#38 傷を知るもの
陸騎龍の馬車に揺られ、俺たちは帰路についていた。
接収した資料と資産、捕縛した無法者を載せた車にはアンナが、救出した子供たちを載せた車には俺とジャンヴォルン、リナが搭乗し、途中まで同じ道を進むらしい。
ジャンヴォルンは、俯いたりはしていないが、無言で、心ここにあらずといった表情だ。
――初めての「殺し」。
俺が一年前に犯したその禁忌は、今となっては遠い記憶のようにも感じる。現代日本においては信じられないその行いも、今となっては「手段」のひとつとなり、それに傷つく繊細な感情は、次第に薄れつつあった。
だが、目の前の少年は、俺のようにゲロを吐いたりこそしないが、間違いなく、あの日の俺と同じように、一線を越えたことへの迷いを感じさせていた。
――異世界において命は軽い。
魔都においてはそうでもなかったとはいえ、地方では野ざらしの死体を見ることは少なくないし、彼の住んでいた猪妖魔領においては、なおの事珍しいものでもなかったという。
……だからと言って、「命を奪うこと」は、決して軽いことではない。
俺は、この世界に当事者意識をもってもなお、どこか「異世界人」という存在を、俺とは異なる理で育ってきた「別世界の住人」と見ている節があった。
人の死に際しても、それをドライに割り切れる存在なのだ、と。そして俺は、そうした人々の世界に適応しつつあるのだ、と。
だが、ジャンヴォルンは、俺と同じ一人の魔族に過ぎなかった。
初めて自分の手を汚した時、自分がこれまでの自分でなくなってしまうような、そういった感情は、この世界の人々も持っているのだ。
ジーンやメル、カトレアも、俺の前では気丈に振舞っていたが、パーティーを組む前は、こうした感情に向き合い、前に進んできたのかもしれない。
――エリスの言った言葉の意味。
彼女から告げられた「子供の頃に持ってた気持ちを、今でも持ち続けてるなら、そのままでいて欲しい」という願い。
それは、心を乱すジャンヴォルンの姿を見て、俺の中に芽生えた気持ちと、間違いなく同じなのだと、確信した。
思うに、荒々しくも穢れを知らない少年だった、昨日までのコイツの姿に、俺もまた救われていたんだろう。
ジャンヴォルンは今日、抗いようのない宿命により、その少年性を否定され、殺生の世界に足を踏み入れた。
コイツの人生だって、産まれの境遇が違いさえすれば、もっと穏やかに、後ろめたさの無い生涯を送れたかもしれないのに。
………………
「ジャンヴォルン」
「……ンだよ」
「……助けてくれて、ありがとうな」
「…………」
「お前があの敵兵を殺してなければ、丸腰の俺は弩杖で打たれて、死んでたかもしれない」
「……気休めだな」
「けど、事実さ。一歩間違えばリナだって、劫羅の剣士に殺されてても不思議ではなかったように、さ」
リナは無言でうなずいた。
実力差も、命を奪う凶器を前にしては、絶対の保証にはならない。
実際、俺にとって弩杖は自分の命を奪われかけた恐ろしい武器だ。
あの時、あの場所で、俺の安全を確たるものに変えたのは、ジャンヴォルンの剣だ。
「……正直な所さ」
「……?」
「俺は、今日までお前のことを一緒に修業した兄弟弟子として、命の危険があったら守らなきゃって思ってた。……けど、お前が俺のことを助けてくれるかどうかは……あんまり、自信が無かったんだ」
「…………」
「猪妖魔領の領民の性分については、お前の口から聞いたし、お前自身ドライに振舞ってたからさ。俺が死に瀕しても、『てめェが弱えェのが悪い』って捨て置かれるんじゃないかって、不安だったんだよ」
「…………」
「だからさ、お前が俺を守ってくれたことも、人を殺して傷つく心があったことも、俺は安心したんだ。お前が、俺と同じ、一人の『にんげん』だって確信出来て、嬉しかったんだよ」
「…………」
「だから……ありがとな、ジャンヴォルン。お前はさ……やさしいヤツだよ」
「……やさしいヤツは、魔族を殺さねェだろ」
ジャンヴォルンが漏らした言葉は、かつて、俺が自分に向けた自嘲。
俺の心にちくりと刺さる、その言葉。
――だからこそ、その痛みが伝わってくることに、俺はコイツと自分の繋がりを感じられた。
エリスが俺に向けてくれた言葉の意味を、改めて教えてくれた。
だから、俺はそれを、誰かに返したいんだよ。
「……それでも、さ。俺にとってのお前は、最期まで俺を見捨てずにいてくれた『やさしいヤツ』の一人なんだよ」
「…………」
馬車は、流れる景色を揺らしながら走り続ける。
その場を支配した気まずい沈黙は、痛ましくも、それでも俺が一人ではないことを、確かに感じさせてくれていた。
* * *
離宮の中庭で、子供たちがリナとアンナと遊んでいる。
現在、魔都近郊で行方不明となっていた子供たちの両親をノアとエミリアが捜索しているようで、その間の子供たちは離宮で保護している。
育ち盛りの子供たちということもあり、食事を済ませたら運動がてら中庭で遊ばせてやっている、という次第だ。
リナは拾ってきた枝でチャンバラの相手を、アンナは小さい子を抱っこしたり、肩車している。
日本基準だと「女の子ってチャンバラ好きなのかなぁ…?」と思う所もあるが……いや、その決めつけも時代錯誤だろうか。
……ともあれ、魔族領域では四天王と魔王に女性が就任したあたりで、特に魔都近郊では、子女に護身として剣術を習わせる家庭も増えたとか。
魔力が戦闘力に直結するこの世界、きっと「強い女性」「キャリアウーマン」のビジョンが、日本や人間領域と比べ、魔族領域ではいっそう身近なんだろうな。
「……師匠も、子供相手には手ェ抜くんだな」
「そりゃ、子供相手にガチって泣かせるほど大人げなくはねぇだろ……」
ジャンヴォルンと、他愛のない話をしながら彼女たちを見る。
……下手人が猪妖魔や屈強な男だったこともあり、ジャンヴォルンと俺は、子供たちと距離を置いている。買い出しや料理の手伝いはしているが、不用意に近づいて怖い記憶がフラッシュバックしてしまっては、やはり気の毒だ。
……とはいえ、向こうからこちらにやってくることもある。現に、今数人の子供たちが、こちらに歩み寄って来た。
「おにいさん、あのね……」
「うん、今出してあげるな」
俺は、手元で影を編み「ネコちゃん」の人形を作る。
……あれからちょくちょく練習してきたから、精度も上がってきたし、ちょっとした曲芸として、人形を遠隔で動かすこともできるようになった。
三体ほどテーブルの上に出して、クルクルと躍らせてみたが、子供たちは大喜びだ。うん、人形劇のバイトでもやろうかな。
「……やっぱ、ネコチャンには無理あんだろ」
肩ひじをついたジャンヴォルンが、端っこのネコちゃんにデコピンをして悪態を零す。……子供の前で弱い者いじめはダメだぞ。
「……森羅の剣を学ぶと、観察力が伸びて絵が上手くなる、という話もあるのですけどね」
「まあ、観察力だけ伸びても、造形や絵は手を動かす表現力が必要だろうからなぁ……」
棒を持ったリナとアンナが、俺たちの元にやって来て、ネコのダンスを眺めてそう言った。……言外にヘタって言うのだって、弱い者いじめだぞ。
それに、子供たちは喜んでくれてるじゃん。ヘタウマってヤツだよ。
今に見てろよ。このネコちゃんグッズを魔都で売り出して、子供たちに大人気のファンシーグッズの帝国を築いて……いや、ムリか。
……身近な子供たちに人気ってだけで、足るを知ることにしよう。
ふと、子供たちの反応を見ていると、比較的年長の子供たちが、ネコちゃんには目もくれず、何やらリナたちと話している。ちょっと寂しいなと思ったが、真面目な話をしているようだ。
やがて、その子供たちはこちらに……ジャンヴォルンの方に、歩み寄っていった。
「あの……オークのおにいさん」
「あ?」
……おい、威圧すんな。子供がビクッてしてるだろうが。
俺は、横に座るジャンヴォルンに軽く肘突きをした。
「……なんか用か」
「えっと……」
少年少女は、怖がった表情をきっとひきしめ、その場でお辞儀をした。
「助けてくれて、ありがとうございます。それと、こわがって……ごめんなさい」
「…………」
ジャンヴォルンは、目を丸くして沈黙していた。
……そうか、この子供たちは、ジャンヴォルンが鍵を壊して救出した牢の中に囚われていた子供たちだ。
当初は、自分たちをさらった猪妖魔の無法者と誤解し怯えていたが、事情を知ってジャンヴォルンにお礼をしたいと考えたのだろう。
ジャンヴォルンは、何を返していいのかわからないようで、たじたじしていた。
ちょっとだけ、からかってやりたい気持ちにもなったが、「子供に優しくしてくれる大人」という存在に恵まれなかった、コイツの過去を思うに、どうしていいのかわからないんだろう。
「……いつでも、助けが来るわけじゃねェんだ。もう、さらわれるんじゃねェぞ」
ジャンヴォルンは、気まずそうに視線を逸らした。武骨な物言いではあるが、精一杯の不器用な優しさともとれる。
「……ああ、これからは大人の人と一緒に、暗い道は避けて通るんだよ。コイツも、君たちがまたひどい目に遭ったら、悲しむからね」
「なっ……」
フォローのつもりだったが、ジャンヴォルンは顔を赤らめて俺を睨んだ。だが、こっちもふざけているわけでもないと察したのか、子供たちに向き直った。
「まあ……そういうこった。ガキを狙う奴らはいくらでもいる。てめェの身は、てめェらで守るんだな」
ジャンヴォルンは、一歩前に居た少年の頭をワシワシと撫でて、そう言った。
恥ずかしがるこいつに反して、少年のジャンヴォルンを見る目は、輝いていた。きっと、寡黙でハードボイルドな男に映っているんだろう。
……ちょっとばかり、羨ましいぜ。
* * *
子供たちがおやつを食べに行くのを見送り、俺たちはその場に残っていた。
引き続き、からかいはNGだよなということで、俺からもジャンヴォルンに何を言っていいかわからず、その場に若干気まずい沈黙が流れていた。
「……なぁ」
……意外なことに、沈黙を破ったのはジャンヴォルンの方だった。コイツから話しかけてくるのは珍しい。
いつぞやのような猥談の可能性もあるが、真面目な話かもしれないので、俺はひとまず聞きに回ることにした。
「……どうした?」
「…………」
気が重いのか、ジャンヴォルンの口は、その先の言葉を言い淀む。
俺は、ジャンヴォルンの口から発せられる言葉を、彼の目を見て待った。
やがて、気だるげな表情で視線を逸らし、ジャンヴォルンは言葉を選ぶように、時間をかけて話し始めた――




