#52 さよなら、アルフィード
「おい、カイト」
聞き覚えのある声に、俺は目を覚ました。
眼の前いっぱいに広がる青空と、流れる白い雲。
顔の横には黄色く輝く草むらが揺れ、青い香りで鼻孔をくすぐる。
「何やってんだ、お前、こんなところで……」
年季の入った女性用の無骨な鎧に、後ろで結った彩度の低いブロンド髪が風に揺れる。背中に抱えた大きめの剣は、彼女の職能が重戦士であることを物語る。
「人を待たせておいて草原でお昼寝とは、良い御身分ねぇ」
ウェーブのかかった赤みがかった茶色の髪、紫のローブと三角帽子の、いかにもな魔法使い。青い宝石のついた杖で肩をトントンと叩きながら、彼女は鼻で笑ってみせる。
「こんな青空の下で……主にも筒抜けでしょうに、過ぎたる怠惰は悪徳ですよ?」
ライトブラウンのストレートヘアー。丈の長い白い修道服に、真ん中が円形に開いた十字のシンボルの金刺繍。同じ意匠の杖を持った僧兵は、俺の方をじっとりと、呆れを含んだ目で見つめていた。
俺は、半身を起こして彼女たちを見た。背中に張り付いた細長い草の切れ端を落としながら、俺はあたりを見渡した。
広がる草原の小高い丘。なるほど、こんな場所で昼寝したら気持ちもいいよな。歳が歳なら、新聞紙を尻に敷いて、大はしゃぎで滑って遊んでいたことだろう。
「……ったく、私ら呼び出したのは、お前の方だろうによ」
「…………」
「英雄技能の話だよ。これからどう使ってくか、戦略会議しようって話だろうが」
「たしか【ハーレムバフ】と【ランク反転】、【無自覚最強】……だっけ?なんというか、悪趣味よねぇ……」
「……主の決めたことです。きっと、深い考えがお有りに決まっています」
「……正直、言いたくないって気持ちもわかるぜ、これは」
「…………」
「でも、使い道としては強いじゃない?ハーレム……は置いておいて、相互信頼で能力が強化されるなら、少なくとも私達の力は一定保証されるわけだし」
「級位の反転は、国に融通してもらって最低ランクを維持するように通達するべきでしょうかね」
「知名度の方は……まあ、私達に功績を差し出せば解決ね。どんどん貢ぎなさい?」
「……おい、話は全員集まってからでいいだろ。私らだけで勝手に話進めてたら、あいつもスネちまうぜ?」
「……ま、そうね。じゃあ、そろそろ宿もとれた頃だろうし、そろそろ行きましょっか」
「ええ。カイトさんも、行きますよ……?」
「…………」
「カイト?」
俺は立ち上がり、彼女たちに背を向けた。
草原の小高い丘の向こう。
そこには、「黒い太陽」が登り、雷雨に包まれた荒野と岩山が広がる。
「カイト」
「……ごめん、俺は行けない」
「…………」
「待たせてるんだ。あの子を……この、向こう側に」
「…………」
俺たちの間に、しばしの沈黙が流れた。
「なんというか……人生って思い通りに行かないもんだよな。現世の俺も、ささやかだけど、そういう失敗が積み重なって、『上手くいかないこと』が当然というか、逆にうまく行かない現実が続くとさ、変に安心するところもあったんだ」
「……それでも、自分の人生なんだから、やっぱり上手くいって欲しいっていうのが本心でさ。周囲の凄いやつを見て焦ったり、足りないながらも、自分なりに頑張って……」
「……それでも、どこかで間違えて……うまく行かなくなって、何もかもから逃げたくなって……。あの日、あの時に、ああしてれば、って……ずっと考えてた。もう一度、やり直せるならって」
「でも……やっぱり違うんだよな。そりゃ、失敗したいわけじゃねぇけどさ。でも、たとえ失敗したとしても、俺は、俺の生きてきた人生の、『その先』が見たいんだ」
「仲の良かったヤツと喧嘩別れするかもしれないし……、意外なヤツと友達になれたりするかもな。好きなことをやっても結果は残せないかもだし……、けど案外、自分が嫌ってたものにこそ、適性があったりもするのかも……」
「現世の続きはもう見れないけどさ。せっかく女神サマに、この世界での人生を融通してもらったわけだし、な。……もう、投げ出すわけには行かないって、そう思うんだ」
「……辛いぜ?」
「わかってる。……でも、あの子が、待ってくれてるから」
「そうか」
「…………」
俺は、少しだけ振り返った。
……その草原に、三人はもう居ない。
やはり、少し寂しいのは本心だ。
「……まあ、さ。出来れば……って感じにはなるけど……」
俺は再び、暗い世界に向き直り、歩き出した。
「みんなにも、もう一度会えればとは思うからさ……。今度こそ、もっと、がんばるよ」
* * *
目を覚ました俺の前には、天井があった。
……まあ、屋内で目を覚ましたら天井だよな。現実問題として、草原でお昼寝なんてしねぇよ。
……えっと、ゴシック建築?バロックだったかな?
建築様式は詳しくないけれど……、荘厳で豪華な、幾何学模様の壁紙とか、彫刻とかがあしらわれた梁とか、兎にも角にも、物理的にも値段的にも「高そう」な、その天井は、俺が普段寝泊まりする安宿のそれとは違う、巨大な建造物の中にいることを、雄弁に語っていた。
……ともあれ、兎にも角にも、まず現状把握だ。
俺を「魔族領域の都まで連れて行く」って話をしていたのは覚えている。
魔族の都。そして、この異様にスケールの大きな建造物。
となると、ここはおそらく……
「……魔王城?」
「そう。魔王陛下の居城『蝕の魔城』さ」
「!」
音もなく現れ、俺に声をかけた存在。
それは、椅子の上で胡坐をかく、黒い猫の耳としっぽを生やした、オレンジの瞳の少女だった。




