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#51 がんばって生きよう

 勇者様からは、私が不安に思っていた「お勤め」の強要などはされることもなく、おおよそ半月ほどの時が流れた。この世界での暮らしも慣れて来た勇者様は、いよいよ冒険の準備に動き出すという。

 彼は決して「完璧な人間」ではなく、人間としての弱さや、それを恥じる心と、それでも自分を強く見せて周囲を安心させようという気持ちの強い、「大人しいけど責任感の強い人」だった。


 冒険に向けて、勇者様がまず最初に着手したのは、魔法技師免許試験だった。これは、魔法に関わる技能を国が公認するもので、上位は戦闘魔術も含まれている。

 しかし、冒険者の魔法の利用に際しては、これを自分から取得する者は少ないと伝えた。報告を聞いていた王宮の官僚からの又聞きではあったけれど。

 彼は「それでもいい」と話した。一通り冒険に関わる技能に関する適性を測りたいということだった。これは、後々知った彼の英雄技能を踏まえると、技能習得のために必要な工程だったのだと思う。


 そして彼は王立図書館で本を借り、一週間余りの勉強でF等級の資格を取得した。驚く私に「この世界の文字の読み書きは、女神に融通してもらえたから、簡単な勉強でも何とかなった」「読み書きから勉強を頑張ってる人と比べれば、ズルみたいなもの」と、恥ずかしそうに話した。あくまでも「自分の力ではない」と、彼は言う。


 けれど、彼に簡単に「初等魔導入門」を読み聞かせてもらったのだけれど、正直私には何が何だか分からない部分も多かった。

 彼曰く「元の世界での『算数』『数学』『物理』『化学』の勉強で応用できるような物があった」という。彼の住んでいた異世界の初等教育を受けていれば、決して難しいものではなかった、と。


 ……かつて私は、王宮の勤めで役に立てられないかと、使用人向けの自主学習用の書架で、家政魔法の勉強をしたこともあった。けれど、それは実を結ぶことはなかった。

 そこに、私と彼の生まれの差を感じさせて、少なからず惨めさを感じていた。


 後日、国に促される形で大母聖教会の簡易洗礼を受けたその日、彼は王立図書館への入場許可の申請と、ペンと紙、インクを売っている店を訪ねた。きっと、これから必要になるものなのだろうと、私は彼を案内をした。


 数日後、彼の居室を訪れた私は、何かが書き込まれた羊皮紙の束を渡された。


「これは……」


「うん、この世界の数学とか物理について、簡単にだけど調べて……勉強に必要になる情報をまとめてみたよ。もしかしたら、エリスが家政魔法を学ぶ助けになるかもしれないから……」


「えっ……」


「ただ、俺も弟にちょっと勉強教えたことあるぐらいで、先生をやったことあるわけじゃないし、一から十まで全部は時間がかかると思うから、付け焼刃にはなっちゃうけど……」


 私は手元の羊皮紙の束を見る。

 そこには、数字と記号が、注釈とともに書き込まれていた。


「調べた感じ家政魔法は、四則演算とか、方程式とか体積みたいな、小中学校の算数や数学……俺のいた世界の初等の学問所の算術が直感的に理解できれば、発動はできると思う。見た感じ、水源魔法(アクエリアス)辺りは、詠唱で手続きは完結してるし、体積計算以上の精密なコントロールも必要なさそうだから、最初に着手するには良いんじゃないかな……って」


「…………」


「解からないことがあれば、聞いてくれば答えるから……」


「……どうして、ですか?」


 私の疑問に、彼は「あっ」と慌てた顔をする。


「ああ、いや……その、こっちの世界に来てから、ずっとお世話になってるから、何も返さないのも申し訳ないというか、お返しに……って。……余計なお世話だったかな」


「い、いえ。ありがとうございます……」


 私は、手渡された紙の束を見る。

 赤と黒のインクで書かれた説明。

 犬?のような笑顔の動物が、モクモクとした雲のような枠の中で、計算の方法を説明をしているような、そんな絵が書き添えられていた。


「……これは?」


「あっ……マンガとかないから、フキダシって逆にわかり辛かったか……。その、俺の世界の娯楽書物の表現でさ。この尻尾付きのモクモクは、コイツがしゃべってるって意味で……」


「な、なるほど……」


「……俺の弟がさ。絵が上手くて、これを書く仕事に就こうって頑張ってたんだけどね。小さい頃にさ、対抗心燃やして真似したこととかあって……あっ、ちょっと恥ずかしいな。……消していい?」


「い、いえっ!」


 思わず、私は手を伸ばす彼から遠ざけるように、その紙を引き寄せた。


「と、とても、その、かわいらしいと思います……」


「そ、そうかな……」


「はい、私は好きです。この……ワンちゃん」


「……ネコのつもりだったんだけどね」


 彼は恥ずかしそうな顔で笑っていた。



   * * *



 勇者様は、旅の準備の合間に、私に読み書きや算術について、その効率的な勉強法などについても教えてくれた。ついには、家政魔法が使えるようになったと聞いて、とても喜んでくれた。

 彼は度々「教えるのも、絵を描くのも、下手だけど……」と自嘲していた。話を聞くと、異世界の兄弟はもっとすごい人たちだったから、ということだ。

 それを話す彼の表情には、負い目を感じさせる所があり、同時に誇らしげでもあり、なにより……寂しそうだった。


 けれど、私にとって、彼から教わる勉学はとても分かりやすく、何より「私に伝わるように書こう」としてくれている、彼の優しさが伝わってきた。

 私は、他ならぬ彼に、これからも多くを教わりたいと、そう考えていた。


 彼にとって、私に勉学を教えるのは、自身の力への引け目によるのかもしれない。けれど、それでも私にとって彼の行動は、打算の無い善意によるものであり、私の成長を本心から喜んでくれる、その気持ちがとても嬉しかった。



   * * *



 ある日、彼が級位取得のため体験入門したという道場の近くで、傷だらけで自分の体に治癒魔法をかけている所に遭遇した。

 その姿を見た私は、周辺で聞き取りを行い、彼が「軟弱者の黒髪異人」などと、様々な道場で悪し様に言われていると知ることになった。


 これは、勇者を初代国王として戴くアルフィードにおいては大罪だと、王の権威をもって道場に抗議すべきだと、私は憤慨した。

 けれど、彼は「やめてくれ」と、断固拒否した。


 彼曰く、自分は女神の力で能力を底上げされている。

 自分より頑張っている人たちがいるのに、そんなズルをする自分が、権力まで振りかざすのは、あまりにも見苦しい、と。


 もちろん、勝手に私が噴き上がって彼の居心地を悪くするのは、本意ではない。

 私は、彼の気持ちを尊重したが、それでもやはり納得できなかった。


 その後、私は彼の「級位の反転」の力を知ることになるのだけれど、それでも私は、この仕打ちは許せるものではないと思っている。

 自分たちの平穏な毎日のために戦いに臨もうとしている彼を、蔑んでいい資格が、彼の力に頼ろうとしている私たちに、あるはずはない。


 彼がどれだけ「がんばっている」のか、誰も知らないくせに、と……。

 それは、彼がいくら自分の力を「ズル」と見たとしても、変わらなかった。



   * * *



 彼は「弟」のようでもあり、「兄」のようでもある、不思議な人だった。


 彼は、自分の住んでいた世界を「甘い世界」と自嘲するけれど、私にとってはその世界は「やさしさ」に溢れていたと、そう感じた。


 もっとも、彼の見てきた「現世」は楽園というわけでもなく、きっと「あの絵本」と同じ「私の中の理想化された世界」ではあるんだと思う。彼のやって来た「異世界」においても、辛いことや悩むことは、たくさんあるのだろう。


 それでも、私は、彼の住んでいた世界が、そこで育まれた彼の感性が、やさしさが、穴だらけになっていた私の心の中に、染み込んでくるように感じた。


 そして、いつしか、私が彼のことを「勇者様」と呼ぶときの気持ちは、絵本で見たあの「勇者様」と同じものになっていた。


 この人は、私の憧れた「勇者様」なんだと、静かに、確信した。



   * * *



 私の任期は、彼の王都滞在中であり、彼の冒険が始まっては私は彼と離れることになる。そのことは、とても寂しく、同時にとても心配なことでもあった。


 彼は、そのやさしさと同時に、自分が「恵まれてしまったこと」を罰する方向に進みがちであり、放っておけば他人の敵意や嫉妬心に押しつぶされてしまいそうな、そんな危うさが感じられた。

 私は、王都で彼から貰ったものを何も返せていないと、もっと彼の旅の役に立ちたいと、そう願っていた。


 だから私は、自身の能力や彼からの信頼を売り込むように、冒険への同行の許可を侍女長に頼み込んだ。大急ぎで習得した連絡魔法(テレパス)をその交渉材料として。

 第一王弟派の人々が、連絡役や補助的な人員を必要としていたこと、加えて「勇者」という存在を自陣営に縛るための「繋がり」を求めていたこと。そうした利害もあって、私は王宮から承認を得て、彼との旅に同行する認可を得た。


 この時、ようやく私は、広い世界に歩んでいくための「選択肢」と対面したのだと思う。そして、自分の望む道を、自分の意思で手に入れた。


 姉のように、その選択肢に巡り合うことも難しい境遇はあったのかもしれない。私の未来は「王宮への奉公」「カイトさんとの出会い」という機会に恵まれたことで、ようやく開けたものだ。


 けれど、人は自分の人生を生きる以上、誰しもが幸せになることを望むはず。

 そこで自分の恵まれた幸運を「ズル」と断じてしまうのは、やっぱり違うと思う。


 だから、私は自分の行動を「ズル」とは言わない。

 私は……カイトさんのがんばりを「ズル」だなんて、否定したくないから。




   * * *




 俺は、エリスに抱きしめられながら、彼女の半生を、俺と出会ってからの日々を、黙って聞いていた。

 決して言いたくないこともあったであろう、彼女の「これまで」を。


 しばしの沈黙の後、エリスは、再び言葉を続けた。


「あなたは、自分の力を『ズル』と言うけれど……人に与えられた才能も、機会も、平等な事って少なくて……」


「でも、その才能を、自分のためだけじゃなく、他人も幸せに、安心して過ごせるようにするために使おうとしてて。時に誰かから責められたり、自分を苦しめたりしながら……それでも真っ直ぐに目標に進むことは……『がんばってる』って言っても、いいじゃないですか」


「…………」


「私は知ってます。あなたが、誰よりもがんばってきた人だってことを」


「そんなあなたに『勇気を与えられた』から、私は旅に出られた。自分の意思で、自分の未来を『選択』できた」


「だから、あなたは私にとっての『勇者様』で……私は『勇者様を支えるメイド』でありたいんです。あなたの旅が過酷なものになったとしても、より健やかで、やさしい日々にたどり着けるように」







「ごめん、エリス……」


「ですから勇者様が謝罪する必要は…………っ?」


 エリスの言葉が止まった。

 俺は……エリスの胸に抱かれながら、情けなく涙を流していた。


「ひどいことを言って……、ごめん。『役立たず』だなんて、本当は……思ってなかったんだ……」


「…………」


「ずっと……助けられてた。これからも、一緒に旅をしたかった。死にそうになった時、助けに来てくれたことも、本当は、すごく、うれしかったんだ……」


「…………」


「ごめん、ごめんよ、エリス……」


「勇者様」


 彼女は、俺の顔に手を当て、じっと瞳を見つめる。


「旅は……まだ続きます。これからも、ずっと……」


 彼女の宝石のような目に、ふたつの月が、俺の情けない泣き顔が、反射していた。


「たとえ行き先が魔族領域であっても、いつだって私は、お供いたします。だから、心配しないで。一緒に、がんばっていきましょう」


 情けない顔で、彼女に再び抱きしめられた俺は、彼女の鼓動をわずかに感じながら、その意識を、まどろませていった。





「私は、勇者様の……最初の仲間(メイド)なんですから――」


 宙に吊るされた牢獄、近くに聞こえる彼女の声。

 理性が形作る尽きない後悔は、頼もしい仲間の抱擁で、仮初の安堵に包まれる。

 やがて俺は、再びその意識を、深い闇の中に沈めて行った。

 


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