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#8 議題「彼を知り、己を知れば」

 オメガルド大陸。この世界における唯一の大陸地であり、その東西は「魔族領域」と「人間領域」に分かれている。


 西方の人間領域においては数々の王国が成立し、それぞれの国家間で軍事衝突も起こっているが、表向きでは私たち魔族を警戒し結託しており、おおよその国が魔族討伐を国是とし、度々刺客を送り込んでいる。目的としては安全保障もあるんだろうけど、各種埋蔵資源や、魔族という強力な人的資源(どれい)が欲しいってのが本音だと思う。……正直、すっごい迷惑。


 一方で東方。私たちの魔族領域は多種多様な種族が存在し、基本的に地域ごとに集まって部族社会を形成している。その上で、大多数の部族長は魔王たる私に忠誠を誓い、緊急時には武力を提供する見返りに、封地を安堵する「御恩と奉公フィーダル・コントラクト」と呼ばれる契約が結ばれている。

 基本的には部族ごとの自治が認められていて、全土に私の完全な支配が及ぶ中央集権というわけではないけど、それでもこの「蝕の王城」キャッスル・イクリプスの膝元……「魔都(まと)プシュリオール」は、魔族領域最大の都市として、大いに栄えている。


 そんな対照的な二領域。魔族領域の盟主たる「魔王」にとって、人間領域の国が育成、あるいは召還した「勇者」は、天敵と呼べる存在だ。


「たぶん、勇者の召喚には大母聖教会も関わってると思う。今回は転生者じゃなくて転移者みたいで、即戦力として投入されたんだって」

「……被害程度は?」

「現状、魔族領域ではなく人間領域でだけ活動してるみたい。同盟に参加してる部族の集落には被害ないって」

「んー、それでも、今後の成長性次第では脅威になりそうですねぇ……」

「女神の祝福って、反則みたいなところあるしねぇ……」


 私と四天王は、人間界で諜報を行っているノアの報告を聞いて、頭を抱える。

 基本的に、人間界と魔界はお互い暗黙の内に不干渉を貫いている。だが、そうは言ってもどちらの世界にも無法者(アウトロー)が現れるのは常だ。特に、教育体制が整備されていない蜥蜴妖魔(ゴブリン)猪妖魔(オーク)などの妖魔部族は、魔族社会においては鬱屈を溜めやすいらしく、往々にして西方に流出し、山賊のような真似をする。

 曰く「同胞を傷つけているわけではない」というのが彼らの言い分だが、そのせいで我々が人間界に侵攻を意図しているという陰謀論が人間界には蔓延している。


 無論、魔族だって戦乱を望む過激派ばかりではない。

 ……けれど、これは文化や教育の格差や、食糧事情など、社会問題に根差したものが要因でもある。つまるところ、私の統治者としての不明の結果でもある。だがこれは、腰を据えて取り組むべき問題であり、一朝一夕での解決は困難というのも事実だ。

 ……加えて、実際に私たちが革命で除いた先代魔王は、人類絶滅を目論む強硬派だったという事実もある。人間にとってはあながち「根も葉もないデマ」ではないのだ。

 それに、場当たり的に私が人間勢力に弁明して甘い顔を見せてしまうと、人間勢力に魔族領域進出を目論まれるかもしれない。……「侮られないこと」もまた、王の務めなのである。


「アルフィード王国は、魔族領域と国境接してますからねぇ……しかも超強硬派の猪妖魔(オーク)部族の居住区と隣接してて、山賊も大量に……」

「人間側も、国軍で討伐隊を編成する程度だったら、無法者の自業自得で看過できるけど、勇者召喚はちょっと、ねぇ」

「勇者って、単独戦力の刺客でしょ?……魔王様を暗殺する気満々じゃないですか」

「勘弁してほしいなぁ……戦争したいわけじゃないんだよ、こっちもさぁ……」


 頭を抱える私に、アンナはうろこに覆われた大きな掌をパキパキと鳴らしながら、視線を送る。

「……アルフィードまで行って、勇者ぶっ殺してきます?」

「いやいや、だから戦争したいわけじゃないんだって……」

「アンナ、脳筋~っ」


 猫のノアにからかわれ、アンナは頬を染めながら拳を下した。……アンナは忠誠心も高いが、本人の資質としては大分直情的で武闘派だ。彼女の領内で平和に暮らす魔族に仇なす存在が現れたとなれば、その時は迷わず軍を動かすだろう。

 しかし、軍事作戦に関しては、少なくとも私の下命を待つ程度の分別はある。あまり我慢をさせ過ぎるのも良くないが、事が起こるまでは耐えてもらうしかあるまい。


「……緩衝地帯の付近で、直轄軍はいつでも動かせるようにしておきたいけど、当面は様子見だね。むしろ、今の段階では交戦よりも調査を優先して……隙があれば姦計を仕掛けたいかな」

「じゃあ、私の出番?」


 私の膝の上からぴょんと立ち上がったノアは、黒猫の姿から、黒髪ショートの快活な猫耳の少女の姿に変わる。


「そうだね、まずは情報収集。ワーキャットやワードックの隠密部隊を動かして、人間領域の情報収集。勇者の能力や弱点を探ってみて」

「了解~」


「エミリアもノアの手勢に対してサポートをしたりしてあげて。必要があったら人間領域に入ってもいいけど、ことは荒立てないこと」

「承知しました」


「アンナ、リナは国境付近で待機、人間領域に逃れようとしたり、戻ってくる無法者がいたら捕縛。まあ、相手は山賊だろうし、魔族領域で手配されてる凶悪犯罪者は、そちらの裁量で裁判の上で処刑して構わないよ。……人間領域の情報は聞き取りした上でね」

「了解です」

「……あっ、ついでにリナ。国境待機してる直轄軍の子やアンナの部隊に稽古つけてあげて。アンナも暇を持て余すなら、手合わせ相手がいた方が気も紛れるでしょ」

「了解いたしました」




「勇者についての対策はそんなところかなぁ……」

「『山賊だけ狩ってくれる良い勇者』だったら、こっちも楽なんですけどねぇ……」

「いや~……魔王と勇者が仲良しとか無いでしょ~。出会ったら殺し合いが、世の常だって」

「今までも、召喚勇者なんて英雄技能(チートスキル)で大暴れする、荒くれ者ばっかりでしたしねぇ……」

「自分で『勇者』なんて名乗る輩に、ロクな人間はいないってことですね」


「そうだねぇ……もし『やさしい勇者』なんて存在するなら、魔王軍にスカウトしてもいいよ?」


 皆は、苦笑を漏らした。


「……魔王様、いるなんて思ってないでしょ」

「まあね。先代魔王と先代勇者、両方ともロクでなしだったし」

「まあ、そこも人それぞれだと思いますけどね。グレタ様がその好例でしょう」


 ……まあ、先代魔王と私も別人だし、勇者もまた然りって所かもね。

 いや、まあ、今さら「人間を信用しよう!」なんて気にも、ならないんだけどさ。

 でも、そうだったら、まあ……平和でいいなぁって、私も思うよ。


「そうだなぁ……じゃ、やさしくて、強くて、賢くて、金持ちの勇者が現れたら、婿にとって人間と和平結んじゃおっか。……あっ、もちろん顔は美形で」

「はは、魔王様ってば欲張りぃ~」

「そんな、引く手数多の人間が、魔界に婿入りなんてしませんって」

「はは、まあ夢を語るのは結構じゃないか?」


 ――――ははははは


「えっ……魔王様、結婚されてないんですか?」




 ――リナの言葉で、場の空気が凍った。

 この子、悪い子じゃないけど、空気読めないんだなぁ。




   * * *




「おええぇっ……」


 深い森の中、光を失い開き切った瞳孔に睨まれた俺は、その場で膝をついた。

 そして、朦朧とする中で、樹に寄りかかりゲロを吐く俺の背中を、エリスはそっとさすっていた――。


「ちょっと、カイト。山賊を一人斬っただけで大げさよ……」

「もしかして、死体を見たこともないんですか?修道院育ちでもないでしょうに……」

「冒険者だったら、依頼で無法者の一人二人殺してきてるもんだろ、情けないなぁ……」


 無茶言うなよ……。つい一ヶ月前まで、俺は平和な日本で暮らしてたんだぞ。

 死体なんて葬儀場で綺麗にされたものぐらいしか……いや、それすらも滅多に見なかったし……自分の手で人を殺す機会なんて、ありゃしなかったんだよ。


 ……チートがどうこうとか以前に、根本的に俺は、前近代で生きるってことを甘く見てたな。そりゃ、冒険者なら山賊討伐の依頼だってあるだろうよ。

 でも、凶悪犯の射殺だって賛否の割れる現代日本で育った俺にとって、人殺しは禁忌に他ならない。異世界に来て速攻、人を殺してはしゃげる奴の方が、頭のネジ飛んでるだろ。


 呆れた表情をした三人は、俺をエリスに任せ、先に村長のもとへ報告に向かった。


 ……情けねぇ。

 ……が、この感性ばっかりは「情けねぇ」で受け入れるの、抵抗あるな。


 ………………


 俺は、樹に手をついて、その場から立ち上がった。

 先程まで暗い視線を送っていた死体は、首実検のためにジーンに首を刎ねられ、その場に転がっている。


 ……これから俺は、この価値観の中で、生きて行かなきゃならんのだな。


「……カイトさん」

「……もう、大丈夫」


 一通り、出す物を出しきって、多少楽になった俺は、目の前の首なし死体を見る。

 ……相手は山賊。殺し、強盗、もしかしたら強姦もやってたかも知れない、人でなしだ。その因果が自分に巡った。それだけだ。


「………………」


 俺は、深くため息をついた。

 そして、衝撃魔法(インパクト)を使って、死体の横に深い穴をあけた。


 討伐した山賊の首なし死体を三つ、放り込む。そして、脇で山になった土を死体に被せ、埋めていく。それを見たエリスも、一緒になって土を手で押し、死体に被せていく。


 埋葬……の意図がないわけでも無いが、何よりも見たくなかった。

 俺が、もう、「昨日までの俺」ではないということを。


 一通り穴が埋まったのち、盗賊の使っていた木箱を解体した板を、墓石代わりに柔らかい地面に突き立てる。

 俺は、ちゃちな墓に手を合わせて目をつぶり、うろ覚えの念仏を唱えた。……仏教は適切ではないだろうが、気持ちの問題だ。


 ……こんなもんで、勘弁してくれ。


 俺は、顔を上げる。

 今日、この場所で、自分の手を汚したことで、俺はハッキリと自覚した。



 ――もう、俺、日本に帰れないんだな。



 ……わかってはいたはずだ。

 俺は、あの交差点で、死んだようなもの。もうこの世界で生きるしかない。


 けれど、この世界に馴染めば馴染むほど、現代日本の価値観とは乖離していく。

 その事実が、俺のこれまでの短い人生の思い出を、出会ってきた人々との繋がりを、少しずつ塗りつぶしていく。


 そして、その現実を直視したとき、自然と、俺の頬には、涙がこぼれ落ちていた。


「………………」

「………………」

「やさしいんですね」

「……違うよ」


 やさしい人間は、人を殺さないだろ。

 山賊への同情でも憐憫でもない。これは、俺自身の問題だ。


 俺は、ただ――




「――ただ、すこし、寂しくなっただけ」


 風は、辺りの木々の葉と、俺たちふたりの髪を揺らし、ざわざわと音を立てていた。


 


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