#48 黒き奇謀家《トリックスター》、襲来
――「災害」が、そこにあった。
翼竜から身を投げた人影は、眩い金色の輝きと共に、その全身を真紅の鱗で覆いつくし、その身を大地に「沈めた」。
……かと思えば、間を置くこともなく、山のような「蛇」として、我が軍団を大地もろともに、ひっくり返した。
さながら「海」を泳ぐように、大地より「飛び出し」ては、「潜って」を繰り返し、その度に軍勢を地下から巻き上げ、その膨大な質量で叩き潰していく。
「蛇」が猛威を振るう一方で、もう一つの飛び降りた影は、一切の音を立てることもなく、地にその四肢を付く。黒い毛並みに覆われた、鮮やかなオレンジの瞳を持つそれは、大蛇のもたらす破壊とは対象的に、ただ静かに、戦場を駆ける。
猪妖魔の巨体を、葦を払うように切り裂く、黒い暴風として。
空には、無数の黒剣が待機している。
その刃の一団は、時折、目でも覚めたように動き出しては、雨のように大地に降り注ぎ、各部隊に隠していた弩杖を持つ射撃部隊を、的確に壊滅させていく。
重装歩兵や騎兵の隊長も、そのことごとくが、光る一閃に貫かれ、落馬した。
陸騎龍を駆る斥侯たちも、その光の筋に貫かれては、次々と落馬していく。もはや、この軍において、伝令はまともに機能していない。
瞬きをするたびに、ひとつの小隊が壊滅する。
我が兵は、抗いようのない暴を前に、そのことごとくが戦意を喪失し、そのまま立ち尽くして殺されるか、惨めな潰走を始めるばかり。
吾輩は、ようやく理解した。
我が軍は、決して敵に回してはならない存在に、刃を向けたのだと――
「……ま、気付くのが遅かったよね」
足元で聞こえた声に、吾輩は背筋を凍らせた。
慌てて振り向いたその先には、一匹の小さな黒猫が佇む。
吾輩は、不吉に思いながらも、取るに足らぬその畜生から目を――
――違う。
吾輩は、ハルバードを握り、その猫に斬りかかった。
こんな所に、子猫など居ようはずもない。この猫は――
――ふわりとした感触が伝わった。
刃は、その毛並みを断つこともなく、その場に停止した。
三角の耳。剥き出しの牙。オレンジの瞳。
二足歩行の巨大な獣に姿を変えたそれは、吾輩のハルバードを尻尾に絡め、子供の玩具を取り上げるように難なく奪い、地面に投げ捨てるように叩き折った。
後ずさる吾輩に、巨大で、硬い張りのある肉球が迫り、全身を握り締め、軽々とその場で持ち上げた。
「ふふ、久しいねぇ……グルドンド侯」
「ノ……ノア=タンジェリン……獣王、閣下……」
「ベルゼアル討伐の論功行賞の時以来かな?……いや、その後も二、三回ぐらいは会う機会あったっけかなぁ?」
黒い巨獣は、その親指と人差し指で、弄ぶように吾輩の頭を撫でまわした。
「猪妖魔の中でも特に賢い君には、陛下も期待していたというのに……まったく、『同床にして異なる夢』ってやつだねぇ。ふふ、悲しいよ」
吾輩は、巨獣の言葉に震え、何も言葉にできなかった。
部下に「助けよ」と叫ぶことも。
吾輩の御者や側近は、既に戦意を喪失し、武器を置いて、頭をこすりつけるように、地に伏せていたのだった――
* * *
あまりにも意味不明な大破壊を前に、俺とエリスは、その光景を呆然と見守ることしかできなかった。
鬼王エミリア、龍王アンナ、森王リナ……彼女たちの真の実力は、俺などが太刀打ちできるものではなかったと、その現実だけを静かに突き付けていた。
やがて、俺たちの方に、一人の人影が歩み寄ってきた。
その肘回りから生えた木の根は、彼女のレイピアの鍔のあたりに絡みつき、さながら腕と剣が一体化してるようにも見えた。
人の形をした「森」と言うべきか。
猛獣、疫病、滑落、遭難、飢餓……夜の森は、人間にとって海や渓谷にも等しい、死の渦巻く世界。
その人影は、人間にとってのあらゆる「死」を人の形にとどめたような……そんな存在。
【森王】リナ=ブラウン
ガンミトラス大遺跡でメルを殺そうとした、金環の四天王のひとり――
俺は、倒れ伏せたオークの腰に挿されたショートソードを抜き、エリスと彼女の間に這いずっていき、刃を向けた。
……四肢を砕かれた俺は、どう考えても戦えるような状態ではなかった。
だが、それでも俺は、そうせずにはいられなかった。
「ゆ、勇者様……もう……!」
「森羅万世流――」
「!」
彼女は、俺に向かって、剣を構え――
「叢雨――」
目にも止まらぬ速さで、数え切れない程の、突きを放った――
俺の後ろで、「銃の杖」を構えていた一団が、脳天に風穴を開けて、その場に倒れ伏せた。
唖然としている俺に目もくれず、後方の射撃隊が、森王を目掛け銃撃を開始する。
「陽炎――」
森王が、空を切るように、ゆったりと剣を振るう。
その軌跡に沿うように、直進する魔力の弾丸は軌跡を変え、彼女を迂回する軌跡を描き、その後方に整列していた別の射撃部隊の頭部に命中する。
「飛燕――」
返す刀での高速の剣閃。引き起こされた真空の断層は、前方の射撃隊の首と胴とを次々と斬り離していった。
俺が苦戦し、何度も殺されかけた射撃隊を、森王はその多彩な技術で、尽く殲滅していく。
――圧倒的な実力差。
俺が何をしても、彼女に適う事はない。
現実が、まざまざと突き付けられる。
森王は、俺を振り向いた。
……それでも俺は、剣を置くわけにはいかない。
相手が何者であっても、エリスに、危害を加えさせるわけにはいかない。
俺は、震える手でショートソードを持ち上げ、彼女を、睨む。
「……運が良かったですね、人間の勇者」
「……何が、だよ」
森王は、その草原のように鮮やかな緑の瞳で、息も絶え絶えになっている俺を忌々し気に睨み、ため息をついた。
「魔王様より貴方への殺害命令は受けていません。……今のところは、ですが」
「…………」
「……命が惜しければ大人しくしていることですね。勝手に死なれては、私どもも迷惑です」
やがて、彼女は再び剣を構え、残存する射撃部隊に、その「遠距離剣閃」による狙撃を再開した。
* * *
黒い巨獣の手の内で弄ばれる中、黒い翼をはためかせながら、青い肌の女が吾輩の馬車に降り立った。
その金色の瞳を取り巻く白目は黒く染まり、その角は過大な魔力の影響で、陽炎のように揺らめく。
その背中には、広がる影の翼を避けるように、肩甲骨の当たりから二本の黒い腕が生えており、吾輩の製造した弩杖を握り締めていた――
「おっ……おーい、エミリア!こっちこっち」
「……お待たせ、ノア。私とリナで射撃隊は壊滅させたわ」
「おー、それが最新型かぁ……翼騎龍に届くまで射程が伸びてるとはねぇ……」
「……って言っても、距離減衰で私の障壁魔法を貫くには出力不足ね。ま、守るのが私一人なら、接近戦でも破られることは無いけど」
吾輩は、ただ愕然としていた。
四天王は……魔王は……弩杖を知っている、のか――?
「な、なぜ……」
「あー……、やっぱり、グルドンド候も黒幕ってわけじゃなさそうだねぇ」
「大方ヤツらに、これの設計図を渡されて蜂起を唆されたんでしょ。もう何度見た光景かわからないけれど、憐れなものね」
――な、何を?
「侯爵は知らなかっただろうけどねぇ。私たちは、この弩杖で反乱を起こした逆賊を、これまで何度も相手してんの。どうせキミは『戦場を革新する最新兵器だ!』って大喜びだったんだろうけどさ」
「!」
「さて、じゃあエミリア。『尋問』は任せたよ?」
「了解。時間をかけたら『あの子』も危ないだろうし、なるべく手早く済ませるわね」
「金冠も発現してるし、サクッと行けるんじゃない?」
――「尋問」だと?
まさか、吾輩から情報を引き出すために、拷問を……するというのか?
目の前に立つのは、冷酷無慈悲な魔族の「王」。吾輩の背筋が……凍った。
「あー、心配しないでいいーよ。拷問みたいな人道にもとることは、しないから♪」
エミリア=ターコイズは「魔器召喚魔法」を発動し、その右手にインク瓶を、左手に羊皮紙の束を、召喚した。
そして、青魔族のそれとも違う、背中から生えた「影」で構築された腕が、吾輩の両こめかみに掌を伸ばす。
「自動審問魔法――」
添えられた掌から注ぎ込まれる、膨大な魔力。吾輩の脳裏に、走馬灯のように、「この蜂起計画」の一部始終が、駆け巡る。
武器商人との会話――
職人の斡旋――
資金調達のための人身売買――
アルフィード侵攻計画――
農地開拓と奴隷増産計画――
四天王の直轄軍の戦力規模の調査――
魔王グレタ=イーヴリットの暗殺のための巡幸経路調査――
吾輩の思考は、その全てが言語化され、それらが脳裏をよぎるたびに、羊皮紙に文字が刻まれていく。偽証も、黙秘も、もはや意味を成さない。
吾輩の計画の全てが、そこに記されていった――
……ことが終わり、鬼王は書類をめくりながら、その内容を獣王に読み聞かせていた。
「わぁ、この上なく真っ黒!……でも、こりゃ黒幕について有力な情報はなさそうだね。全部、前にもどっかで見たことある流れだぁ……」
「……作らせた弩杖も、多分侯爵の部下がグルになって、全部『本部』に横流ししてるわね。別の騒乱を起こすために」
「!」
「まったく、部下から正確な情報も上がらない杜撰な組織で、人間領域と連邦の両方に喧嘩を売るなんて、陛下も、金冠の四連星も、甘く見られたもんさ」
ば、莫迦な……謀られたのか?この、吾輩が――?
ヤツら商人どもに、配下のアイベリク家の者に――?
「……っと、夢破れた侯爵がかわいそうだったね。せっかく、積年の鬱屈から解放されて、国盗り物語の主役を張れたんだ……散り際も、もっと華々しく演出してあげなきゃか」
「そうね、じゃあ……」
「お……、お待ちください、両閣下っ!」
「ん?」
「四天王閣下の人知を超えた御力は、陛下の御威光は……この愚臣グルドンド、此度の件で身をもって知りました!もはや二度と……陛下に歯向かうような真似は致しませんっ!」
このままだと、吾輩は殺される……。
もはや恥も外聞もなかった。
「これよりは、魔族領域の将として……否っ!一兵卒として……奴隷でもかまいませんっ!陛下に、閣下に、永遠の忠誠を誓います!どうか、どうかお慈悲を……!」
「……だってさ。どうする?エミリア」
「そう、ねぇ……」
四天王は、呆れの混じった顔で吾輩を見る。
だが、もう、なりふり構ってはいられない。命あっての物種だ。
命さえ繋げば……まだ、まだ吾輩にも、未来は――
「……でも、あなた『武装解除』の命に従わなかったわよねぇ。陛下や我々の命令を軽んじる者を子飼いにして、内の病に蝕まれるのでは、国のためにもならないわ」
そう、武装解除命令。
四天王は武装を解除し、撤退した兵を許した。
吾輩は、折れたハルバードに目をやった。
取り入る隙は、まだあるはず……!
「わ、吾輩も、もはや武器を持たぬ身……っ!今や、閣下に刃を向ける手立てなど御座いませぬ!どうか、我が兵を赦したその寛大さで、吾輩の命も――」
――虚無。
鬼王の顔は、ひとひらの期待も残さぬ、失望の表情だった。
「……『そこから』なの?」
「えっ……」
鬼王は、深いため息をついた。
「……もういいわ、やっちゃって。ノア」
「了解~っ♪」
なぜだ。
吾輩は、何を誤ったのだ――?
なぜ、将の身分を返上する吾輩を、武器を持たぬ無力な吾輩を、
一切の、慈悲を、かける、こともなく、殺――
* * *
ノアがその指に力を籠めると、グルドンドの首は、さながら炭酸の発生した瓶のコルクを抜くように、放物線を描き飛んで行った。
侯爵の首の落ちた先には、ノアの破壊した彼のハルバード。その表情は、恐怖を通り越し「解せない」といったものだった。
この期に及んでも理解が及ばぬ、滑稽な彼の姿に、私は流石に憐れみを感じた。
……同胞として、せめてもの慈悲。私は「答」を示すことにした。
「将の武器は『兵』。あなたの『武装解除』は、命令系統を喪失する前に全軍に攻撃停止と撤退の命令を出すこと。それが、助命が成立する最後の一線。……それすらわからず、この期に及んで命乞いに走る将は、兵の命を、民の命を、保身のために無為に消費する愚将に過ぎない」
グルドンドの首は、その目を見開きながら、口をパクパクとさせる。
だが、その動きもやがて、収まって行った。
「陛下の臣として魔族領域に尽くしたいと言うのなら……ここで死になさい」
「じゃあね、侯爵。『次』があったら、ちゃんと活かすんだよ?」
やがて、グルドンドの瞳は光を失い、わずかに残っていた動きを、完全に止めた――




