#21 走馬の明「なんで、産まれてきたの?」
「全知剣界『走馬の明』――」
――森王リナが構える。
オレの全身から、イヤな汗が噴き出した。
いや、ワケわかんねぇ……この流れで、どうして打ち合い稽古になる。
しかも、初日の鍛錬場の時と全然違げぇ……動いたら、オレの首が飛ぶ。
……いやいや、奴の獲物は木剣ですらない。その辺で拾った曲がった小枝だぞ?
そんな……バカな話があるか。
いくら、この女が、金環の四天王だからといって、こんなゴミみてぇな小枝で、猪妖魔の血を引くオレを殺すことなんて――
――ひとひらの葉も落とすことなく、オレの喉を小枝が貫いた。
「……気をしっかり持って下さい、ジャンヴォルン殿」
森王リナの声が、オレの耳に届き、視界が戻る。
奴は、オレの間合いの外で、基礎の構えから、僅かにも動いていない。
視線を下げたが、オレの胸元にも一滴の血も落ちていなかった。
森王が、口を開き、言葉を発する。
「……脳が一定以上の発達をしている種族は、自身の命が危機にさらされた時……『走馬灯』と呼ばれる生理現象を引き起こします」
「……?」
「過去の記憶から、生存のための手段を引き出すための過集中状態。自身の体感時間を引き伸ばし、これまでの人生の経験を、早馬に乗るように駆け抜ける……」
――飛来する剣閃で、オレの首が飛んだ。
……飛んでいない。だが、全身の筋肉が強張り、動けない。
幻覚のようで、幻覚ではない。この女は……本当に、いつでもオレを殺せる。
「森羅万世流を極めたものは、森羅万象を模した膨大な『技』の選択肢の中から、瞬時に最適な手段を探索し、引き出すことが求められる。……言ってしまえば、私や祖母のような当流派を極めた者が、剣を持って強敵に立ち向かう時は、『常に走馬灯を見ている』状態と言えるでしょう」
――両足首が落ち、跪くと同時に、小枝が胸を貫き、溢れ出る血で溺れる。
詰まった息を一気に吐き出す。
呼吸は浅いが、吸える。吐ける。当然、剣は届いてなど居ない。
「そして、森羅万世流は『象形剣』。これを極めた者は、その眼前にあるものすべてを『模倣した剣』を振るうことが出来る。つまり――」
――森王リナが、瞬時に間合いを詰め、オレの腰を左下から切り上げ……
「……くっ……そがッ!」
――オレは、
――思考の迷路を駆け抜け、
――木剣を動かし、
――ヤツの剣閃を、
――止めた。
……止まった。
……今度は、幻視ではない。目の前に、森王リナがいる。
奴の、草原のような黄緑の瞳が、オレを見上げていた。
奴は、そのまま枝で剣を弾き、唐竹を割るように枝を振り下ろす。
その剣の軌道に合わせ、オレは木剣を頭上で構える。
――これも、止められる。確信があった。
先程までとはまるで違い、この攻撃は止められる。
何故なら、オレはその太刀筋に確かに覚えがあったからだ。
今まで、何百、何千、何万回となく、側で見てきた太刀筋。
――オークの道場?
――クソガキどものシゴキ?
――奴隷剣闘士の賭博場?
――兄者からの直々の鍛錬?
どれも……違う。
そんな物とはまるで違う、もっと近くで見てきた剣。
――「オレ」だ。
粗削りで、腰の引けた、永遠に未完成の「剛の剣」。
見間違うはずもない……これは「オレ」の太刀筋だ。
「――象形剣『ジャンヴォルン之型』」
森王は、目の前の剣士は……、他ならぬ「オレ」になっていた。
* * *
森王の、「もう一人のオレ」の剣閃が、胴に迫る。
オレはそれを弾き、踏み込み、逆袈裟に斬りかかる。
踏み込む。打ち込む。止められる。返される。受ける。弾く。
踏み込む。打ち込む。かわされる。さらに踏み込む。飛び退かれる。構える。
踏み込まれる。打ち込まれる。止める。返す。届かない。構える。
退屈さすら感じるほどの、不気味な予定調和。
それでいて、確かに感じる「殺意」。
それは、オレが奴に向けるのとまったく同質の「殺意」。
――気持ち悪い。
見たくない。
許せない。
殺す。
絶対に、殺さなくてはならない。
この世に、オレは二人もいらない。
死ね。死んでくれ。
オレは、思考の迷路を、ただひたすらに駆け抜ける。
ヤツを殺すための、必殺の一手を引き出すために――
――「なんで、産まれてきたの?」
脳裏をよぎった低い女の声に、オレの身体が、びたりと止まった。
奴の身体も、同期するように、ほんの一瞬止まった。
オレの記憶は、至ってしまった。
何よりも思い出したくなかった、その光景に。
* * *
オレの母親は、人間領域からさらわれてきた女だ。
当人に聞いたわけではないが、おそらく穀倉地帯の農奴とか、そのあたりだろうと察してはいた。
特に闘うために体を鍛えているわけではないが、農作業でついたであろうその全身の筋肉と脂肪は、猪妖魔や鉱魔族の好む「酒樽のような」身体だった。
……そして、それはきっと、ヤツにとっては最悪級の不幸だった。
「人間にしてはいい女」だったその女は、冒険者気取りで盗賊行為に励むクソガキどもに、さんざマワされた挙句、戦利品として持ち帰られ、親父殿に献上された。
時期的に見て、オレは「プロシューダ=グルドンドの息子」だ。
だが、領主の息子なんて言っても、オレは結局、混血の「穢れた血」だ。女なら親子ともども玩具として扱われただろうが、男なら殺されてもおかしくねぇ。
……幸い、親父殿の野心のため、奴隷の身体能力を把握したいってことで、オレと似たような境遇の混血は、しばらく様子見で生かされたわけだが。
ガキの頃のオレは、近所の混血や、純血の庶民のガキをぶん殴っては子分にする、「親父殿に似た」悪ガキだった。
好きなことは「弱い者いじめ」、嫌いなことは「我慢」だな。ここは今でも大して変わらねぇ。
……まあ、猪妖魔の血の因果ってヤツだろ。
だが、現実として、成長するにつれてオレは、自分がその「弱い者」側であることを突きつけられていった。
……腕力もそうだが、社会的にも、オレは上に行くことはできねェ。ガキ大将でいられるのも、純血どもと体格差が少ないうちだけだ。
混血を押し込んだ、屋敷の隅にある小さなボロ長屋の一室での暮らし。
親父殿と直接会う機会は殆どねェ。オレにとって、唯一の肉親はおふくろだった。
おふくろは、親父殿に犯される機会も減り、今では召使いのような扱いだ。並みのオーク女と同程度には、肉体労働に慣れていたおふくろは、細々とオレを養っていた。
オレにとっておふくろは唯一の身内だと思っていたし、思うように暴れられない鬱屈でよく衝突もしたが、ちっとは楽に暮らさせてやろうと思っていた。家に錦を飾って、多少なりとも領内でも暮らしやすい雰囲気にしてやりたかったというかさ。
そのためにも、純血のヤツらと同じように、どうにか剣術を学ぼうと必死にかけあったが、どの道場の月謝も、オレの小間使いで稼げる額ではなかった。
人間領域への略奪に行かなかったのは、単純に他のガキどもにハブられたってのもある。
だがオレとしては、さらわれ、犯され、いいとこ無しだったおふくろの人生を見て気が引けたってのも大きい。
……だが、オレも年頃だ。おふくろと暮らす狭い家は、色々と、窮屈で仕方なかった。……仮にも絶倫の猪妖魔の血筋。溜まるもんは溜まるしな。
だが、薄毛の混血じゃ、ほとんどの女には相手にすらされねぇ。金だって無いし「買う」こともできねぇ。溜まったら抜け出して茂みでマスをかく毎日、そんなん鬱屈ともする。
いくら親子の情があるとはいえ、金も、女も、名誉も、ほど遠い現状。未来が見えず、欲求不満がかさみゃ、衝突も増える。
おふくろからすりゃ「ほっつき歩いてんじゃねぇ」でも、道場探しに必死になってるオレからすりゃ「誰のために必死になってると思ってんだ」だった。
そんな売り言葉に買い言葉の毎日。
……先に限界を迎えたのはおふくろだった。
「……もうイヤっ!醜い猪妖魔どもに囲まれて、辱められて、さらわれて……っ!」
「産まされた子供も猪妖魔で……こんな人生、望んだわけじゃないのに!私が……何をしたっていうの?生まれが国境に近かっただけで、どうしてこんな人生を送らなきゃならないの?分相応な望みとして、人間の農奴としてでも、ただ生きていたいって……それすらも、高望みだっていうの?」
「……なんで、私のいう事をロクに聞けない、猪妖魔の子供を私が育てなきゃいけないの?どうせ、あんたも、大人になれば、人間領域に入って行って、女をさらうんでしょう?どうして……そんな子を、自分の手で、育てなくちゃならないのよ?」
「なんで、産まれてきたの?」
すべてを吐き切り、おふくろは、息を荒げていた。
……そこに居たのは「母親」ではなかった。
望まぬ道に縛り付けられた、自身の人生を呪う女。
その気持ちが決壊したヤツは、もう「母親」を取り繕うことも、やめた。
「……誰も、産めなんて頼んじゃ居ねぇよ。くたばれ、売女が」
その数日後。
行く当てもなく街を歩いていたオレは「兄者」に引き取られ、剣術の指南を受けるようになった。
親父殿も、兄者も、オレのことを「同族」と見ちゃいない。
それは、今にして思えば、最初から察してはいたんだろう。
……だが、女々しい話、最後に遺された「肉親」という希望に、オレは縋るしかなかった。
「……私が『兄』?二度と世迷い言を抜かすな。分をわきまえろ、汚らわしき混血の小僧が」
オレの存在が、誰にも望まれることはないなんて……考えたくもなかったから。
* * *
――くそ。
――くそが。
本当に、クソみたいなことを、思い出させやがって……ッ!
てめェに何が分かるんだよ、エリート家系のエルフ様がよ!
生まれながらの家柄!才能!魔都に近い地理!約束された出世!
そんなヤツらのゲームの駒にされるオレの惨めさが!
くせぇ井戸水!残飯みたいなシチュー!虱の湧いたベッド!
ただでさえ貧乏な猪妖魔領で!親兄弟にすら道具扱い!
怨敵との混血に産まれたヤツの気持ちが!てめェらにわかるかよ!
なんで、魔族領域に混血児が少ないと思う?
どの部族も、自分たちの一族を高貴なものと見てるからだろうさ!
どこに行こうと、混ざりモノなんて「一段下」であり続けるんだよ!
死ね。死んじまえよ。クソどもが……ッ!
どう生きようと、オレに未来なんてねェ!見たくなんてねェんだよ!
そんな、どうしようもないもんを、これ以上、オレに突きつけるんじゃねぇよ!
オレは、オレは――
「不幸な生まれだろうが何だろうが……殴ったら殴り返されるんだよ」
「飯はあったかいうちに食いに来いよ。冷めてマズくなっても自業自得だからな」
「あー、もう、仕方ねぇな。腸詰でも買ってやるよ。ついて来い」
「……一番高いのじゃんそれ!遠慮ねぇな!……ったく、少し分けろよ?」
「一口で食うんじゃねぇよバカ!噛んで食え!」
……ああ?
くそっ、何を楽しげに笑ってやがんだ、モヤシ野郎。
てめェに、下賤の出で才能の無いオレの気持ちなんて、わかるはずねぇんだ。
……誰が……てめえとなんか、仲良くするかよ。
* * *
――枝が、オレの眉間に。
……突き刺さることなく止まった。
オレは、涙と鼻水を散らしながら、背中を地につき、詰んだ。
……エルフは、森王は、手の甲でうっすら濡れた目元を拭い、枝を逸らした。
「……『全』を知るために、己という『一』を知る。森羅万世流を極めんとする者には、師範の『全知の剣界』により、己の人生の宿業を突きつけられる」
エルフが、片膝から立ち上がる。
オレは、虚脱感に包まれながら、逆光に照らされるエルフの姿を見ていた。
「その通過儀礼が『走馬の明』。己が剣才をもって魔王様に仕えんと志すならば、これを越えることが出来なくては、話になりません」
……うるせぇ、死ね。
どうでもいいんだよ、魔王が、森羅万世流が、なんだってんだ。
オレはただ、力が、金が、女が……「誰か」が欲しくて、流されただけだ。
やってられるかよ、こんな、ばかばかしい鍛錬なんてよ……。
「――無論、それはあなたもです。勇者『カイト=イセ』」
「…………」
エルフと、モヤシ野郎が、棒切れを持って向かい合う。
クソほどどうでもいい。
どうでもいい、が……。
…………
オレは、目元と鼻を拭い、その場に座り込んだ。
……無論、敵討ちなんか望んじゃ居ねぇ。
だが……
今のオレは、このムカつくエルフが、惨めに負ける姿を見て、留飲を下げてェんだ。
手も足も出ないような、みっともねェ結果になったら、死ぬまで笑ってやるからな、モヤシ野郎。




