない、か。

「昔、作者の気持ちを答えなさいって国語の授業であったよな」

「たしか、『月が綺麗ですね』だったっけ」

「そうそう、俺は答え知ってたからあれだけど、未来の回答に感心したのを覚えている」

「なんて言ったっけ、私」

「”同じ景色を見ているね”って答えてたな。気持ち、視点の共有を一気に行えるいい解釈だ」

「……ありがとう」

 そう言って俯いてしまった。どうしよう、気に障るようなことでもしたっぽいな。だが、少しづつではあるが、未来の心が開き始めているということが分かった。

「随分と穏やかに過ごしていますね」

 背中に悪寒が走った。紛れもなく、それは首謀者の声だった。

「なにしにきたんですか? 殊夜先生」

「私は一応このクラスの担任になったわけですから、生徒同士の間柄を十分に理解しておこうと思いまして」

「生徒達の関係を滅茶苦茶にしたのはあなたでしょう」

「それはどうでしょうか……灯火零君、貴方は今、これまで見えていなかった自分の感情に気付き始めている」

 胸がズキっと痛んだ。心当たりがあった。俺は友人に咲けられた程度でここまで落ち込まないと思っていた。未来のことを考えれば考えるほど、その現実が鉛のように重くのしかかってきて息苦しくなる。

「正確には、もう実は気が付いている。頭のいいあなたの子ですから、異変の発生条件にも気づきましたよね」

 この異変は恋愛感情に近しいものに反応し、その関係を断絶してしまう。仲が良ければ良いほどダメージが大きい。だから俺は今まで通り、自分を騙してきた。この関係を壊したくなかったからだ。

 だから、何も言い返せなかった。否定しようとした言葉は、喉の奥で形を失っていく。

「その沈黙が、答えですね」

 殊夜先生は責めるでもなく、淡々と言った。

「あなたは、未来さんを“特別な人間”だと認識している。友人としてではない。もっと心の深いところでだ」

「……やめてください」

 絞り出すような声だった。

「言葉にされなくとも、感情は存在します。むしろ、抑え込まれている分だけ、歪んで肥大化する。まるで呪みたいですね」

 朱い瞳が、俺の瞳を通じて、胸の奥を覗き込む。

「彼女があなたを避けた瞬間、は何を感じましたか?」

 問いは、自分でも驚くくらい効果的だった。

 未来の足が、後ろに引かれた、あの刹那。

 近すぎる、と告げられた距離。

 ――怖かった。

 失うことが。取り返しがつかなくなることが。

「……不安、です」

 気づけば、そう答えていた。

「ほう」

 殊夜先生は、満足げに微笑んだ。

「それが感情というです。あなたがずっと否定してきたものだ」

 胸の痛みが、はっきりと輪郭を持つ。逃げられないほど、明確に。

「あなたは優秀だ。だからこそ、自分の感情をノイズとして扱ってきた。それは、あなたなりの秩序の在り方だったのでしょう」

「違う……」

「いいえ、違いません。きっと、あなたは今まで、未来さんやクラスメイトを守るために、自分の気持ちに蓋をしてきた。壊したくなかったから」

 核心を突かれ、言い返せない。

「ですが、その結果はどうですか?」

 殊夜先生は、大袈裟に両手を広げてみせる。

「彼女はあなたを“他人”として認識し始めた。感情を抱いた者から順に切り捨てられる。これが、この場の秩序です」

 秩序。その言葉が、耳障りに響く。

「……だったら、俺にどうしろって言うんですか」

 誤魔化しようのないくらい、腹の奥底から飛び出た本音だった。

「簡単な話です」

 殊夜先生は、一歩近づく。

「感情を手放せばいい。未来さんと同じようにね」

 空気が、凍った。

「あなたが苦しんでいるのは、感情があるからです。未来さんを見て、胸が痛む。距離を測って、答えを探してしまう。それら全て、感情が原因です」

「それを……なくせと?」

「いいえ、“切り離す”のです」

 とても穏やかな声だった。

「完全に消すわけではありません。ただ、排除する。感情を自覚した今のあなたなら、それが可能なはずです。あとは、あなたが受容するだけです。この秩序を」

 俺は、息を呑んだ。感情がなければ、苦しくない。未来を見ても、胸は動かない。期待も、失望もしない。叛逆だってしなくていい。

 ――楽になれる。

 その考えが浮かぶと同時に、強烈な嫌悪が込み上げた。

「それは……逃げだ」

「いいえ」

 殊夜先生は、首を振る。

「これは裁定です」

 朱い瞳が、静かに光る。

「秩序を守るために、何を残し、何を切り捨てるか。たったそれだけのお話です」

 胸の奥が、軋む。

「感情を持ち続ければ、あなたは苦しみ続ける。いずれ、彼女を失うその瞬間まで。ですが、感情を切れば、あなたは冷静でいられる。未来さんと“新しい関係”を築くこともできるでしょう。他人としてですがね」

 他人。その言葉が、致命傷だった。

「選択してください、灯火零君」

 殊夜先生は、静かに告げる。

「感情に縛られた人間として壊れていくか。それとも、感情を切り捨て、秩序の中で生きるか」

 逃げ場はなかった。

 俺は今、動揺している。それが、何よりの証拠だった。そして同時に、理解した。

 この選択肢そのものが、殊夜先生の思惑通りだということを。

 それでも。

 それでも、俺は……。


 ***

 

 頬に伝う冷たい感触が、私は呼び覚ました。目の前には、冷たく当たってしまった好きな人がいた。私は全力で謝った。

「ごめん! あんなひどいこと言って、あの時は本当になにも感じなくって、それで」

「それがどうした」

「……え? 怒ってないの?」

「的外れなことを言うな。なぜ俺に話しかけているという意味だ。氷室未来、確かにお前とは他人より多くの時間を共にした。しかし、それがなんだというのだ。感情というのは合理的な判断をする上で邪魔でしかない。用件がないならもういいか?」

 言葉が理解できなかった。頭の中を右から左へと流れた。でも、それが厳しい言葉だというのは理解できた。彼は終始、その場に立ち尽くしている私を、生ゴミでも見るかのような冷たい瞳で見つめていた。

 背を向けた瞬間、足の力が抜けそうになった。

 でも、倒れるわけにはいかなかった。

 振り返らなかった。振り返ってしまったら、また何かを期待してしまいそうだったから。

 感情というのは合理的な判断をする上で邪魔でしかない。そのセリフが頭の中を駆け巡る。

 ――合理的。

 胸に突き刺さった鋭利なナイフ。

 早歩きで廊下を歩く。

 窓から差し込む光が、やけに眩しい。造られたの照明のくせに生意気だと思った。

 私は、何を謝りに行ったんだろう。

 ひどいことを言ったから? 傷つけたから? それとも、元に戻りたかったから?

 いや、答えは、もう出ている。

 零は、戻らなかった。

 怒りもしなかった。

 悲しみもしなかった。

 ただ、意味がないと言った。

 それは、拒絶よりもずっと冷たかった。

 部屋に戻り、制服も着替えないままベットに倒れこむ。

 ――覚えている、と彼は言っていた。

 一緒にご飯を食べたことも。

 発熱するほど勉強したことも。

 くだらない話で笑ったことも。

 全部、事実としては存在している。

「それが、なんだというのだ」

 その一言で、全部が終わった。

 思い出は、武器にならなかった。

 むしろ、私だけがそれを握りしめていて、重さに耐えられなくなっているみたいだった。

 前は当たり前だった距離が、今はやけに広く感じた。

 胸の奥が、じんわり痛む。

 でも、それを「苦しい」と呼んでいいのかも、わからなかった。

 怒られる方が、よかった。

 嫌われる方が、まだ救いがあった。

 少なくともそこには、感情があるから。

 でも零の目には、私をどう思うかという選択肢すら、なかった。

 他人。またはそれ以下。

 部屋に置いてある、ツーショットを眺めた。少し滲んでいる。私は、瞬きをして、それを誤魔化した。

 大丈夫。

 期待しなければいい。

 覚えているから苦しいのだから、これからは、思い出さなければいい。

 零ちゃんが選んだ秩序の中に、私の居場所がないのなら。

 気づけば、また零”ちゃん”と呼んでいた。

 ――もう、彼に期待しない。

 それは、諦めじゃない。

 傷つかないための、判断だ。

 合理的でしょう?

 彼を真似て、心の中で言ってみた。

 そこに返事はなかったけれど。


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