#37 無法の剣
私は、バレラルドを目掛け、切っ先の欠けたレイピアで、弱体化した「飛燕」を繰り出し、距離を保つ。
しかし、奴はことも無く、それらを自慢の剣で叩き落し、私に迫る。さながら、手負いの獣を追い詰める狩人のように。
――なんて、不甲斐ない。
自虐的な気持ちを感じながらも、私は倒れた弩杖兵の腰の剣を抜こうと、その腰に手を伸ばす。その度に、奴の「地烈」は倒れた兵もろとも、剣を両断する。
「くくっ、高名な『森羅の剣聖』と言えども、剣を持たぬとあっては幼子も同然よ!」
奴の剣を交わし、私は奴の剣を避けるように、「梟」を放つ。放たれた剣閃は、空中で旋回し奴の首筋を目掛けて飛来する。
しかし、それもまた奴の構えに阻まれる。
……現時点で、私は奴に対する決定打に欠いていた。
奴の実力は私より大きく優れているわけでもない。手の内さえわかれば闘いようはあるが……それは私の装備が万全であった場合の話。
まともに戦える剣を失った私と奴の間には、明確な戦力差が広がっていた。そこに「本来の実力差」という物差しを当てることに意味はない。
……私は【禁環封呪】の解放も視野に入れた。剣を失ったとて、「真の姿」を解放した私であれば、その出力も、武器の不利も、全て覆すことはできるだろう。
しかしながら、連絡魔法の有効圏に魔王様はおらず、中継する連絡魔術師も居ない現在、魔王様への解放承認は不可能だ。
私は、玄関近くに置かれた像に視線を移した。
それは、剣を掲げるベルゼアルの銅像だった。
私は跳躍し、像の手首に「雷槌」を打ち込み、これを落とした。
「!」
幸いにして、剣は像の手首と溶接されていただけのようで、多少の凹凸はあれど、問題なく使えそうだ。
「迅翼――!」
飛来する神速の剣戟。
バレラルドはこれを剣で受け……「剣閃」を叩き斬った。
「くくっ。像と同じ『銅剣』の突きでは、出力も……『強度』も、まるで足らんな」
私は手元の剣を見た。
全力を込めた風刃之型の遠隔斬撃。空を切る衝撃波の剣閃を繰り出すのに、その剣はあまりに脆く、私の力に耐えきれず、刀身が真ん中から折れ曲がっていた。
……元より、これは美術品であり、刃の入った武器ではない。当然だ。
私は、剣の形をしていた銅塊の残骸を投げ捨て、再び折れたレイピアを手に取る。
やすやすと殺されるつもりはない。
いくら奴の機動力が鉱人のそれを凌駕しているとはいえ、私の身のこなしについてこれるほどの俊敏さはない。奴を警戒し距離を離す私に、一撃を入れることは困難だろう。
……だが、このままでは埒が明かない。
上階から降りてくるであろうアンナさんを待つ手もあるが、彼女も今、頭目の捕縛に資料の接収など、自分の仕事をしているはずだ。
それに、栄えある金環の四天王の一角としては、いささか情けない話だ……。
「……くくっ、森羅の剣で某を殺せぬのを悟ったならば、『全知剣界』で某の剣を模倣したらどうかね?」
……奴の表情は「出来るものならな」と、無言で付け加えていた。
私は、奴の生い立ちを、剣理を、観察から読み解くことはできる。
だが、相手の剣を再現する「全知剣界」は門下生の教育のための技術だ。これを実践するには、明確な実力差か、相手との最低限の信頼関係が無ければならない。
どんな状況でも、相手の剣閃を模倣できる【逆吊巧者】のような万能再現能力というわけでは無い。
それに、奴を完全再現したところで、互いの実力が拮抗する以上、武器の差で押し切られるのは明白。その選択肢は最初からないのだ。
……せめて、剣があれば。そう思って周りを見渡すが、兵士の死体が挿していた、使えそうな刀剣は、その尽くが奴の斬撃によって両断されてしまっていた。
「……仲間の骸は、もっと丁重に扱えないものですかね」
「なに、地獄行きの悪党だ。冥府にも剣を持って行けなければ、安らかに眠ることも叶うまい。某からの手向けよ」
そう言って、奴は足元の仲間を軽く足蹴にした。
……死者への敬意などは感じられない振る舞いだ。
「もっとも、剣を扱えぬ剣聖を殺しても愉しめぬ、というのはそうだな。しかし、自身の獲物を守るのもまた、剣士の甲斐性。剣がないからと手を抜く方が非礼であろう?」
「…………」
「……くくっ、恨むなら、己の未熟を恨むことだ」
……正論ではある。
手痛い所をついてくるバレラルドを、私は忌々しい気持ちで睨んだ。
奴の零す笑みは「武器を持たぬものを殺す悦び」を感じさせる、極めて醜悪なものだった。
きっと、これまでも同じように、敵の武器を破壊し嬲り殺すことに愉悦を感じる、歪んだ嗜好を持つ男だったのだろう。
認めたくないものだが、剣の実力とは、必ずしも健全な人格を育むわけでは無い、ということだ。
やがて私たちは、互いに剣を振るうことも減り、じりじりと互いの間合いを測りながら、対峙を続けていた。
決定打に欠ける膠着状態は続く。
――張り詰めた状況を打ち破ったのは、二階の通路からやってきた、敵の弩杖部隊の増援。
「おや」
――目の前の剣士は、邪魔立てを制止するでもなく、これを看過した。
彼らは、私を目掛けてその杖の先を向け、引き金に指をかける。
――同時に、一帯に響き渡る、硝子が割れる音。
上階に現れた人影。
緑の鎧と灰色のマントに身を包む、黒髪の青年。
彼は、その右手に握ったレイピアを振るい、風を斬る――!
「迅翼――っ!」
飛来する神速の刺突は、上階の手すりから身を乗り出していた兵の肩をまとめて貫いて、数人はそのまま力なく階下に落下し、どさりと音を立てた。
「……カイトさんっ!」
状況の変化に、表情を歪めたバレラルドは私――ではなく、階下に落下した兵の剣を、その胴体もろともに両断した。
……まだ息のある仲間すら、剣を奪わせぬためだけに殺すか。
なるほど、この男は「剣で闘うこと」に誇りを持っているわけではない。「殺すこと」そのものが目的なのだ。
悪党と言えども、死ぬ覚悟で私に挑んできた姿勢は、剣士として天晴なものと思ったが……。
彼は、この戦いに「決闘」として臨むのではなく、「森羅の剣聖」という、珍しい試し切りの素材を求めていたに過ぎなかったのだろう。
卓越した剣技もまた、自身を安全圏に置き、他者を殺めるための手段に過ぎない。
私の「目」は、当人すら無意識のうちに選び取ったであろう「保身」「優越」の感情の欠片を、その太刀筋から、戦術から、感じ取っていた。
――卑劣極まる。剣士と思えぬ醜悪さ。
絶対に、負けるわけにはいかない。森羅の剣の、誇りにかけて。
「――リナっ!」
カイトさんの叫び声が、私を怒りの世界から、現実に引き戻す。
彼の手元から、細長い影が、階下に投げ入れられた。
離宮から持ってきた、彼のための一本の剣。
私と同じ刀匠によって打たれた、揃いのレイピア。
私の武器が破損しているのを見ての、とっさの判断だろう。
これがあれば、私はまだ戦える。
けれど――
「劫羅万世流――」
バレラルドが剣を構える。
万物を切り裂く、劫羅の剣閃が、レイピアを目掛けて――
――轟音。
バレラルドは、その踏み込みを封じられるように、一歩後ろに下がっていた。バレラルドの剣は振り下ろされることなく、私はレイピアを手に取っていた。
カイトさんは、一本の杖を構えていた。
……魔術師の使うそれとは違う、金具に彩られた異質な存在感。
魔族領域の業と技術の集大成たる、悪魔の武器。
「悪りぃけど、武器狙いは想定済みだ」
――カイトさんは、兵から奪った弩杖の引き金を引き、バレラルドの足元に魔力弾を発射していた。
私は、剣を抜き上階に視線を送った。
「……カイトさん」
「あっ。いや、えっと……すいません。緊急事態だから……森羅の剣を穢そうとかそういうつもりは……」
彼は慌てるように、取り繕った。
……その緊張感のない姿は、私の狭まっていた視野を、再びフラットなものへと引き戻していた。
「ガンミトラスでの経験が活きましたね」
「蒸し返さないようにしてたんだけど……」
「……ふふ」
上階に新手が現れ、カイトさんは弩杖を発射し、それを威嚇した。
私と、劫羅の剣豪の戦いに、邪魔が入らないように。
「……ありがとう、カイトさん」
私は、レイピアを構えた。
「……ふむ、それでどうするかね?貴殿のお得意の遠隔攻撃は全て防がれる。近接は某の『全能』の剣域。剣の折れていた時と、何も変わるまいよ」
「…………」
「火力で、押し潰します」
「……はっ」
バレラルドは、私の言葉を鼻で笑った。
「すべてを斬り捨てる、某の剣以上の剣力を貴殿が持っているというのかね?斯様な驕りは、我が『全能』の剣閃の元に……」
「――胡蝶」
私は、手元でレイピアを振るい、小さな風を起こす。素肌に切り傷を負わせる程度の、小さく、鋭い風を。
「……?」
剣の軌跡に合わせ、胡蝶は、舞う。
取るに足らないそよ風を、幾重にも重ね、重ね、重ねていく。
「――っ!」
さながら、空を覆う蝶の群れのように、互いの剣閃が交わり、新たな風を生み、それは、巨大な、嵐の渦のように――
「森羅万世流 風刃奥義――」
私は、蝶の羽ばたきに一筋の切れ込みを入れた。
すべての微細な斬撃に、指向性が与えられる。
「――胡蝶嵐!」
劫羅の剣豪、バレラルド=ガイアスに、森羅の奥義が迫る。
「劫羅万世流――ッ!」
バレラルドは、剣を体の前に構え、それを高速で旋回させた。
「雨傘……ッ!」
回転する剣は、その斬撃を見切り、防ぐ。……防ごうとする。
しかし、胡蝶の羽ばたきの様なその斬撃は、旋回する剣の隙間を縫い、彼の髭を剃り落とし、頬の薄皮に傷をつけ、鎧の合間に突き刺さり、楔帷子の繋がりを切断し、指の肉を削ぎ、骨を削り取る。
「……魔王軍剣術総師範として、最期に一言」
無数の剣閃に襲われる彼の瞳は、怯えを感じさせる光を湛え、私の目を見つめていた。
「すべてを斬り捨てる貴方の技巧は、比類なきものでした。しかし――」
やがて、彼の掌は、剣を持つことができないほどに、ズタズタに切り裂かれる。
「人は、血を多く流せば、首を刎ねられれば、肺に穴が開けば、心の臓腑を貫かれれば――」
やがて、彼は押し切られるように剣を落とした。
「その剣力に依らず、死ぬのです」
無数の剣圧の集合によって、その身体の前面を削ぎ落された彼は、血液で床に赤い平行線を刻み込みながら、無惨な肉塊となり、沈黙した。
* * *
俺は、リナが戦いを終えたのを見て、胸をなでおろした。
勿論、柱を両断する敵の脅威も大きかったが、それ以上に「森羅の奥義」だ。とんでもない威力だな……。
手合わせの日、事故って喰らわずに済んで、本当に良かった……。
劫羅の剣豪の無惨な亡骸を見て、俺はそっと手を合わせた。外道ではあるが、この死に様は、正直同情する。
俺は、二階の手すりの柵に影のロープを縛り付けて下におろした。
宣言通り、彼女一人でヤツを斃した。
俺が剣を投げ入れたことで、ただちに決着がついたあたり、実際奴と彼女の間には、明確な実力差はあったのだろう。
だが……手の内の読めない敵に、奥義を使う場面を見いだせなかったのだろうか、彼女は戦いの中で剣を失っていた。
……実力差は必ずしも勝敗を明確にはしない、ということだ。
戦いには緊張感を持って臨むべき、という学びだな。
俺は、ロープを軽く握り、リナと合流すべく階下に滑り降りた。
その時――
「……カイトさんっ!」
リナは鞘に納めていたレイピアを抜いた。
彼女の視線の先。一人の手負いの兵の弩杖が、その先端を俺に向けて、引き金に指をかけた――
「がっ……!?」
轟音と共に上がる、ガラスの割れる音と、低いうめき声。
俺たちの視線の先。弩杖を持っていた猪妖魔の男は、その照準をずらし、俺の後ろの窓を割るにとどまった。
男は、肩から胸に血を流しながら、倒れ込んだ。
剣を振り抜いた姿勢でそれを見つめる、一人の猪妖魔の青年。
どくどくと流れ出る血液、少しずつ鈍くなっていく男の動き。
力なく下ろされる、血濡れとなった青年の剣。
「あっ――」
彼は、自身の行動の後に、まるで何かに気付いたように、小さく声を漏らした。
俺たちが、彼に歩み寄った時、敵はその眼から光を失い、死んだ。
……アンナとの合流をリナに任せた俺は、茫然とする彼の背中に手を添える。
俺たちは、血だまりから赤い足跡を残しながら、館の玄関を出た。
この日、ジャンヴォルンは、はじめて魔族を殺した――。




