#11 逃げたくない
魔城に戻った俺は、王の決定に異を唱えたこともあり、近衛兵の進言などから一週間ほどエリスとの接触を禁じられ、与えられている個室に軟禁状態となった。
とはいえ、思うにこれは実際の処罰と言うよりも、俺に罰を与えたことを示して近衛兵たちをなだめるためにグレタ=イーヴリットが気を回していたのだと思う。実態として、監視の近衛兵は俺に好意的な人物であり、四天王(先の一件で魔都に常駐しているエミリアとノア)との面会も度々あった。
「ま、それだけってわけでも無いよ」
櫛でグルーミング中の黒猫が、膝の上で伸びをしながらしゃべった。
いきなり距離感近いよなぁと思ったが、まあ、人間領域の街のじゃれ合いを想えば、今更ではあるか。
「私とエミリアが常駐してるのは、この城内における敵の耳目を潰すため。……あるいは、一部をあえて残し、敵に誤情報を掴ませるため。そのための『大掃除』が、キミを拘留してる間に進んでるの」
「……それ、俺に言っていいのか?この会話だって、盗聴されるんじゃ?」
「ふふ、この部屋の検査は徹底している。君につけた監視の子もシロは確定さ。私たちも、そう何度も同じ轍は踏まないよ。あの忠誠心の高い侍女の裏切りはかなりのイレギュラーだったけど、あのレベルの仕込みはそうそう行えるものじゃない」
「……そうか」
「ほら、手が止まってるよ。首筋梳かして」
「はいはい、仰せのままに」
俺は、首をもたげる黒猫の毛並みに櫛を入れる。
俺がこうして手をこまねいている間にも、状況は進んでいるってことか。
* * *
「……ところで、船に乗って帰還する時、少し気になってたことがあるんだが」
「……ああ、私達と一緒に魔族領域に帰還した猪妖魔の子かい?」
……そう。
俺たちの乗る船には、乗組員の他にひとりの少年がいた。
猪妖魔と言われればそうだったが、見方によっては体格のいい人間にも見えなくないような、そんな少年だった。
そして、心なしか既視感のある姿の彼は、険しい表情で船室でうつむき、ノアやエミリアと会話をしていた。
……彼は、一体何者だったのだろう?
「彼はグルドンド侯爵……人間領域を侵攻した猪妖魔の領主の……息子さ」
「!」
それを聞いて動揺した俺は、つい櫛に力がこもってしまい、膝の上の猫にひと睨みされた。
……ごめん。
「……君も、『族滅』は本意ではないんだろう?『彼』もまた、侯爵の息子だが侵攻計画には加担していない。だが、その血筋を引き、もうじき青年に差し掛かる。あの子を島に置くのは、彼を担ぎ上げ反乱を起こす者が現れるかもしれない。だからあの子は、我々の手元に置くことに決めたのさ」
いくら、あの島民たちが魔王に助命を認められた恩義があるとは言っても、慢性的な不満や功名心は、それを壊すこともあるってことか。
……流石のリアリストだ。
「けど……そうか。ヤツの息子……なのか……」
「……嫡流ではない、というよりも、もっと酷い生い立ちさ。彼の母親は人間領域からさらってきた人間らしくてね。穀倉地帯で働かせる『奴隷』を量産する実験も兼ねて、グルドンドの慰み物にされ、産まれた子が彼というわけさ」
「…………」
……吐き気のする話だ。
この世界には、親の資格の無い見下げ果てた親が、愛されない星の元に生まれた子供が、確かに存在する。
俺の元居た世界にも、そうした不幸が無いとは言わないが、やはりこの世界においてのそれは、俺には到底許容しかねるほどの、目を覆うしかない不幸と言わざるを得ない。
「しばらく彼は、リナの元で剣術と精神鍛錬、礼儀作法を学ばせてから、我々の手勢としてオーク領に派遣するつもりだよ」
「……仮にも、親の仇である四天王に、素直に従うのか?」
「……従わなければ処断することになる。残酷なようだけど、陛下といえども無制限に温情を与えられるわけではない。責任能力を持った大人になってもまだ剣を向けるなら、彼もまた『勇者』として扱うまでさ」
――「勇者」。
魔族領域におけるこの言葉は、人間領域の持つ英雄のそれとはニュアンスが異なる。
つまるところ「蛮勇で魔王に歯向かう愚か者」という意味合いと言うべきか、人間領域の勇者に対する皮肉も込めて、ネガティブな意味合いも含むものだ。
だが同時に、グレタの配下の語るそれは、単なる侮蔑ではなく、文字通り「勇気のある者」をさすようなニュアンスも感じる。
それは、自分たちの行いが必ずしも全面的に正しいと思っていない、力によって保証されたものであるからこそ、「勇気を持って立ち向かう存在」へのリスペクトも感じているのだろう。
「グルドンド家は逆賊として取り潰しの扱いとするが、頃合いを見てあの子を当主に再興を、そして遺族を本土に迎え入れることを赦そうということだ。それを奇貨に、陛下は彼を配下にして、後釜のアイベリク家に睨みをきかせるつもりだろうね」
「……でも、傍流ってことは、元の親族との関係も厳しいんじゃないのか」
「ああ、正直なところ彼は、本家とも……さらに言えば『母親』とさえ、関係は良好ではない。だから、交渉のカードにするにはいささか弱い。陛下すらも、彼の沙汰を決めあぐねてるのが本心さ」
「…………」
「けれど、安易な誅滅に頼らず、遺恨を飲み込むっていうのは、そういう事なの。私たちは、答えのない暗闇を手探りで進み、減らしきれない不確定要素に怯えながら、全て無駄になるかもしれない諦念を振り切って、それでも歩いていかなきゃならない。……ちょっとはその気苦労も、わかってもらえたかな?」
「……ああ、頑張ってるよ。ノアも、グレタ陛下も、さ」
「よろしい、じゃあ逆側も梳かしなさい」
ノアは、その長い首を逆側にもたげた。
* * *
「……何やってんの、アンタたち」
「んー、毛繕い」
部屋に入って来た青肌美人は、伸びをしながら背中を梳かれているノアを見て、呆れた表情だ。
「……すっかり骨抜きじゃない」
「へへっ、骨抜きになってるのは、この子の方さ。ほら、お腹吸いたいかい?」
「セクハラになるんで遠慮しておきます」
俺は、彼女の両脇に手を差し込むように持ち上げて、エミリアに渡した。
「きゃっ……」
目の前の猫から黄色い声が漏れて、こっちも妙に恥ずかしくなった。
……猫状態の乳って、お腹のあたりだよな?
いや、複数あるんだっけ?ちょっと、どこら辺が、ライン越えかわからないぞ。
というか、猫状態でも外聞を気にするなら、まず服を着るべきじゃねぇかな……。
なんにせよ、お腹側に手を差し込むのは、今後やめた方がいいか。
「……エリスとの面会許可も下りたわ。ただし、四天王も同席の上でね」
「そうか。……最近、エリスは元気にしてる?」
エミリアは、ため息をついた。
「会うたびに聞くわね……十分元気よ。同じように『勇者様は大丈夫ですか?』って毎日聞かれてるわよ」
実家に集まる親戚のおじさんみたいになってたな。
……とはいえ、様子が見れないと不安になるのは本心だ。あの子だって、サフィと面識があったわけで、族滅偽装に際しては俺と同じようにショックを受ける所はあっただろう。
だからこそ、今も元気でいてくれるなら、こちらとしても一安心だ。
「ま、そうね。ちゃんと『裸のノアと楽しそうにスキンシップしてた』って伝えておくわ」
おやめください、閣下。
* * *
その日の夕食。
おおよそ一週間ぶりに会うエリスは、顔色も特に問題なく、俺を見て明るい表情を浮かべていた。エミリアの意地悪は実行されていなかったようで、一安心である。
やがて、食卓についた俺たち。
隣にはノアが、向かいにはエミリアとエリスが着席した。
一番奥の魔王の席は……空席だ。
「此度の一件について、近衛兵の長に話を通してるみたいで、今日のお食事は一人でとられるそうよ」
「……そうか」
……別に、これまで毎晩、魔王と食事をとっていたわけではないが、望む時に顔を合わせられないのは、もどかしいものだ。
彼女の真意を知った今、あの日の出来事について、面と向かって謝ることはできずとも、気持ちの整理がついたと示して、肩の荷を下ろしてやりたい気持ちはあった。
……逆に言えば、そうした態度の軟化を、まだいるかもしれない内通者の前で見せるわけにはいかないからこそ、俺と会うことを避けているということなのかもしれないが。
俺たちは、一通りの挨拶と雑談をしたのち、人事が一新されたメイドたちの手で運ばれてきた料理を口に運ぶ。
……正直、たどたどしく不慣れな面も垣間見える彼女たちは、古株の侍女長が島流しになったことで、繰上り式に今の仕事に就いたということなのだろう。きっと、城内の混乱に気持ちが追い付いていないのだ。
――俺は、戸惑う彼女たちに軽く会釈をした。
客人って言っても、所詮ボンクラ学生なんだから、あんまり気取った扱いをされても、こっちも困ってしまう。
そんな俺の振る舞いを見た彼女たちは、その場で深々とお辞儀をして、俺たちの使い終えた食器を載せた盆を手に、その場を去って行った。
……本当に、短い間に色々あった。考えるべきことはあまりにも多い。
けれど、俺も、エリスも「これから」を見据えて、どう動くべきか、しっかりと決めていかなければならないだろう。
正しい答えなんてどこにもないかもしれない。
先の見えない濃霧の中を進むようなものかもしれない。
――それでも、自分はやはり「勇者」としてこの世界に来たのだから。
魔王の城にやって来た勇者に「逃げる」選択肢など、ありはしないのだ。




