#50 エリス=ブライト
私は地方農家の地主の家系に生まれた。
父の妾であった母の産んだ、ブライト家のニ番目の娘で、家督は正妻である奥様との間に生まれた長男が継ぐと度々聞かされていた。
私たち妾の子や下の兄弟は、兄の補佐や家事仕事の手伝いをしながら育っていった。
ブライト家は一帯の農地を所有する地主であり、長男は父の厳格なしつけと教育を受けて、その後継者として生産管理や自治組織の運営など多くのことを叩き込まれていた。
反面で、次男以降は成人したら手に職を付け、家を出ることを期待されていた。兄が病や不慮の事故で命を落とせば、次男がそれを引き継ぐことになるため、読み書きや算術の最低限の教育は受けていたけれど、農地の運営は相続の混乱を避けるため、長男のみに絞っていたのだと思う。
幸いというべきか、母を娶るより前に奥様との間に異母兄は二人おり、跡目を巡る問題は特に見られなかった。
では、なぜ私達の家庭には兄弟姉妹が多かったのか。それは、父が「娘」を必要としていたためだ。
とはいえ、娘に家督を継がせることは慣習的にありえない。私達姉妹は、読み書きや算術などの学問は、男の領域として受けることもなく、炊事や掃除洗濯などの家事の手伝い、下の子の世話などに回された。
幼い頃の私達は、父の買ってきた一冊の「絵本」を、たびたび乳母に読み聞かせられた。「勇者アルフの冒険」と題された物語。
この国の絵本は、貴族の初等教育に使われるもので、本来庶民が持つようなものではない高級品だ。長男以外にも与えられた「贅沢」な娯楽に、私達は夢中になった。
弟達は、アルフィード建国の勇者「アルフ」を見て、力強い軍人に憧れた。国のために戦うんだと、家事の手伝いを終えると皆枝を拾っては剣術ごっこをして遊んでいた。
彼らは、成長に従って、近郊の都市の道場で臥狼一元流を学び、地域の自警団や冒険者として経験を積み、王都への推薦を手に入れるべく汗を流している。
一方で、姉や妹、そして私は、勇者様と結婚した「お姫様」に憧れた。庶民の出の彼女は、おしとやかで、献身的に勇者を支え、彼が国を建ててからは、お妃様として、きらびやかなドレスを着て、幸せに暮らした、と。
* * *
……今思えば、あの絵本は父の「教育」だったのだと思う。その意味がわかるのは、私が思春期に差し掛かった頃。
姉や妹が力仕事をこなす中で、父は突然、私の手伝いから重作業を減らし、言葉遣いや礼儀作法、簡単なものではあるけれど、読み書きも教え始めた。
突然の状況の変化に困惑する私に、奥様の長女である姉は複雑な視線を送っていた。
本来私が行うべき仕事を押し付けてしまった居心地の悪さに、度々姉を手伝おうとしては、「余計なことはしなくていい」と、姉に仕事を取り上げられた。
そんなことを繰り返す中で、両親は私に告げた。
――「アルフィードの王宮に、奉公に出なさい」と。
その晩、混乱して眠れずにいた私に、姉は語り掛けた。
「……エリス、あんたはね、父さんに期待されてるの」
「なんで?姉さんの方が、真面目に、家のために献身的に働いてるのに。お父様だって、それは知ってるはずなのに……」
しばらくの沈黙。そして、再び姉は口を開く。
「父さんは……向上意欲と名誉への渇望の強い人でしょう?」
「えっと……」
「……まあ、エリスは立場的に『うん』とは言いにくいよね。……あの人はね、私たちの一族から『貴族』を出したいと、そう思ってるんだよ」
「……でも、ブライト家は『平民』の家でしょ?」
「それでも、一帯を所有する有力な地主ではある。娘を王族や有力貴族に嫁がせたり……あるいは『妾』にでもして、繋がりが作れれば、満更かなわない夢でも無い」
「…………」
「……因果なものだよね」
その時、私はあの「絵本」の内容を思い出した。
幼いながらに、我が家に不似合いなあの本が家にあったことの「意味」を、ここでようやく感じ取ったのだった。
「だから、父さんはあんたを王宮への奉公に出すために、力仕事とかは私に任せてるの。……お母さん似で、容姿が良くて発育もいいあんたなら、きっとお気に召す殿方も多いだろう、ってね」
「…………」
「王宮でも下働きからだろうし、手伝いの経験は無駄にはならないだろうが……それ以上に、殿方に気に入られるだけの『育ちの良さ』を身につけるために、最近色々教え込まれていたってこと。あんたの働き次第で、ブライト家の家格が高まると、期待をかけられてるんだよ」
「…………」
「『姉さんに悪い』とかは、思う必要はないよ。私もあんたも、仕事や、結婚する相手は、ろくに選べないんだから。王宮だろうと、市井だろうと、それは変わらないさ」
* * *
……私の子供の頃の夢。
純真無垢な「お姫様になりたい」という気持ちは、その実として、父の権力欲が形作った、歪なものに過ぎなかったのかもしれない。
馬車に揺られ、流れていく煌びやかな王都の景色を眺めながら、私はそんなことを考えていた。
姉の気持ちは複雑だったと思う。
貴族の欲や、その夫人との軋轢に翻弄されるであろう、私の未来に対する「憐憫」と、それでも幼いころの夢を持っていかれたことや、両親の期待を向けられることへの「嫉妬」が入り混じり、私に対しては「近づきたくない」という気持ちを持っていたのが、本音なんだと思う。
それでも、姉さんは、私が不安になった夜に、その話を聞いてくれた。
不安だった私に「がんばるんだよ」と、頭を撫でて送り出してくれた。
――私の人生に「選択肢」はなかったと、そう思う。
それでも私は、お父様や奥様、母さんの期待に、姉さんの優しさに、弟妹の憧れに恥じないように、立派な人にならなきゃいけないと、そう思った。
私の王宮での日々が、始まった。
* * *
父の期待に反して、私は貴族や王族の男性から関心を示されることは少なかった。
容姿が良い、裕福の出、などと言われようとも、それは片田舎の農村部での話。実際、私はここに来る前にそう伝えられていたことで、自意識過剰になっていたかもしれない。
王宮での催しなどで見られる貴族の女性は、それこそ絵本の中でしか見たことの無いような、煌びやかなドレスを纏い、もとの美貌をより引き立たせる化粧の技術も持っている。
それに対して、使用人としての地味なメイド服を着た、化粧っ気のない私の姿は、いかにもな「田舎者」に映ったのではないかと思う。
一度そう考えてしまうと、羞恥心や劣等感は芽生えるもの。
王宮において開かれるパーティーなどで働く時、私は同じ年頃の貴族の女性たちに見劣りする自分に惨めさを感じたり、父の期待に沿えないであろうことへの無力感に苛まれた。
……だが、同時に、私の心の中には安堵もあった。
私は、結局のところは、年甲斐も無く「勇者様との恋」に憧れる、少女のような内面から成長していなかったから。
ここで言う「勇者様」とは、別に、異世界より訪れるとされる本物の「勇者」というわけではない。
私の中で、理想化され、偶像化された、男性の理想像。優しく、美しく、頼もしく、他者を差別せず、弱者に手を差し伸べ、強者にも毅然として立ち向かう……物語の中だけの存在。
わかっている。
そんな人間は……いない。
仮に、そう言った資質を持っている人がいたとしても、それを全て発揮できるほど、社会というものは単純ではない。
個々人の生まれや、立場、境遇、才能……人間は「資質」だけを持っていても、それを発揮できる場がなければ、結局それは誰にも知られることもなく、朽ちていく。
もしかしたら、私の望む「勇者様」のような人も、人知れずどこかに存在しているのかもしれない。
……けれど、その人は、その事を誰にも知られることなく歳を取り、その生涯に幕を下ろしていくのが常なのだと思う。人生とは、きっと、そういうものだから。
ずっと私を覆い続ける「何も変わらない」という諦念。
前に進むことを拒む「変わりたくない」という臆病さ。
そんな思いを抱えながら、私は、王宮での下働きを続け、歳を重ねて行った。
* * *
ある日私は、宮廷の使用人を統括する侍女長に呼び出された。
王妃様のそばに使える彼女に、私のような下働きの存在が呼び出されることは、とても珍しい。私は緊張した面持ちで、彼女の話を伺っていた。
「先日、『勇者』として異世界より『カイト=イセ』と名乗る男性を招致しました」
――「勇者」。
その言葉に、私は、一瞬だけ、少女の頃のような胸の高鳴りを感じた。
……ただし、それは本当に一瞬のもの。
勇者という存在も、結局は人間。
田舎にいた頃は知らなかったけれど、かつてオメガルドで起こった大戦争は、他国で召喚された勇者の暴走に端を発したものだったと、以前に貴族の方の会話を聞いた。
つまり、彼らは「力」をもっていても、「心」までがそれに見合う高潔さを持っているのかは、定かではない。……あるいは、過ぎた「力」に振り回され、高潔な「心」を保てなくなっていくのかもしれない。
「……勇者殿は、この世界に来て日が浅い。生活に困ることも多いでしょうし、彼が冒険に出るに際して王宮の支援が必要です」
鈍い私にも、呼び出された理由が分かった。
これはきっと、お父様に投げかけられたのと同じ「期待」――
「エリス=ブライト。貴女を、勇者殿の世話係および連絡役として任命します。王都での彼の行動に付き添いこれを支え、その日の出来事を我々に報告なさい」
「……承知しました」
しばらくの沈黙の後、侍女長は冷たい目で私を見据え、言った。
「くれぐれも、勇者である彼の不興を買うような真似をしないこと。……いいですね?」
「……はい」
侍女長は……彼女の後ろにいる第一王弟殿下は、私を……「勇者カイト」に気に入られるためのカードとして、差し出したのだ。
* * *
私だって、「男性の滞在する宿に毎日通う世話役」が、何を期待されているのか……そんなことは分かっている。
けれど、いずれ、そうした日が来るとは思っていた。それこそが、父が私に求めた「役目」でもあるのだから。
……だからと言って、特段陰鬱だったわけではない。
私の人生は「選ぶ」ことが出来ないものだと、もう全部わかっていたから。
私は、覚悟も終わり、精一杯に笑顔を作って、彼の待つ部屋をノックした。
「勇者様、よろしいでしょうか?」
ドアを開けた先に立っていたのは、アルフィードでは珍しい黒髪の青年。
フードのついた丈の短い上着は、異様なまでに均質に縫い合わされ、その上に解読不能な文字が描かれていた。それでいて、どこか「高級感」とは離れた印象を持っている。
「はじめまして、アルフィードの王宮より世話役と連絡係を任されたエリス=ブライトと申します。これから何卒よろしくお願いします」
「あっ、その……よろしく、お願いします……?」
どこか他人事のような彼の言葉。
私は、拍子抜けしたものの、これは仕事だと思い直し、気を取り直して、言葉を続けた。
「王宮や私個人に対して……、ご用命がありましたら、何でもお申し出ください。すぐに対応いたします」
「……何でも?」
「はい」
……しばし、重い沈黙が流れる。
「えっと、じゃあ……早速で悪いんですけど……」
「はい、何なりと」
私は、不安になる気持ちを押し殺して、笑顔を作る。
「このあたり、服を買える店ってありますか?その、できれば庶民的なのを……」
彼は、そう言ってあたりをきょろきょろと見渡した。意外な申し出に私も戸惑ったが、地図は王宮から支給されている。
「は、はい……すぐに案内できますが」
「じゃあその、お願いします……」
「……その、お召し物なら、王宮の方で用意できますが?」
「いや、その……」
彼は、恥ずかし気に顔を俯かせて、言った。
「奇抜な格好で目立ちたくないんで……普通のやつをお願いします……」
「…………」
……「勇者様」との出会いは、どこか気の抜けたものだった。
絵本で読んだ、誰から見ても完璧で高潔な人、という印象ではない。
むしろ、気弱で、恥ずかしがりな、内気な青年という印象。
そんな彼を見て私は、実家に居た頃の、恥ずかしがり屋の幼い末の弟を思い出し、気付けば笑顔が漏れていた。王宮勤めで身に着けた作り笑いではない、自然な笑顔が。
この日から、私と勇者様の、慌ただしくも、楽しい日々が始まった――。




