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#9 族滅

 俺は、動かなくなった子供の体を離し、そっと、床に、置いた。


 沸き起こる激情。

 血液が沸騰するほどに、収まりのつかない、怒り。


「……ふざけんなッ!」


 魔王に駆け寄る俺に、瞬時に間合いを詰めた獣王は、俺の肩に手を添えて、その力の方向を反らす。

 バランスを崩した俺は床に倒れ込み、獣王はその腕を後ろで固めた。


 魔王が、一歩、また一歩と、俺に歩み寄る。

 俺は、頭を上げ、その女の靴を、睨みつけた。


 俺の中にあった感情は、魔王の魔力への怯えでも、使命に対する共感でも、魔族領域の君主への敬意でもない。

 未来ある若い子供から、その可能性を奪い去る、鬼畜の所業に対する……怒りだけだった。


「……この者たちは、魔族領域を混乱に陥れる『敵』を利するために、我々の機密情報を盗聴して情報を漏洩した。君主として、これを誅するは必定」


 俺は歯ぎしりをしながら、魔王の靴を睨む。


「……子供が、そんなこと、わかって協力してたってのか?」


「…………」


「わかるわけねェだろ……!ガキに、そんな、事の重さが!それなのに、酌量も与えず皆殺し?……いくら軍事作戦だろうと、やっていいことと……悪いことがあるだろうがよッ!」







「……遺恨を断つためだ」


「あ?」


 魔王は、俺の前にしゃがみ込んで、俺の目を冷たく見下ろす。


「この子らの死は、必ずしも当人の罪ではない。親の連座として死を給うた者も居る」


「!」


「これから先の長き人生を、余への、ひいては国への憎悪のみを生きる指針とし、民の安寧を脅かすことでしか、自身の存在を肯定できない。そんな復讐鬼を作り出すことが、貴殿にとって『正しい行い』というのか?」


「ざけんな……当人に罪が無いなら、なおのこと、殺していいワケがねェだろ!利口な理屈を並べてガキを殺すのを正当化してんじゃねぇよ……この、外道がッ!」


「そうか」




「……ならば、魔都滞在中に出会った子供は、その『正当な』復讐に巻き込まれて、殺されても構わないと?」


「!」


「貴殿も、城下で暮らす者たちの平穏な営みをその目で見たはずだ。かつて自分の暮らしていた世界にも近い、安寧な世界の営みを。復讐者は、余に力及ばぬと知れば、無辜の民を狙うだろう。……貴殿は、それを看過するのか?」


「…………」


「……余は、それを看過しない。民の安寧のためならば、殺すべきものは慈悲なく殺す。たとえ非道と蔑まれようとも。……余は博愛を説く思想家ではない、『魔王』なのだから」


 俺は、ただ、憎しみのこもった視線を、奴に投げかけることしかできなかった。


 ――奴は間違っている。それは確かなことだ。

 だが、俺は、見ず知らずの子供を守るために、昨日再会した「サフィの死」を許容できるか?


 ……そうはならない。

 自分のことだからこそ、よくわかっている。


 命は何よりも重い。だが、事実としてこれは天秤に載せられる存在だ。

 その秤は、英雄的に振舞う者に、「無辜の人々」と「愛する人々」のどちらかを取らなくてはならない場面を作り出すことが、少なからずある。

 ……そう、あるのだ。



 魔王は、俺に背を向け、部屋の外へと向かっていった。

 入れ替わるように、棺を抱えた近衛兵たちが部屋に入って来て、骸をその中に収めていく。


「……余も、逆徒と言えども、この者たちの命には憐れみを感じている。中には、『敵』により脅され、選択すらできなかった者も居ることだろう」


「…………」


「……古来より、魔王の臣下の骸は、東の海に、日の光の下に、弔うしきたりとなっている。この者たちの命を憐れむなら……鬼王と獣王と共に、彼らの魂が安らかに眠れるよう、祈るが良い。貴殿に出来るのは、それだけだ」


 獣王が俺の腕を離したが、俺は既に、殺してやりたいほどの怒りを感じた魔王への気持ちを、保つことができなくなっていた。

 俺は……奴の背中を、ただ遠くに眺め、こぶしを強く握り締めるばかりだった。



   * * *



 濃霧の中を船が進む。

 船には数名の乗組員と、俺とエリス、鬼王エミリア、獣王ノア。

 そして……物言わぬ多数の骸たち。


 俺は、棺の置かれた仄暗い船室で、俺の腕の中で息絶えた少年を想う。


 ――やはり俺は、魔王の行いを許すことはできない。

 

 俺の助けたサフィと同じ年頃の、俺の手元で息絶えた青魔族(ブルーデーモン)の子供。

 その命の重さに差などない。もし、あの洞窟で助けた子がこの子だったら、俺は手段を選ばず魔王を殺そうとしただろう。俺が殺されようとかまうことなく、だ。


 ……だが、俺はそうしなかった。

 現実として、俺はサフィの穏やかな生を選んだ。


 今に始まったことではない。

 穀倉地帯で、俺は猪妖魔(オーク)に蹂躙される奴隷の命より、エリスの生存を選んだ。

 穀倉地帯の住人が死なずに済んだのは、四天王の介入があったから。彼らの命は、俺の闘いの成果ではなく、魔族側の都合に助けられたに過ぎない。


 さんざ殺した猪妖魔(オーク)の軍勢についても、一人一人を見れば領内で徴兵され逃げ場の無かった者も居ただろうし、早熟な蜥蜴妖魔(ゴブリン)の兵の中には、成人したばかりの者が混ざっていてもおかしくはなかった。

 俺が彼らを殺した理由は「人間領域に剣を向けたから」であり、双方剣を取った殺し合いではあるものの、見方によっては魔王とさしたる違いはない。


 ……俺は、命の天秤に、護りたいと思った人の命と、見捨てた人々の命を、載せ続けてきたんだ。

 そんな俺が、この魔王の選択を、声高に批難できるのか?


 ――迷いは弱さで、残酷さは強さなのだろうか?

 ――力無き者は、正義を語るのもおこがましいのだろうか?


 ……違う。

 違う、はずなのに。


 俺は、変わることなく続く船室の静寂に、押し潰されそうになっていた。


 昨日までの俺は、魔族領域のためにこれから働くことも、決して悪いことだとは思っていなかった。ようやく、望まぬ殺し合いと無縁の世界に戻れるのではないかと期待していた。


 だが、今の俺の心は、霧の晴れない灰色の迷いの世界の中にあった。

 こんな冷徹な判断を下せてしまう王のために働き、その庇護のもとで安寧を享受することが、果たして本当に正しい道なのか。

 自分の手を汚さず、理想論に過ぎない正義を振りかざして安全圏で物を言う方が、よっぽど浅ましいのではないか?


 彼女の選択の残酷さに失望して去るとしても、人間世界の王もおそらく同じだ。

 封建的な世界において人命は軽く、子供の命だって顧みられることではない。今回のような族滅は、人間領域でも存在するはずだ。きっと、アルフィードにだって。


 見て見ぬふりをしていた、前近代の世界の厳しさが押し寄せてくる。

 考え、もがくほどに、迷いは深まり、脚を取られ、身動きが取れなくなっていく。


 ……あまりにも無常が過ぎる。

 俺は、彼らの、一族をひとまとめにした死が……どうしても、受け入れられない。

 俺は彼らの人生を知らない。だが、俺には子供だった時代が間違いなくあった。


 アツ兄と一緒に居間のテレビで古いRPGを遊んで、俺の名前の「かいと」が死んでアホみたいに怒ったり、アキラの描いたマンガの筋肉パロディで馬鹿笑いしたり。

 休日には、面倒くさがりながら親父の車に乗せられてショッピングモールに行って、おかんにおまけ付きのお菓子をせがんで困らせたり。


 そんな、ありきたりだったけど、忘れたくない、のんきで、しょうもない、社会のつらさを知らないワガママ小僧だった頃の記憶。

 それは、この世界からすると、あまりにも甘ったれた、守られる子供としての思い出。


 ……でも、俺は、この世界の子供たちにも、そう言う思い出をもって、平穏に生きて欲しかったんだよ。

 だってさ……間違いなく「生きてる」んだ。この世界の、人間も、魔族も。


 だったら、俺だけが懐かしさを感じられる記憶じゃなくて、皆が「しょうもないなぁ」と笑える思い出を持って大人になれるような、そう言う世界であって欲しいって、そう思うだろ……。


 でも、その願いは、今、この暗い船室からは、あまりに遠い。




 ――俺は、これから、どこに行けばいい?











「――青空が見えたね」


「――じゃあ、そろそろかしら」


 ……船室の外から、獣王と鬼王の会話が聞こえる。

 水葬……この棺桶を水に沈める頃合いがやって来たのだろう。


 別れの時。

 故人の冥福の祈願。


 彼らに、俺からやってやれることは、それぐらいのはずだ。


「勇者様」


 ――エリスが、俺に話しかけた。


「……その、水を運ぶので、手伝って頂けますか?」


 ――水?


 棺桶の中に注いで、空気を抜いて沈みやすくするのだろうか。

 ……気は進まないが、それでも、故人の安らかな眠りのためだ。


 俺は、その場で立ち上がり、周囲を――







 俺は、腰を抜かしそうになった。

 棺桶の中から一人、半身を起こしている者がいた。


 魔王は「毒によって死を賜うた」と言っていた。

 まさか、体質的に毒の効かなかった者が――?


 だが、船室に「日の光」が差した瞬間、俺の見た光景は「それは違う」と告げた。

 棺の中、日の光を受けたいくつかの死体は、ゆっくりと目を覚まし、僅かに指を動かしていた。


 そして、俺の膝元の棺の少年もまた、「日の光」を受けて、その目蓋を、ゆっくりと開いていった。




 ――そこに、死人は、居なかったのである。



 


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