#10 青い空と海のはざまで
――機能凍結薬。
死体が目を覚ましたカラクリは、エミリアの開発したこの秘薬の作用によるものだ。これを経口摂取した者は、身体の代謝が止まり仮死状態に至る。
現世においては、テトロドトキシンを使用した仮死薬に「ゾンビパウダー」と呼ばれるものがあると、サブカル知識で見聞きした記憶がある。こちらは酸欠により脳機能を喪失させて奴隷として使役する、文字通り「ゾンビを作る秘薬」と言うべき危険なものであり、それは不可逆の破壊を伴う物だ。
対して、機能凍結薬の作用は「全身の機能を保持する」という「保存」を意図したものであり、正しく蘇生措置を行うことで、重大な障害を与えることなく、もとの状態に復元が出来る。
「……悪かったわね、カイト。城に着いた時点で連絡は受けていたのだけれど、他に間者がいる可能性も否定できないし、言う機会がなかったの。……魔王様にも、直前まで伏せるよう言伝されていたからね」
エミリアはそう言って、目を覚ました者に陶器のグラスを渡し、水を飲ませていた。
この秘薬については、解毒薬か「日光」により分解される。かくして、魔王の用意した「毒」により族滅させられた者たちは、船室に差し込む日の光を受け、目を覚ました。
水分補給を終えて意識を取り戻した彼らは、ノアの命を受けて、自身の込められていた空の棺に重りを入れて、海に沈めて行った。
……そうか。ここにいる者たちの「死」を偽装するために、俺たちはあの場面に立ち会うことになったのか。
「……彼らを『生かしておけない』のは実際のところさ。だから、こうして面倒な偽装の上で『死んだ』ことにしなくてはならない。王の『寛大さ』を『甘さ』と見る者は、決して少なくないのだからね」
獣王ノアの眼前には、船の甲板に頭をこすりつける青魔族の壮年メイド。
彼女は、俺の手の中で仮死状態に至った少年の近親者のようだ。少年は、隣で困惑しながらも、同じようにノアに頭を下げた。
「……いくら近親者を人質に取られていたとは言え、キミの犯した罪も、本来は死罪に値する。助命は魔族領域の未来を担う、その子に免じて、さ。……母を失った子が、国の敵に回るのは、忍びないからね。これからはその子に、陛下の偉大さと寛大さ、恐ろしさを……しっかり教えて育てることだね」
「はいっ……陛下への大恩は、生涯……っ!」
揺れる声で感謝を述べ、涙を流す女性に、ノアは気まずげに頭をかきながら告げた。
「……その子は若い。成人して人相が変われば、再び魔都に戻すことも考えている。キミ自身が戻れるかどうかは、まあ、『ヤツら』と内通したキミにはわかっているだろう?」
ノアは、船の向かう先に視線を移した。
空に浮かぶ「欠けていない太陽」。水平線に浮かぶ黄金色の島と、舗装された港。
「……天にでも祈ることだね」
――そこは既に「魔族領域の外」だった。
* * *
その島は、流刑地だった。
魔王に歯向かい、表向きには死を賜った臣下や民を送る地。
……だが、その環境は、決して過酷なものではないが、楽園でもないようだ。船から降りた者たちに、現地の管理を行っている特命の臣下と思しき者が、状況を説明している。
曰く、この地は「魔族領域外の耕作実験場」とのこと。遠くから島の中腹に見えた、黄金色に輝いて見えていた景色は、小麦の栽培をやっている農地だったようで、農村出身部のエリスも遠景でそれを察していたらしい。
これは、魔族領域の大願である「蝕からの解放」のため、その後に行われる農業改革に向けた研究開発でもあり、それを彼らが担っているということでもある。
彼らはこの地で自給自足を行うらしい。定期的に視察や嗜好品の配給はするらしいが、王に対する反逆を防ぐため、島外に出るまでは私有財産の所持は禁じられており、作物の収益の大部分は、彼らの生活を維持するための物を残し、国に接収される。
「……気の毒ではあるけど、ここは抑留先だからね。何でもありにしたら、それこそ示しがつかないのさ」
「…………」
船上から人々を眺めながら、ノアは語る。
「私たちの『敵』を倒し、日の光の射す魔族領域に至ることが叶えば、その時ようやく彼らはその罪を放免され、魔界の食糧事情を救った救国の英雄として、その名誉を回復できる。積み立てた財を還元する準備もある。……そうは言っても、この地で生涯を終える者もいるから、幸せな一生とは行かないかもだけれどね」
彼らは死ななかった。
だが、相応の苦難を伴う人生を送ることになる。
俺の願うような気楽な帰結ではないが……それでも。
「……彼らを、救おうとしてるんだな。グレタ魔王は」
「ああ。陛下にはそれをできる『強さ』があるからね。彼らの死を偽装して『敵』から護り、これを除いて再び本土で平穏な暮らしを送らせてやる。……『そうしなきゃいけない』と、彼女は思っているのさ」
「…………」
ノアは、ふうっとため息をつく。
「……あの方の内面は、キミとそっくりなんだよ。自分が力を持つ以上、それをもって他者を救わなければならないと、そう思っている。だから、本来はやりたくない『魔王』なんて役割を……演じ続けているの」
「…………」
「……実際のところね。私はキミの軽蔑する『族滅』を、できてしまう手合いさ。私は貧民街の生まれだ。キミみたいに『子供』に幻想は持ってない」
「…………」
「動乱期には、生き残るために同じ年頃の子供も殺していたし、罪のない大人が、クソガキの悪ふざけで弄ばれて殺される場面だって見てきた。少年兵として戦争の駒にされ、順応したまま大人になり、暴力と悪意を次代に相続させていった者たちも……」
……胸に、トゲのような物が刺さる感覚。
俺の見識の甘さを、現実からの逃避を、突きつけられるような。
「だから、ハッキリ言って、私はあそこの裏切者たちを信用なんてしちゃいない。殺してしまった方が、一族郎党を根絶やしにした方が、私の大切な……グレタ様や、部下の生存を脅かされずに済むって、許されるのならそうしたいと思っているよ」
「…………」
「それでも、彼女はそんなことを求めない。誇りのために険しい道を歩いていくのが、あのお方だ。そんな少女みたいな理想が、私を魔族にしてくれたんだ。だから……私は、この命を懸けてでも、グレタ様の理想のために働く、その覚悟だよ」
ノアのオレンジの瞳は、遠ざかっていく島を見つめていた。
そこに一切の迷いはなく、ただ、現実を現実と受け止め、前に進んでいくために。
「……アンタの敬愛する陛下について、何も知らないのに、口汚く罵って、すまなかった」
「それすらも、陛下の覚悟の内さ。私も彼女も自分の役割を演じただけ。理解さえしてくれりゃ、別に怒ったりはしないよ」
やがて、呆れたような表情でこちらを見て、続けた。
「……むしろ、王城に帰ってから、兵のいる前で不自然に謝ったりしないでくれよ?せっかくの小芝居の意味が、無に帰る」
そう、この謝罪は、彼女に向けることはできない。
心を鬼にして「恐ろしい魔王」を演じた、彼女の思いを無駄にすることは、誰も幸せにしない。
――だが、それでも、俺の真意を知っておくべき者はいる。
「……だから、ここで言うんだよ。何の力も無くて、あの子たちを救えなかった俺と違って、グレタ=イーヴリットは、魔王として、魔族として、救うべき命を見捨てることはなかった。立派な王様だって、アンタには伝えておかなきゃって思った」
「……そ。じゃ、魔王様の代わりに覚えておくよ」
彼女は、俺に背を向けて、船室に向かっていった。
「……【獣王】ノア=タンジェリン」
名前を呼ばれた彼女は、俺を振り向いた。
「なに?」
「……うまく言えないんだけど、俺は、アンタだって、自分で言うほど『悪いヤツ』なんかじゃないって、そう思うよ」
「……はぁ?」
彼女は、馬鹿にするような目で、俺を振り向いた。
「さっきも言っただろう?私はね、魔王様のためだったら、彼女の意に反するような、人道にもとる殺しだろうと……」
「それでも、彼女に許されないような非道な行動は取らないって心に決めて、それを守ってるんだろ?……それならアンタは、ちゃんと正しく生きてるってことじゃないか」
「…………」
ノアは沈黙する。
自分の中の何かに、気が付いたように。
「……確かに、俺みたいな甘ちゃんは、アンタの過去を直視したら、自分の恵まれた境遇を棚に上げて、安い良識でアンタを責めてしまうかもしれない。それでも、だからこそ、『魔族になった』今も、見たくない過去に向き合って、苦しみながら、人を助けて生きている……そんなアンタも、立派な人間だって、俺はそう思う」
「…………」
「だからさ、アンタもやっぱり……黒蝕の魔王の臣下に相応しい『王』だって……きっと、グレタ陛下も、そう考えてるんじゃないかな」
ノアは、ぷいと後ろを向いて、歩き出した。
「……知ったような口聞いちゃって、さ」
「……ああ、他人の事情を知ったかぶりは良くないよな。だから……これからもっと知っていければと思ってる。よろしく頼むよ、ノア」
「ふん」
彼女は、右手をひらひらと振りながら、その姿を猫に変え、暗い船室に消えて行った。
* * *
……遠くから、勇者カイトとノアのやり取りを見ていた私たちは、ただただ戦慄していた。
「と、とんでもない女誑しね……。ノアまで落としに行ったわよ?」
「そんな、勇者様はそんな見境の無い方では……」
顔を真っ赤にしてるのを誤魔化すように猫に変身したノアを見てたら、本当にアイツが無自覚でやってるのか、疑念が深まったわよ……。
「……サフィの件はまあ、子供を喜ばせたかっただけで納得したけど。こんな風に思わせぶりなことばっかり言ってると、その内アイツ、女に刺されるわよ?」
「…………」
この子も、あの男の女への振る舞いに心当たりがあるように、黙ってしまった。……一緒に旅してたなら、私よりそう言う場面を見る機会多かっただろうしね。
あの男、「他人は正面から褒めなきゃ」って考えをすぐ行動に移す所あるから、自分の行いに引け目を持った状況に居る女の心に、ぬるりと入ってくるのよね……。天然の女たらしだわ。
その内、アンナや、リナまで口説きにかかるんじゃないかしらね。……って、そういや既にリナからは遺跡で刺されてたんだったっけ。
それが「先払い」にならないことを祈りましょう。
「……エミリア様も、その、ドキドキしてたんですか?」
「…………」
……魔王様のアレを思い出すから、気まずくなること聞かないで欲しいわ。




