#26 「猥談」はやめよう!
「それでは、今日はここまでにしましょう」
日課となった森の課外授業。
リナは手を叩いてこれを切り上げた。
「ジャンヴォルンさん。はねた水の動きは一つ一つの雫がバラバラに動くわけではなく、ムラが存在し、その塊は互いに引き合うように結びついたり、離れたりを繰り返します」
「…………」
「その移り変わりに法則性が見えるようになってくれば、水刃之型のより深い理解に繋がり、これまでの力押しとは違った、様々な戦術が広がるでしょう」
「……うす」
「あなたの身体は、純血の猪妖魔に比べて膂力は劣るかもしれませんが……、逆に言えば『指先の器用さ』はあなただけの強みです。鍛錬を続ければ『あなたの剣』が見つかり、猪妖魔と人間双方の強みを発揮できる稀有な戦士になるでしょう。引き続き、精進に励んでてください」
「…………」
ジャンヴォルンが、困惑交じりにリナの話を聞いている……。
……まあ、無理もない。
俺と、森羅の剣を交えたあの日を境に、リナの指導方針は大きく変わった。
修行に際して、相手を見下しているように見える振る舞いは影を潜め、俺たちの理解を促すため「理屈」をしっかり説明するようになったのだ。
彼女は、他人とのコミュニケーションに苦手意識こそ持っていたが、仮にも「王」と名乗るだけあり、人前で話すことを躊躇するわけではない。
そして、剣術は体系だって理解されたものであり、これを言語化することはさして難しいわけではなかったのだ。
……もちろん、何でもかんでも教えるわけでなく、必要とあれば「自分で考える」ことも促す。
だがそれは、これまでのどこか不機嫌を感じさせるそれではなく、指導を受けるこちらを納得させられるだけの、教育の意図を感じ取れるものだった。
彼女はあの翌日、食堂で顔を合わせたジャンヴォルンに、そして俺に、これまでの指導方針について詫びた。
人の心の裡に不躾に足を踏み込んだことは、尊厳を傷つける行いであった、剣の道を志す者の想いを妨げる行いであった、と。
ジャンヴォルンは面食らっていたが、それを聞いていたアンナは、安心したような微笑みを見せていた。
きっと、彼女も同じ四天王として、リナのこれまでについても、これからについても、心配が尽きなかったのだろう。
それからは、毎日食堂で俺たちと食事を共にし、指導も手厚いものに変わって行った。
日常的な雑談にはまだ及び腰だが、それでも彼女の振る舞いに歩み寄りが感じられたことで、俺も彼女に対してぐっと親近感を持てるようになっていた。
「カイトさんには、明日から『特殊四段』を一時認定して、二級相当の補正をつけた上での稽古を挟みます」
「……それは、先日の手合わせのような形ですか?」
「ええ。【逆吊巧者】で、現在の実力に近い次の課題を、一時的に『使える』ようになってもらいます。現在の実力と大きく差の無い範囲での技術ならば、それを無効化した際に、現在の力量との差異を理解したり、課題意識に繋がるでしょう?」
はあ、なるほど……。
つまり英雄技能による技量補正を「お手本」にするってことか。
初日の餓狼一元流でもそうだったけど、全てを抜かして最上位の段位相当の実力を再現しても、必要な過程を理解していないから、変なステレオタイプがついてかえって学習の妨げになる。
けれど、自分の手の届く範囲の先取りをすることで、目標を明確化して、どこを直せばいいかがはっきりわかるわけだ。
……すげぇな。
俺、このスキルを「ズルして自分の実力を底上げするもの」としか認識できてなかったけど、考え方を変えれば自分の到達可能な完成形を実演する、「教材」的な使い方もできるのか。
流石は、魔王軍の剣術師範……今までのいさかいが嘘のように、彼女に対する素直な尊敬が芽生えた。
「いや、本当、自分に合わせたカリキュラム組んで貰えて、めっちゃ助かります……」
「……いいえ、英雄技能を活用することについては、魔王様の方針からも決まっていたことでしたし、これを使うことに抵抗を持っていたのは、私の私情にすぎません」
「…………」
「けれど先日の件で、私も『教えを授ける者』として、あなたから多くを学ばせてもらいました。それに、あなたならきっと森羅万世流の名を穢すようなこともしないと……確信も得られました」
「あっ、はい……」
「だから……ありがとうございます。私も、己の未熟を知り、一歩前に進めたということです。私とあなたは師弟の立場の差こそありますが、互いに学びを得ることが大事なのでしょうね。……共に、多くを学んでいきましょう、カイトさん」
……正直、俺もジャンヴォルンと同じように面食らった。
これまでの「悪い意味で」子供っぽかった面が、すっかりなくなっている。
あるいは、「勇者」という存在に対する、心理的な抵抗を乗り越えた彼女本来の「教える技術」が、これだったということなのかも。
今の彼女なら、俺もストレートに「先生」とか「師匠」と呼びたいな……。
……しかし、めっちゃ真っすぐに褒められて、なんかすごく照れくさい。
でも、自分のがんばりを褒められたり、誰かの人生をいい方向に変えられたって聞くと、本当にうれしいな。
「では、本日の稽古はここまで。お疲れ様でした」
俺たちは、大きな声を出して、礼をした。
モチベーションも大分上がったので、今日は離宮の鍛錬場で、復習がてら自主練しようか。
リナがアンナの方へ歩いていく。
それを確認し、ジャンヴォルンが俺の方に歩み寄って来た。
「……なあ」
コイツから話しかけてくるのも珍しいな……やっぱり、はっきりした指導もらって、モチベ上がってんのかな?もしかしたら、自主練付き合ってくれるのかも?
当初は居心地悪かった空気も、少しずつ変わって来て、俺も素直に嬉しいよ……。
うんうんと頷く俺に、ジャンヴォルンは耳元で問いかけた。
ん……?
なんで耳打ち……?
「……お前さ、師匠とヤったのか?」
「は?やったって、何を……」
………………
「やっ……はあぁッ!?……何言い出すんだ、お前ッ!」
「声でけェよ」
「……ッ!」
コイツ……っ!
言うに事欠いて、何言いだすんだ?
脳味噌ピンク色か……っ!?
「……いや、あのエルフ師匠、これまで露骨に毛嫌いしてたてめェに、明らかに態度軟化してるじゃん。どう考えても何かあっただろ」
「打ち合い稽古しただけだっての……っ!大体、朝っぱらから、んな事するわけ無ぇし、これまで毛嫌いしてた人間と、いきなり『やろう!』なんて女が、どこにいんだよ!」
「あー、まァ、そりゃそうだが……あんな急に態度変わることって、それ以外にあるもんかねェ」
……【逆吊巧者】の件については、ざっくりとコイツも知ってるはずだが「リナと同格になって一本取って来たぜ!」なんて言っても、にわかに信じられないだろうな。
あー、クソっ、説明面倒くさぁ……。
「……ったく、思春期だからって、エロい想像ばっかしてんじゃねぇよ。男と女ってだけで、すぐにそんな事なるわけねぇだろうが……もっとこう、男女ってのは、お互い歩み寄って、ちゃんと理解を深めてからさぁ……」
「童貞か?」
「てめ……ッ!」
ふざけんなよ、このクソガキ……ッ!
俺だって……気にしてないわけじゃないんだよッ!
「この……十四のガキのくせに……!自分のこと棚に上げて、ハタチ越えの大人をからかってんじゃねぇよ……お前だって……」
「いや、オレは童貞じゃねェけど……」
……は?
いやいやいや、十四だろ?
児童福祉法とか色々と……あっ、ここ、異世界……。
「フツーに、混血が珍しいってんで、近所の物好きな女に、何度か誘われた感じだな……まあ、それっきりだが」
……いや、それでも色々まずいだろ!この世界、避妊具とかあんのか!?
「その……子供とか出来たら、まずいだろ……っ!」
「いや、そんなもんは、外に……」
……クソッ!
貞操観じゃなくて、性教育の問題が根深過ぎる……っ!
そういや、「現世」でも、それが「避妊法」だった時期もあったらしいが……。
この辺、教育制度とかも改革しなきゃなんだろうけど、グレタにこれ相談すんの?
あんな、子供みたいな容貌の女性に、俺から、こんな生々しい、性教育の必要性の話を……?
うわっ……。
「……つーかさ、逆に、男がハタチまでヤらないとか、あるか?」
「…………」
「……ま、まさかオマエ、ホ――」
「違げぇ!……し、そもそも、そういうこと言うんじゃねぇよ!そういう発言は、当事者だったらマジで傷つくヤツだからな!コンプラってもん考えろや!」
「こ……『こんぷら』ってなんだよ?」
「他人様を傷つけるような、無神経なこと言うなっつってんの!想像力働かせろ!」
………………
前近代の信じられない価値観を前に、必死になって声を荒げた結果。
そんな俺の姿を、コイツはどう見たのか。
浮かび上がってきたのは、あからさまな「格下」への優越感の透けて見える、不愉快なニヤニヤ顔だった。
「ああ、悪かったな『童貞アニキ』」
俺は……ぷっつんした。
「ぶっ殺してやる……っ!」
「はっ、来いよ!童貞野郎が!」
――醜い取っ組み合いが、始まった。
* * *
「あーあ、年頃の男ってのは、しょうもないねぇ……」
「…………」
「リナにも私にも聞こえてるってのに、恥ずかしいヤツらだよ、まったく」
「アンナさん」
「ん?……どうした?リナ」
「その、『どうてい』ってどういう意味ですか?私、あまり俗語とかは詳しくなくて……」
「…………」
「…………」
「……ああ、そうだな。離宮に戻ってから話そうか。剣は置いてこような」
「は、はぁ……」
* * *
――翌日。
顔を赤くしたリナに「二度と不埒な思考が浮かんで来ないように、性根を叩き直して差し上げます」と、俺たち二人は、かつてないほどのスパルタ指導を受けることになった。
俺は、止めた側なのに……。
……ここまでの信頼関係、初期化されたんじゃないか?
……ああ無常。
何もかも全部、この無神経なエロガキのせいだ。
一生恨むからな、ジャンヴォルン。
……くそ、こっち見てニヤついてんじゃねぇぞ、クソガキが。




